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第7話:慈善という名の地盤改良
「……正気か? 本当にお前、これをやるつもりか?」
帰りの馬車の中で、レイモンド様が震える手で持っているのは、先ほどルーカス殿下から受け取った小切手です。
そこに記された金額は、金貨五〇〇〇万枚。
アークライト領の年間予算の、実に一〇年分に相当する巨額の、手付金でした。
「あら、手が震えていらっしゃいますわよ? その紙切れ一枚で、貴方の愛する計算が死ぬほどできますのよ」
「額が大きすぎて吐きそうだ……。 これだけのキャッシュがあれば、国一つ買えるぞ」
「国を買うには足りませんが、国を傾ける準備には十分ですわ」
私は窓の外、夕闇に沈むアークライト領の山々を見つめました。
ルーカス殿下との商談は、予想以上の成果を上げました。
彼はアークライト・トンネルの建設費用を全額負担するだけでなく、完成後の通行料の一部を我が家に還元することまで約束してくれたのです。
さすがは商売人。
私が提示した、関税免除の長期的な利益を瞬時に理解したのでしょう。
ですが、私の狙いはトンネルによる物流革命だけではありません。
むしろ、トンネル工事は隠れ蓑に過ぎないのです。
「レイモンド様。トンネルを掘れば、何が出ますか?」
「は? そりゃあ、大量の土砂と岩石だろう。廃棄処理に莫大なコストがかかるぞ。見積もりに入れておこうか?」
「いいえ。その土砂は捨てません。再利用します」
私は馬車のテーブルに、領地の地図を広げました。
アークライト領の南には、ジェラルド王太子の直轄領である肥沃な平野が広がっています。
我が領地は標高が高く、王太子領は低い。
つまり、水は我が領地の山々から地下水脈を通って、王太子領へと流れていく構造になっています。
「トンネル工事で出た大量の土砂を使って、ここ……、王太子領との境界線付近に、大規模な植林を行います」
「植林?」
「ええ。名目は、自然保護のための緑化運動です。素晴らしいでしょう? これなら環境保護にうるさい貴族たちも文句は言えませんし、何よりジェラルド殿下は、外見の良い事業が大好きですから」
私は地図上の境界線に、赤いペンで線を引きました。
「ですが、ただ木を植えるのではありません。植えるのは、アークライト原生の吸水白樺です」
「吸水白樺……、まさか、あの根が深く、大量の水を吸い上げる品種か!?」
「ご名答。さらに、掘り出した岩石で地下の透水層を物理的に塞ぎ、水の流れを変えます。これにより、地下水脈の大半は王太子領へ流れず、我が領地の貯水池へと迂回することになります」
レイモンド様が、信じられないものを見る目で私を見ました。
「つまり……、表向きは慈善事業を装いながら、実際には下流の王太子領を、干上がらせるつもりか? 合法的に?」
「人聞きが悪いですわね。私はただ、自分の領地の水を有効活用しようとしているだけです。水は貴重な資源ですもの。一滴たりとも無駄にはできませんわ」
これこそが、私の最初の復讐。
剣も魔法も使いません。
使うのは、スコップと地質学の知識だけ。
ジェラルド殿下は気づかないでしょう。
自分の領地の井戸水が減り、自慢の薔薇園が枯れ始めるその日まで、まさか元婚約者が上流で、蛇口を締めているなどとは。
「……お前、本当に悪魔だな」
「光栄ですわ。ですが、私の計算では、王太子領の貯水率は三ヶ月後には危険水域に達します。それまでに殿下が私の警告……、いえ、ビジネスの提案に気づくかどうか。見ものですわね」
私は楽しげに地図を畳みました。
翌日。
アークライト領には、小気味良い槌音が響き渡り始めました。
トンネル工事の開始です。
現場監督として雇ったドワーフの棟梁たちが、ルーカス殿下の資金で最新鋭の魔導掘削機を動かしています。
排出される土砂は、次々と南の境界線へと運ばれていきました。
「さあ、植えなさい! もっと深く! 未来の緑のために!」
私は現場で作業員たちに声をかけ、差し入れの冷たいレモネードを配りました。
作業員たちの反応はというと……。
「エリーゼ様はなんて慈悲深いんだ!」
「自然を愛する聖女様だ!」
と涙を流して感謝しています。
ごめんなさいね。
その木々が成長した時、南の土地がどうなるか……。
それは、神のみぞ知る(そして私も知っている)ことです。
王都の方角空を見上げると、雲一つない快晴でした。
ああ、いい天気。
これからの季節、雨が少ないといいですわね。
