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第14話:火傷の痕と、微かな波紋
王都の中心に位置する大通りは、真新しいレンガ造りの建物と、行き交う馬車の活気で溢れていた。
その一角に、ウォルターズ伯爵の出資によって完成した、ルシラの卵料理専門店がオープンして一ヶ月。
白と淡い黄色を基調とした洗練された外観の店は、連日、予約で席が埋まるほどの大盛況を見せていた。
「ルシラ、五番テーブルのお客様から、極上のオムレツの追加注文よ!」
「はい、すぐに焼き上げます!」
広々とした新しい厨房で、ルシラは最新式の大型オーブンと複数の石炭ストーブを一人で見事に使いこなしていた。
コレットも共同経営者としてホールを仕切り、二人の息はぴったりと合っている。
ランチの激務を終え、ようやく少しの休息が訪れた午後。
ルシラは新しい食材の仕入れを確認するため、店の裏口から市場へと向かっていた。
(明日のチーズスフレには、もう少し酸味のあるチーズを混ぜてみようかしら)
新しいレシピの構想に頭を巡らせながら歩いていたルシラの足が、ふと止まった。
市場の隅にある八百屋の前で、見覚えのある背中が、真剣な顔で野菜を選んでいた。
「……ダリウス?」
ルシラは思わず、物陰に身を隠した。
ダリウスは、以前の彼なら絶対に足を運ばないような市場で、泥のついたじゃがいもを一つ一つ手に取って見極めようとしていた。
常に完璧に仕立てられていたスーツは着ておらず、地味な平服に身を包んでいる。
彼が店主に硬貨を渡そうと手を伸ばした瞬間、ルシラの視線がその手に釘付けになった。
ダリウスの手の甲には、赤く痛々しい火傷の痕がいくつも刻まれていたのだ。
さらに、彼が着ている平服の袖口には、明らかに素人がアイロンがけに失敗したような、不自然なシワが寄っている。
(あの火傷の痕……オーブンか、アイロンで火傷したのね)
ルシラは物陰から、不器用な手つきで野菜を袋に入れるダリウスを見つめ続けた。
かつての彼なら、家事は「難易度の低いタスク」だと見下し、絶対に自分で手を動かそうとはしなかった。
姉のビアトリスに押し付けるか、金で解決していただろう。
しかし、今のダリウスは、明らかに自分で生活を回そうと泥臭くもがいている。
「ありがとう。また明日来るよ」
ダリウスが野菜の入った袋を抱え、少しだけ柔らかな表情で八百屋の店主に礼を言うのが見えた。
その声には、以前のような冷徹さや高慢さは微塵もなかった。
(あの人が、自分の力で生活の重みを学ぼうとしている……?)
あの日、冷え切ったスフレの前で全てを切り捨てたルシラの心に、ほんの微かな、だが確かな波紋が広がった。
彼は言葉だけの謝罪ではなく、実際に手を動かし、ルシラが毎日背負っていたものを理解しようとしているのだ。
ダリウスが市場を去っていく後ろ姿を見送りながら、ルシラは自分の手のひらを見つめた。
長年、ストーブの熱とフライパンの重みで少しだけ硬くなった、自分の手。
ダリウスの手の甲にあった火傷の痕は、彼がルシラの痛みに寄り添おうとした、不器用な努力の証だった。
(……それでも、簡単に許せるわけじゃないわ)
ルシラはギュッと両手を握りしめ、自分に言い聞かせるように呟いた。
彼が生活を学んだからといって、過去の傷が消えるわけではない。
ルシラは再び前を向き、仕入れのために歩き出した。
しかし、彼女の心の中にあった絶対に相容れない冷酷な壁には、彼が刻んだ火傷の痕によって、ごく小さな亀裂が入り始めていた。
その一角に、ウォルターズ伯爵の出資によって完成した、ルシラの卵料理専門店がオープンして一ヶ月。
白と淡い黄色を基調とした洗練された外観の店は、連日、予約で席が埋まるほどの大盛況を見せていた。
「ルシラ、五番テーブルのお客様から、極上のオムレツの追加注文よ!」
「はい、すぐに焼き上げます!」
広々とした新しい厨房で、ルシラは最新式の大型オーブンと複数の石炭ストーブを一人で見事に使いこなしていた。
コレットも共同経営者としてホールを仕切り、二人の息はぴったりと合っている。
ランチの激務を終え、ようやく少しの休息が訪れた午後。
ルシラは新しい食材の仕入れを確認するため、店の裏口から市場へと向かっていた。
(明日のチーズスフレには、もう少し酸味のあるチーズを混ぜてみようかしら)
新しいレシピの構想に頭を巡らせながら歩いていたルシラの足が、ふと止まった。
市場の隅にある八百屋の前で、見覚えのある背中が、真剣な顔で野菜を選んでいた。
「……ダリウス?」
ルシラは思わず、物陰に身を隠した。
ダリウスは、以前の彼なら絶対に足を運ばないような市場で、泥のついたじゃがいもを一つ一つ手に取って見極めようとしていた。
常に完璧に仕立てられていたスーツは着ておらず、地味な平服に身を包んでいる。
彼が店主に硬貨を渡そうと手を伸ばした瞬間、ルシラの視線がその手に釘付けになった。
ダリウスの手の甲には、赤く痛々しい火傷の痕がいくつも刻まれていたのだ。
さらに、彼が着ている平服の袖口には、明らかに素人がアイロンがけに失敗したような、不自然なシワが寄っている。
(あの火傷の痕……オーブンか、アイロンで火傷したのね)
ルシラは物陰から、不器用な手つきで野菜を袋に入れるダリウスを見つめ続けた。
かつての彼なら、家事は「難易度の低いタスク」だと見下し、絶対に自分で手を動かそうとはしなかった。
姉のビアトリスに押し付けるか、金で解決していただろう。
しかし、今のダリウスは、明らかに自分で生活を回そうと泥臭くもがいている。
「ありがとう。また明日来るよ」
ダリウスが野菜の入った袋を抱え、少しだけ柔らかな表情で八百屋の店主に礼を言うのが見えた。
その声には、以前のような冷徹さや高慢さは微塵もなかった。
(あの人が、自分の力で生活の重みを学ぼうとしている……?)
あの日、冷え切ったスフレの前で全てを切り捨てたルシラの心に、ほんの微かな、だが確かな波紋が広がった。
彼は言葉だけの謝罪ではなく、実際に手を動かし、ルシラが毎日背負っていたものを理解しようとしているのだ。
ダリウスが市場を去っていく後ろ姿を見送りながら、ルシラは自分の手のひらを見つめた。
長年、ストーブの熱とフライパンの重みで少しだけ硬くなった、自分の手。
ダリウスの手の甲にあった火傷の痕は、彼がルシラの痛みに寄り添おうとした、不器用な努力の証だった。
(……それでも、簡単に許せるわけじゃないわ)
ルシラはギュッと両手を握りしめ、自分に言い聞かせるように呟いた。
彼が生活を学んだからといって、過去の傷が消えるわけではない。
ルシラは再び前を向き、仕入れのために歩き出した。
しかし、彼女の心の中にあった絶対に相容れない冷酷な壁には、彼が刻んだ火傷の痕によって、ごく小さな亀裂が入り始めていた。
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