殿下が婚約破棄してくれたおかげで泥船から脱出できました。さて、私がいなくなったあと、そちらは大丈夫なのでしょうか?

水上

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第5話:辺境という名の未公開株

 レイモンド様を回収……、失礼、雇用した私たちの馬車は、王都から遠く離れた北の果て、アークライト辺境伯領へと入りました。

 窓の外に広がる景色は、華やかな王都とは似ても似つかないものです。
 険しい岩肌が露出した山々。
 鬱蒼と茂る原生林。
 そして、整備が行き届いていないガタガタの砂利道。

 一般的な貴族令嬢であれば、なんて野蛮な土地でしょう、と嘆くところかもしれません。

「……ひどい道だ。尻が四つに割れそうだ」

 対面の席で、レイモンド様が顔を青くして呻いています。
 彼は先ほどから、車酔いと戦いながらも、私の渡した計画書と格闘し続けていました。

「我慢してくださいな。この悪路こそが、我が領地の天然の要塞なのですから」

「要塞だか何だか知らないが……、おい、この試算表の3ページ目。鉱山開発の初期投資額が巨額すぎる。王都の予算規模だぞ。正気か?」

 彼は眼鏡の位置を直しながら、鋭い指摘を飛ばしてきました。
 ええ、待っておりましたわ、そのツッコミ。

「正気ですわ。アークライト領の山岳地帯には、未発掘の魔鉱石の鉱脈が眠っています。それも、国家予算十年分に相当する規模のものが」

「な、なんだって!?」

「ですが、掘り出すためのインフラがありません。道もなければ、精錬施設もない。宝の持ち腐れならぬ、宝の埋め殺し状態です」

 私は窓の外、雄大に聳え立つアークライト山脈を見上げました。

「皆、この領地を何もない田舎と笑います。ですが、投資家の視点で見れば、これほど魅力的な物件はありませんわ。何しろ、ポテンシャルだけは最高ランクの、未公開株なのですから」

 レイモンド様がゴクリと唾を飲み込みました。
 彼の頭の中で、いま猛烈な勢いで計算式が回っているのが分かります。
 未開の資源、開発コスト、そして将来のリターン。

「……だが、金がない。君の言う通りなら、初期投資に莫大な資金が必要だ。辺境伯家の資産を全額突っ込んでも足りないぞ」

「その通りです。我が家の金庫は、残念ながら空っぽに近い状態。なにせ、私のドレス代も経費で落とせないほどですから」

「笑い事じゃないだろう! 金がなければ絵に描いた餅だ!」

 レイモンド様が悲鳴を上げます。
 ふふっ、彼のその現実的な悲観主義、大好きですわ。
 楽観主義者は飛行船を発明しますが、悲観主義者はパラシュートを発明しますもの。

「ご安心を。金がないなら、持っている人から引っ張ってくればいいだけのこと」

「持っている人? 王都の銀行か?」

「いいえ。銀行は金利が高いですし、何より審査が遅い。私が狙っているのは、もっと決断が早く、そして、面白い話に飢えている大富豪です」

 その時、馬車が大きく揺れ、ようやく舗装された道、領主館へと続くメインストリートに入りました。
 前方に、古めかしいけれど堅牢な作りの我が家が見えてきます。

「到着ですわ。まずは旅装を解いて、お父様に挨拶を。そして明日には、隣国との国境へ向かいます」

「こ、国境? 今度は何をするつもりだ」

「密会……、いえ、商談ですわ」

 私は扇子を開き、口元を隠して意味ありげに微笑みました。

「お隣の帝国には、赤船と呼ばれる巨大商会があるのをご存知かしら? その会長が、ちょうど今、国境付近の視察に来ているという情報を掴みましたの」

「赤船……、まさか、あの大陸全土に支店を持つルーカス商会か!? 相手は大物すぎるぞ。会ってくれるわけがない」

「向こうから会いたくなるように仕向けるのです。餌はすでに撒いてありますわ」

 馬車が停まり、セバスチャンが扉を開けます。
 故郷の冷涼な風が、私の髪を揺らしました。

 王都では、知識をひけらかす生意気な女として疎まれましたが、ここでは私がルールブックです。
 父である辺境伯は、筋肉ダルマ……、いえ、豪快な武人ですので、細かい経営は私に丸投げしてくれていますし。

「さあ、レイモンド様。貴方の計算能力で、私を億万長者にしてくださいな」

「……とんでもない悪女に拾われちまったな」

 レイモンド様はボヤきながらも、その手にはしっかりと計画書が握りしめられていました。
 どうやらもう、この経営シミュレーションから逃げ出す気はないようです。

 私の脳裏には、次に出会うべき男の顔が浮かんでいました。

 ルーカス・ヴァン・ドリフト。
 隣国の第三皇子にして、金の匂いに敏感な商会のトップ。
 彼を味方につければ、私の復讐劇は、盤石なものとなります。

 待っていてくださいね、殿下。
 貴方が贅沢をしている間に、私は国の経済圏を塗り替えて差し上げますから。

 私は実家の敷居を跨ぎました。

 優雅な復讐の第二幕、いよいよ開幕です。

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