特に、王太子領にとっては……。
帰りの馬車の中で、レイモンド様が震える手で持っているのは、先ほどルーカス殿下から受け取った小切手です。
そこに記された金額は、金貨五〇〇〇万枚。
アークライト領の年間予算の、実に一〇年分に相当する巨額の、手付金でした。
「あら、手が震えていらっしゃいますわよ? その紙切れ一枚で、貴方の愛する計算が死ぬほどできますのよ」
「額が大きすぎて吐きそうだ……。 これだけのキャッシュがあれば、国一つ買えるぞ」
「国を買うには足りませんが、国を傾ける準備には十分ですわ」
私は窓の外、夕闇に沈むアークライト領の山々を見つめました。
ルーカス殿下との商談は、予想以上の成果を上げました。
彼はアークライト・トンネルの建設費用を全額負担するだけでなく、完成後の通行料の一部を我が家に還元することまで約束してくれたのです。
さすがは商売人。
私が提示した、関税免除の長期的な利益を瞬時に理解したのでしょう。
ですが、私の狙いはトンネルによる物流革命だけではありません。
むしろ、トンネル工事は隠れ蓑に過ぎないのです。
「レイモンド様。トンネルを掘れば、何が出ますか?」
「は? そりゃあ、大量の土砂と岩石だろう。廃棄処理に莫大なコストがかかるぞ。見積もりに入れておこうか?」
「いいえ。その土砂は捨てません。再利用します」
私は馬車のテーブルに、領地の地図を広げました。
アークライト領の南には、ジェラルド王太子の直轄領である肥沃な平野が広がっています。
我が領地は標高が高く、王太子領は低い。
つまり、水は我が領地の山々から地下水脈を通って、王太子領へと流れていく構造になっています。
「トンネル工事で出た大量の土砂を使って、ここ……、王太子領との境界線付近に、大規模な植林を行います」
「植林?」
「ええ。名目は、自然保護のための緑化運動です。素晴らしいでしょう? これなら環境保護にうるさい貴族たちも文句は言えませんし、何よりジェラルド殿下は、外見の良い事業が大好きですから」
私は地図上の境界線に、赤いペンで線を引きました。
「ですが、ただ木を植えるのではありません。植えるのは、アークライト原生の吸水白樺です」
「吸水白樺……、まさか、あの根が深く、大量の水を吸い上げる品種か!?」
「ご名答。さらに、掘り出した岩石で地下の透水層を物理的に塞ぎ、水の流れを変えます。これにより、地下水脈の大半は王太子領へ流れず、我が領地の貯水池へと迂回することになります」
レイモンド様が、信じられないものを見る目で私を見ました。
「つまり……、表向きは慈善事業を装いながら、実際には下流の王太子領を、干上がらせるつもりか? 合法的に?」
「人聞きが悪いですわね。私はただ、自分の領地の水を有効活用しようとしているだけです。水は貴重な資源ですもの。一滴たりとも無駄にはできませんわ」
これこそが、私の最初の復讐。
剣も魔法も使いません。
使うのは、スコップと地質学の知識だけ。
ジェラルド殿下は気づかないでしょう。
自分の領地の井戸水が減り、自慢の薔薇園が枯れ始めるその日まで、まさか元婚約者が上流で、蛇口を締めているなどとは。
「……お前、本当に悪魔だな」
「光栄ですわ。ですが、私の計算では、王太子領の貯水率は三ヶ月後には危険水域に達します。それまでに殿下が私の警告……、いえ、ビジネスの提案に気づくかどうか。見ものですわね」
私は楽しげに地図を畳みました。
翌日。
アークライト領には、小気味良い槌音が響き渡り始めました。
トンネル工事の開始です。
現場監督として雇ったドワーフの棟梁たちが、ルーカス殿下の資金で最新鋭の魔導掘削機を動かしています。
排出される土砂は、次々と南の境界線へと運ばれていきました。
「さあ、植えなさい! もっと深く! 未来の緑のために!」
私は現場で作業員たちに声をかけ、差し入れの冷たいレモネードを配りました。
作業員たちの反応はというと……。
「エリーゼ様はなんて慈悲深いんだ!」
「自然を愛する聖女様だ!」
と涙を流して感謝しています。
ごめんなさいね。
その木々が成長した時、南の土地がどうなるか……。
それは、神のみぞ知る(そして私も知っている)ことです。
王都の方角空を見上げると、雲一つない快晴でした。
ああ、いい天気。
これからの季節、雨が少ないといいですわね。
特に、王太子領にとっては……。
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