殿下が婚約破棄してくれたおかげで泥船から脱出できました。さて、私がいなくなったあと、そちらは大丈夫なのでしょうか?

水上

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第6話:一分間のプレゼンテーション

 アークライト領の北端、国境の街、ベルン。

 ここは隣国であるガルガディア帝国との玄関口であり、多くの商人や旅人が行き交う物流の要衝です。
 ……と言えば聞こえはいいですが、実際には巨大な山脈に阻まれ、物流のボトルネックとなっている、詰まりかけの排水溝のような場所ですわね。

 山越えのルートは険しく、関所の手続きは煩雑。
 商隊が国境を抜けるのに、平均で三日は足止めを食らうのが現状です。

「お、おい……、本当にあそこに突撃する気か?」

 街の広場を見下ろすカフェのテラス席で、レイモンド様が震える声で囁きました。
 彼の視線の先には、広場の中央に停められた、威圧感のある黒塗りの馬車があります。
 その周りには、屈強な護衛たちが目を光らせており、誰も近づこうとしません。

 そして、その馬車の前で、不機嫌そうに葉巻を燻らせている男。
 黒髪をラフにかき上げ、無精髭を生やしたワイルドな美貌。
 仕立ての良いスーツを着崩し、鋭い眼光で地図を睨みつけている人物こそが、今回のターゲットです。

「間違いありません。あれが隣国の第三皇子にして、大陸最大の商会、赤船を率いる若き怪物、ルーカス・ヴァン・ドリフト殿下です」

 私はオペラグラスを下ろし、口元を緩めました。

 情報は正確でしたわね。
 彼は今、自社の物流ルートの遅延に苛立ち、直接視察に来ている。
 つまり、喉から手が出るほど、解決策を欲している状態です。

「さて、行きますわよ」

「ま、待て! アポもなしに近づいたら、あの護衛たちに斬り捨てられるぞ!」

「あら、アポイントメントなら、今、取りますのよ」

 私は日傘を開き、優雅に立ち上がりました。

 今日の装いは、貴族令嬢らしいドレスではなく、動きやすいが品のある乗馬服風のパンツスタイル。
 私はお飾りではありません、という無言のメッセージです。

 私は迷いない足取りで、黒塗りの馬車へと直進しました。

「止まれ! 何者だ!」

 案の定、巨漢の護衛が立ちはだかります。
 私は彼を見上げることなく、その背後にいるルーカス殿下に向かって、よく通る声で呼びかけました。

「年間、二億ゴールド」

 地図を見ていたルーカスの手が止まりました。

「それが、貴社がこの国境の渋滞によって失っている機会損失の概算額ですわね? ルーカス会長」

 ルーカスがゆっくりと顔を上げました。
 獲物を狙う猛獣のような、金色に輝く瞳が私を射抜きます。

 普通のご令嬢なら、この視線だけで失神してしまうかもしれません。
 ですが、私は元婚約者のせいでストレス耐性が鍛えられていますから。

「……誰だ、あんたは」

 低く、腹に響くような声。
 護衛たちが私を排除しようと動きますが、ルーカスは片手を挙げてそれを制しました。

「アークライト辺境伯家の娘、エリーゼと申します。以後、お見知り置きを」

「アークライト? ……ああ、あの貧乏貴族か」

 彼は鼻で笑い、葉巻の煙を吐き出しました。

「俺は忙しい。貧乏貴族の寄付願いや、舞踏会への招待状なら、秘書を通してくれ。もっとも、審査に通る確率は宝くじより低いがな」

「寄付? いいえ、私がご提案するのはです」

「投資?」

「ええ。私に一分間だけ時間をください。そうすれば、貴社のその二億ゴールドの損失を、来年にはプラス五億の利益に変えるプランをご説明します」

 ルーカスは目を細め、私を上から下まで値踏みするように見つめました。
 そして、懐中時計を取り出し、パチンと蓋を開けます。

「……いいだろう。一分だ。五九秒でも六一秒でもなく、きっかり六〇秒やる」

「感謝いたします」

 私はニッコリと微笑み、扇子を一振りしました。
 それでは、スタート。

「現在、貴社のキャラバンが使用している山越えルートは、勾配がきつく、雪崩のリスクも高い。これが物流遅延の主因です。しかし、我が家の古文書にある地質調査データを解析した結果、山脈の地下に巨大な空洞……、かつてのドワーフの坑道跡が存在することが判明しました」

 ルーカスの目がわずかに開かれます。
 私は畳み掛けます。

「この坑道を再整備し、私が考案したレールを敷けば、天候に左右されず、かつ現在の三倍の積載量を持つ貨車を通すことが可能です。名付けて、アークライト・トンネル構想」

「……ほう」

「さらに、我が家は国境の領主権限を持っています。貴社が建設資金を出資してくださるなら、このトンネルを通行する貴社の商品に関し、今後五〇年間の、関税免除特権を付与します」

 残り一〇秒。

「国への上納金は私が処理します。貴社が得るのは、独占的な物流ルートと、圧倒的なコストダウン。……いかがでしょうか? 損な話ではないはずですが」

 パチン。
 ルーカスが懐中時計の蓋を閉じました。

 長い沈黙。
 後ろでレイモンド様が息を止めている気配がします。

 やがて、ルーカスの口元が、ニヤリと三日月形に歪みました。

「……おい、席を用意しろ」

 彼は部下に短く命じると、馬車の扉を自ら開け放ち、顎で中をしゃくりました。

「乗れよ、アークライトの姫さん。一分じゃ足りねえ。その、もっと詳しく聞かせてもらおうか」

「ホラ話かどうか、その目で確かめていただけますわ」

 私はレイモンド様に目配せをし(彼も慌てて乗り込みました)、ルーカスの向かいの席に優雅に座りました。

 座席の革の匂いと、高級な葉巻の香り。
 これが、ビジネスの最前線の匂いですわね。

「それで? そのトンネルとやらは、いつ掘れる?」

「資金次第ですわ。殿下のポケットマネーなら、来月の雪解けまでには」

「はっ! 大きく出たな。……気に入った」

 ルーカスは楽しげに笑い、私に手を差し出しました。
 握手ではなく、契約を求める手です。

「いいだろう。一口乗ってやる。だが、もし失敗したら……、分かってるな?」

「ええ。その時は、私の身柄でも何でも、好きになさってください」

「交渉成立だ」

 ガッチリと握り合う手。
 その掌は、貴族のものとは思えないほど硬く、熱いものでした。

 こうして、私は最強のスポンサーを手に入れました。
 さあ、役者は揃いました。

 ここからは、私のターンです。

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