殿下が婚約破棄してくれたおかげで泥船から脱出できました。さて、私がいなくなったあと、そちらは大丈夫なのでしょうか?

水上

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第32話:合理主義の教室

 魔導通信網の敷設が完了した後、私が公共事業の決定権を使い、次に着手したのは教育制度の改革でした。

 王立学園や貴族向けの私塾では、古くから、王家の歴史、貴族のたしなみ、無駄に豪華な修辞学といった非実用的な科目が中心でした。
 私はこれを一掃し、全国の教育機関に新しいカリキュラムを導入しました。

 新しい科目の名は、応用魔導工学、資源効率論、そして最も重要な科目である、基礎的合理思考です。

 基礎的合理思考の授業風景。
 王都の新しい公立学校の教室で、学生たちが真剣な面持ちで、目の前の設問に取り組んでいます。

【設問】

 あなたは町の領主です。
 飢饉が予測される中、備蓄倉庫には腐りかけのパンと新鮮な種芋があります。
 どちらを市民に配るべきか、合理的に判断しなさい。

 選択肢:

 パンを配る(今すぐの空腹を満たす)

 種芋を配る(未来の食料生産に投資する)

 学生たちは、伝統的な教育で教えられてきた慈悲や人情といった感情的な判断を排除し、ひたすら数字と確率に基づいて解答を導き出しました。

「種芋を配るべきだ! パンは数日後に腐って、飢えは再び来る。種芋は数ヶ月後に数十倍の収穫をもたらす確率が高い。短期的な満足より、長期的な利益を優先すべきだ!」

 ある学生が立ち上がり、淀みなく答えました。

「その通りです。その選択は、最も合理的で、社会全体の利益を最大化します」

 教師が頷きました。この教師たちも、アークライト商会が提供する新しい教師養成プログラムで、徹底的に合理主義の教育を受けています。

 私は、その授業風景を、情報局の通信網を通じて、リアルタイムで視聴していました。

「これで、王国の価値観は変わりますわ。感情や権威ではなく、論理と効率に基づいて考える、新しい世代の誕生です」

 隣にいたルーカス殿下は、少し複雑な顔をしていました。

「……確かに、国は富むだろう。だが、それはあまりにも冷徹ではないか。パンを欲しがる市民の悲鳴を無視する、合理主義とは」

「合理的思考は、悲鳴を無視するのではなく、悲鳴を上げなくて済む未来を作るための思考です。短期的な感情で行動し、結果的に国を滅ぼそうとしたのは、ジェラルド殿下とその一派ですわ」

 私は、自信を持って答えました。

 私が敷いた通信網は、全国の学校に均質な教育を提供し、すべての子供たちに王都の貴族と同じ知識を与えています。
 これにより、教育格差は是正され、才能ある者が身分に関係なく登用される道が開かれました。

 しかし、その合理的な教育の産物の中から、予想外の反応を示す学生が現れました。

「先生、質問です」

 基礎的合理思考のクラスの最前列に座っていた、ミリアムという名の少女が手を挙げました。

「短期的な飢えを乗り越えられなければ、種芋を植える未来そのものがありません。種芋を配る判断は、生存確率が極めて低い場合、非合理的ではないでしょうか」

 教師はたじろぎました。
 教師が用意していた模範解答には、そこまでの考慮は含まれていません。

「さらに。この設問の前提である領主という存在は、なぜ市民に情報を開示しないのですか? 市民に現状と選択肢を共有し、彼ら自身に判断を委ねた方が、長期的な領主への信頼という利益を得られるはず。領主が独断で決めるのは、合理性に欠けていると考えます」

 ミリアムの指摘は、私の設計した合理的な支配の盲点を突いていました。
 私の教育は、論理的な思考能力を育てましたが、同時に、その論理で支配者の行動そのものを分析し、批判する能力も育てていたのです。

 情報局でその映像を見ていた私は、思わず笑みをこぼしました。

「やりますわね、あの少女は」

「彼女は、あんたの作った教育システムのバグだぞ、エリーゼ」

 ルーカス殿下が、面白そうに言いました。

「バグではありません。より高度な、合理的な批判精神という、次世代の武器です」

 私は通信機を操作し、その少女の経歴を呼び出しました。
 ミリアム・ローゼン。
 平民出身。

「彼女の言う通りですわ。独裁的な合理主義は、長期的に見れば非合理的。支配者が情報を独占すれば、やがてその判断ミスを誰も修正できなくなり、国は硬直します」

 私が恐れていたのは、他でもないでした。

「レイモンド様、彼女をすぐに私の元へ。私は、彼女のようなを、自分の最も近くに置かなくてはなりません」

 王国は、私の合理主義によって、豊かで清潔な国へと変わりつつあります。
 しかし、その豊かさの裏側で、私が作り出した支配の構造そのものを疑う、新しい知性が育っていたのです。

「合理的な支配を続けるには、常に自己批判を続けなければなりませんわ。さあ、優秀な批判者よ。私の元へ来なさい」

 私の顔は、冷徹な支配者の顔ではなく、素晴らしいな研究対象を見つけた科学者の顔になっていました。

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