捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

文字の大きさ
2 / 40

第2話:強面伯爵の健康理論

しおりを挟む
 翌朝、リディアが目を覚ますと、身体の節々の痛みが嘘のように引いていた。
 昨晩の黄金のスープの効果だろうか。
 鉛のように重かった四肢に、微かだが力が戻っている。

 リディアは身支度を整え、恐る恐る部屋を出た。
 辺境伯邸は、王宮のような煌びやかさは皆無だった。

 廊下に飾られた絵画もなく、花瓶も置かれていない。
 ただ、磨き上げられた石の床と、堅牢な柱が続いている。
 質実剛健。
 この屋敷の主人の気質そのものだ。

「……まずは、ご挨拶をしなければ」

 リディアは緊張で喉を鳴らした。
 昨夜は衰弱していたため意識が朦朧としていたが、改めて思い返せば、ジェラルド・ファン・ベルク辺境伯は噂通りの恐ろしい容貌をしていた。

 粗相があれば、すぐに雪山へ放り出されるかもしれない。
 王宮で「無能」「陰気」と罵られ続けてきたリディアの自己評価は、極限まで低いままだ。

 食堂へ向かうと、既にジェラルドは席についていた。
 長いテーブルの上座。
 新聞を広げ、片手でコーヒーカップを持っているだけなのに、まるで軍議の真っ最中のような威圧感がある。
 給仕をしているメイドの手が、小刻みに震えているのが見えた。

「お、おはようございます……、ジェラルド様」

 リディアが声をかけると、ジェラルドが新聞から顔を上げた。
 鋭い眼光がリディアを射抜く。
 思わず背筋が伸びる。

「……ふむ」

 ジェラルドは新聞を畳み、立ち上がってリディアの元へ歩み寄ってきた。
 巨大な影がリディアを覆う。
 殴られる――とまでは思わなかったが、リディアは反射的に目を伏せた。

 しかし、伸びてきた大きな手は、リディアの瞼を親指でくいっと持ち上げただけだった。

「眼球結膜の充血は解消。顔色も青白から薄桃色へ推移。……昨夜のスープで、グリコーゲンの再合成が上手くいったようだな」

「は、はい……? あ、ありがとうございます。とても美味しかったです」

「礼には及ばん。あれは料理というより、君という生体マシンの起動シーケンスだ」

 ジェラルドは満足げに頷くと、席に戻り、リディアにも着席を促した。
 出された朝食は、野菜をふんだんに使ったオムレツと、全粒粉のパン、そして果実水。
 彩り豊かで、見た目も美しい。

「さて、リディア・クロワ」

 食事の手を動かしながら、ジェラルドが切り出した。

「君をこの辺境に呼んだのは、ボランティアではない。君の技術が必要だからだ」

「私の、技術……、ですか?」

 リディアはフォークを止めた。
 王宮では掃除係扱いだった自分に、何を求めているのか。

「我が領地は、軍事と農業で国を支えているが、文化的な側面では未開の地だ。教会にある絵画はカビだらけ、出土する古美術品も扱いがわからず倉庫で腐っている。……君には、それらの修復と管理、そして美の観点からの助言を頼みたい」

 それは、リディアが王宮でやりたくてもやらせてもらえなかった、本来の専門職務だった。
 胸の奥が熱くなる。
 だが、すぐに不安が頭をもたげた。

「……ですが、私のような地味で暗い顔をしている女に、務まるでしょうか。王太子殿下にも、華がないと言われて……」

「華? 植物の話か?」

 ジェラルドは心底不思議そうに首を傾げた。

「君に必要なのは光合成能力ではない。知識と技術、そして論理的思考だ。それに、君が暗い顔をしているのは、君の責任ではない。管理不足による栄養失調だ」

 彼はコーヒーを一口飲み、リディアをじっと見た。
 その視線が鋭すぎて、近くにいた若いメイドが「ひっ」と小さな悲鳴を上げて盆を取り落としそうになる。
 銀食器が僅かな音を立てた。
 メイドは真っ青になり、震えながら平謝りする。

「も、申し訳ございません! 旦那様のお顔が、あまりにも怖……、いえ、威厳があって!」

「……気にするな」

 ジェラルドは表情一つ変えず、淡々と言った。

「恐怖による叫びや緊張は、肺活量を鍛え、瞬間的な血流を促進する。健康増進の一環として受け取っておこう」

「……え?」

 リディアは目を丸くした。
 今、この人は何を言ったのだろう。
 自分の顔が怖いことを認めた上で、それを健康法だと言い張ったのか?

