「地味な眼鏡女」と婚約破棄されましたが、この国は私の技術で保たれていたようです

水上

文字の大きさ
5 / 11

第5話:騎士団長の悩みと、見えなかった優しさ

 領地の水質改善が軌道に乗った頃、私はギルバート様に連れられて騎士団の演習場を訪れていました。

 辺境伯領の武力を担う精鋭たち。
 しかし、その空気はピリピリと張り詰めており、どこか怯えの色が見えました。

「……おい、団長がこっちを見てるぞ」

「ひぃッ! あの眼光、俺たちの動きに不満があるんだ……!」

「殺される……。もっと気合を入れて剣を振れ!」

 兵士たちが恐れおののく視線の先には、一人の巨漢がいました。

 騎士団長ガゼン。
 歴戦の猛者ですが、常に眉間に深い皺を寄せ、凄まじい形相で部下たちを凝視しています。

 その威圧感は、出会った当初のギルバート様を彷彿とさせました。

「……ギルバート様。あの団長殿、もしや」

「ああ。俺と同じだ。腕は超一流だが、極度の近視と乱視でな。敵と味方の区別がつかんから、常に目を凝らしている。おかげで部下からは常に激怒していると勘違いされ、萎縮させてしまっているのが悩みらしい」

 やはり。

 視界情報の欠落は、コミュニケーション不全の最大の要因です。
 私は懐からメジャーを取り出し、スタスタとガゼン団長の元へ歩み寄りました。

「失礼します。顔の幅と、眼球の角膜曲率半径を計測させていただきます」

「あ? なんだ、お嬢ちゃんは……、うおっ!?」

 至近距離まで近づいた私に、団長が驚いてのけぞります。
 私は構わず、手際よく数値を採取しました。

「成形に半日ほどいただきます。……戦場で眼鏡が割れると危険ですので、特注品を用意しましょう」

 翌日。
 私は再び演習場を訪れ、完成したアイテムを団長に渡しました。

 それは通常の眼鏡ではなく、顔にフィットするバンドで固定されたゴーグル型眼鏡です。

 レンズには、実験過程で生まれた強化ガラスを使用し、鉄の破片が飛んできても割れない強度を確保してあります。

「これを……、俺にか?」

「装着してみてください。世界が変わりますよ」

 ガゼン団長がおずおずとゴーグルを装着します。
 すると――。

「おお……! 見える! 的の真ん中が、部下の顔の汗までくっきり見えるぞ!」

 その瞬間、彼の顔から険しい皺が消え去りました。
 強面だと思われていた彼の素顔は、意外にも人懐っこい、頼れる兄貴分といった風貌でした。

「おい、お前ら! 昨日の剣筋、腰が入っていて良かったぞ!」

「だ、団長……? 笑ってる……?」

「怒ってたんじゃないんですか!?」

 誤解が解け、演習場に安堵の歓声が広がります。
 正確な視界を得た団長の指揮能力は劇的に向上し、部下との信頼関係も一瞬で修復されました。

 その日の夕食時。

 食堂には、いつも以上に豪勢な料理が並んでいました。
 しかも、そのメニューは少し変わっています。

 鶏の手羽先の煮込み、豚足のスープ、牛すじのシチュー、そして牡蠣のアヒージョ。

「……ギルバート様。これは随分と、コラーゲンと亜鉛に偏ったメニューですね」

 私が指摘すると、エプロン姿のギルバート様がスープをよそいながら頷きました。

「ああ。お前の手のためだ」

「手、ですか?」

「見せてみろ」

 言われて自分の手を差し出すと、彼は私の指先をそっと取りました。

 ガラスの研磨剤や薬品、そして連日の加工作業で、私の指先はガサガサに荒れ、あちこちに小さな切り傷ができていました。

 貴族令嬢の手としては、見るに堪えないものでしょう。

「……汚い手ですね。食事中に失礼しました」

 私が手を引っ込めようとすると、彼は強く握りしめ、それを許しませんでした。

「違う。美しい職人の手だ。だが、これだけ荒れていては、ミクロ単位の研磨作業に支障が出るだろう」

 彼は「見栄えが悪い」とは言いませんでした。「仕事に差し障る」と言ったのです。
 それが、私という人間を何よりも理解してくれている言葉だと感じました。

「皮膚の再生にはタンパク質と亜鉛、そしてコラーゲンが必須だ。……食え。指先の感覚が鈍っては、いいレンズは磨けない」

「……はい」

 出されたスープは濃厚で、身体の芯から温まる優しい味がしました。

 食事の後、彼は私の手に特製の軟膏を塗り込み、丁寧にマッサージまでしてくれました。
 その手つきは、恐ろしい氷の辺境伯の異名とは裏腹に、とても繊細で温かいものでした。

 私は、軟膏の香りに包まれながら、ふと口を開きました。

「……ギルバート様。貴方の優しさは透明ガラスみたいですね」

「ガラス? どういう意味だ。脆いと言いたいのか」

 不満げな彼に、私は首を横に振りました。

「いいえ。そこに在るのに、透明すぎて綺麗すぎて、今まで見えなかったという意味です。……でも、こうして触れてみれば、こんなに温かくて、硬い守りがある」

 王都にいた頃、私は言葉や宝石のような分かりやすい装飾ばかりを求められていました。

 けれど、本当に必要なのは、風を防ぎ、熱を保ち、視界を守ってくれる透明なガラスのような存在だったのです。

「……お前は時々、詩人のようなことを言うな」

「物理的特性を述べただけです」

 ギルバート様は耳まで赤くして、私の手の甲に包帯を巻き始めました。

 窓の外では北風が吹き荒れていましたが、この部屋の中は、彼の作ってくれたスープの熱と、透明な優しさで満たされていました。

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています

かきんとう
恋愛
 王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。  磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。  その中心に、私は立っていた。  ――今日、この瞬間のために。 「エレノア・フォン・リーベルト嬢」  高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。

刺繍妻

拓海のり
恋愛
男爵令嬢メアリーは魔力も無くて、十五歳で寄り親の侯爵家に侍女見習いとして奉公に上がった。二十歳まで務めた後、同じ寄り子の子爵家に嫁に行ったが。九千字ぐらいのお話です。

すみっこ婚約破棄同盟〜王子様による婚約破棄のすみっこで〜

まりー
恋愛
   ある夜会で王子とその側近達の婚約破棄が行われた。腕に恋人をぶら下げて。所謂、王道断罪劇である。  でもこのお話の主役は麗しのヒロインでも、キラキラ王子でも、学園一の秀才や騎士団期待のホープでもない。これは王道のすみっこで行われた、弱小貴族と商人の子息たちの婚約破棄のお話である。 _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 「もう俺ら、恋なんてしない!」と言う小学生の息子の話を参考に書きました。登場人物の男子たちの頭は小学生レベルだと思って読んでください。    

「お前がいると息が詰まる」と追放された令嬢——翌週から公爵家の予定が全て狂った

歩人
ファンタジー
クラリッサは公爵家の日程管理を一手に担う令嬢。前世の社畜経験を活かし、行事計画、来客対応、予算管理まで完璧にこなしていた。 だが婚約者ヴィクトルは言った。「お前がいると息が詰まる。もっと華やかな女がいい」 追放されたクラリッサが去った翌週、公爵家の予定が全て狂い始める。 舞踏会の招待状は届かず、外交晩餐会の料理は手配されず、決算書類は行方不明。 一方クラリッサは、若き領主の元で「定時退社」という夢を叶えていた。 「もう、残業はしません」

婚約者候補を見定めていたら予定外の大物が釣れてしまった…

矢野りと
恋愛
16歳になるエミリア・ダートン子爵令嬢にはまだ婚約者がいない。恋愛結婚に憧れ、政略での婚約を拒んできたからだ。 ある日、理不尽な理由から婚約者を早急に決めるようにと祖父から言われ「三人の婚約者候補から一人選ばなければ修道院行きだぞ」と脅される。 それならばと三人の婚約者候補を自分の目で見定めようと自ら婚約者候補達について調べ始める。 その様子を誰かに見られているとも知らずに…。 *設定はゆるいです。 *この作品は作者の他作品『私の孤独に気づいてくれたのは家族でも婚約者でもなく特待生で平民の彼でした』の登場人物第三王子と婚約者のお話です。そちらも読んで頂くとより楽しめると思います。

もてあそんでくれたお礼に、貴方に最高の餞別を。婚約者さまと、どうかお幸せに。まぁ、幸せになれるものなら......ね?

当麻月菜
恋愛
次期当主になるべく、領地にて父親から仕事を学んでいた伯爵令息フレデリックは、ちょっとした出来心で領民の娘イルアに手を出した。 ただそれは、結婚するまでの繋ぎという、身体目的の軽い気持ちで。 対して領民の娘イルアは、本気だった。 もちろんイルアは、フレデリックとの間に身分差という越えられない壁があるのはわかっていた。そして、その時が来たら綺麗に幕を下ろそうと決めていた。 けれど、二人の関係の幕引きはあまりに酷いものだった。 誠意の欠片もないフレデリックの態度に、立ち直れないほど心に傷を受けたイルアは、彼に復讐することを誓った。 弄ばれた女が、捨てた男にとって最後で最高の女性でいられるための、本気の復讐劇。

心を病んでいるという嘘をつかれ追放された私、調香の才能で見返したら調香が社交界追放されました

er
恋愛
心を病んだと濡れ衣を着せられ、夫アンドレに離縁されたセリーヌ。愛人と結婚したかった夫の陰謀だったが、誰も信じてくれない。失意の中、亡き母から受け継いだ調香の才能に目覚めた彼女は、東の別邸で香水作りに没頭する。やがて「春風の工房」として王都で評判になり、冷酷な北方公爵マグナスの目に留まる。マグナスの支援で宮廷調香師に推薦された矢先、元夫が妨害工作を仕掛けてきたのだが?

【完】今流行りの婚約破棄に婚約者が乗っかり破棄してきました!

さこの
恋愛
 お前とは婚約を破棄する! と高々と宣言する婚約者様。そうですね。今流行っていますものね。愛のない結婚はしたくない! というやつでわすわね。  笑顔で受けようかしら  ……それとも泣いて縋る?   それではでは後者で! 彼は単純で自分に酔っているだけで流行りに乗っただけですもの。  婚約破棄も恐らく破棄する俺カッコいい! くらいの気持ちのはず! なのでか弱いフリしてこちらから振ってあげましょう! 全11話です。執筆済み ホットランキング入りありがとうございます 2021/09/07(* ᴗ ᴗ)