「さて、契約の話に戻るぞ」

 ジェラルドは何事もなかったかのように続けた。

「君には王宮筆頭修復師に相応しい給与と、専用のアトリエ、そして必要な画材の購入権限を与える。予算については心配するな」

「で、ですが……、画材は高価です。特に顔料は……」

「問題ない。私が直接交渉する」

 ジェラルドはニヤリと――やはり子供が見たら泣き出しそうな――凶悪な笑みを浮かべた。

「いいことを教えてやろう、リディア。この顔を商談のテーブルに黙って置いておくだけで、相手の提示額が勝手に二割下がるんだ。私はこれを顔面割引と呼んで、経費削減の柱にしている」

 しんと静まり返っていた食堂の空気が、一瞬止まった。 

 リディアはぽかんと口を開けた。
 強面であることへのコンプレックスなど微塵も感じさせない、あまりにも論理的で、かつ自虐的なジョーク。

 不意に、リディアの喉から音が漏れた。

「ふ、ふふ……、顔面割引、ですか……」

 一度漏れた笑いは止まらなかった。
 王宮での陰湿な嫌がらせや、婚約破棄の理不尽さ。

 それらで凝り固まっていた心が、彼のぶっきらぼうな冗談で解れていく。
 気がつけば、リディアは声を上げて笑っていた。

「……ふん」

 笑い転げるリディアを見て、ジェラルドは照れくさそうに視線を逸らし、パンを齧った。

「私が笑うと社会問題になるが、君が笑う分には、まあ……、悪くない。免疫力も上がるだろう」

 その耳が少しだけ赤くなっていることに気づいたのは、リディアだけだった。
 怖い顔をして、栄養学を語り、変なジョークを言う領主様。
 ここなら、息ができるかもしれない。

「よろしくお願いいたします、ジェラルド様。……私、頑張って働きます」

 リディアが涙を拭って微笑むと、ジェラルドは眩しいものを見るように目を細めた。

 辺境での二日目の朝。
 質素な食堂には、久しぶりに温かな空気が流れていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。 だからこそ転生後に誓った―― 「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。 気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。 「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」 ――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。 なぜか気づけば、 ・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変 ・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功 ・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす ・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末 「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」 自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、 “やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。 一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、 実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。 「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」 働かないつもりだった貴族夫人が、 自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。 これは、 何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

厄介払いされてしまいました

たくわん
恋愛
侯爵家の次女エリアーナは、美人の姉ロザリンドと比べられ続け、十八年間冷遇されてきた。 十八歳の誕生日、父から告げられたのは「辺境の老伯爵に嫁げ」という厄介払いの命令。 しかし、絶望しながらも辺境へ向かったエリアーナを待っていたのは――。

仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!

ぽんちゃん
恋愛
 ――仕事で疲れて会えない。  十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。  記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。  そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?

婚約者を奪った妹と縁を切り、辺境領を継いだら勇者一行がついてきました

藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。 家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。 その“褒賞”として押しつけられたのは―― 魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。 けれど私は、絶望しなかった。 むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。 そして、予想外の出来事が起きる。 ――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。 「君をひとりで行かせるわけがない」 そう言って微笑む勇者レオン。 村を守るため剣を抜く騎士。 魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。 物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。 彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。 気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き―― いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。 もう、誰にも振り回されない。 ここが私の新しい居場所。 そして、隣には――かつての仲間たちがいる。 捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。 これは、そんな私の第二の人生の物語。

処理中です...