捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

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第15話:ヴィンテージの戦略

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 辺境の冬が明け、雪解け水が大地を潤す頃。
 リディアとジェラルドは、領地南部にある醸造所を訪れていた。

「……味は悪くない。だが、売れない」

 ジェラルドが試飲用のグラスを傾けながら、渋い顔をした。

 グラスの中にあるのは、この地で採れる山葡萄を使った赤ワインだ。
 深いルビー色をしており、香りも芳醇だ。
 しかし、市場での評価は田舎の安酒。
 二束三文で取引されているのが現状だった。

「酸味とタンニンのバランスは、私の計算通り最適化されているはずだ。土壌のpH調整から酵母の選定まで、完璧な管理下で行った。中身は王都の高級ワインに劣らない」

「はい、とても美味しいです。……ですが、ジェラルド様」

 リディアはテーブルに置かれたワインボトルを指差した。
 それは、どこにでもある寸胴な茶色の瓶に、ただ『赤葡萄酒』とだけ書かれた羊皮紙が雑に貼られただけの代物だった。

「人は味覚だけで味わうのではありません。視覚、そして物語を味わうのです」

「物語、だと?」

「はい。このボトルからは、とりあえず詰めましたという情報しか伝わってきません。中身が宝石のように素晴らしくても、それを包むドレスがボロボロでは、誰も手を取ろうとはしません」

 リディアはスケッチブックを取り出し、サラサラとペンを走らせた。

「ボトルを、芸術作品にしましょう」

 リディアが提案したのは、単なるラベルの変更ではなかった。

 ボトルの形状そのものを、花瓶としても使えるような流麗な曲線を持つデザインに変更。
 ガラスには、この領地の象徴である雪の結晶とポピーの花を浮き彫りで施す。

 そしてラベルには、リディアが描いた繊細な風景画――厳しい冬を越えて春を迎える辺境の美しさ――を印刷し、金箔でロゴを入れる。

「スノー・ルージュ(雪の紅)。……それが新しいブランド名です」

 完成したデザイン画を見て、ジェラルドは目を見開いた。

「……なるほど。いわゆるパケ買いという心理効果を狙うわけか。中身を飲み干した後も、ボトル自体がインテリアとして残る。付加価値の二重取りだ」

「はい。美味しいお酒は記憶に残りますが、美しいボトルは生活に残ります。それがブランドになるのです」

 ジェラルドはニヤリと笑った。

「採用だ。硝子工房と印刷所をフル稼働させるぞ。……君のセンスと私の味で、王都の貴族どもの舌と目を支配してやる」

     *

 その頃、王都の王宮では、別の意味でワインが話題になっていた。

「さあ、友好国の使節殿。これぞ我が国が誇る、百年物のヴィンテージワインだ」

 晩餐会の席で、アルフレッド王太子は自信満々に古びたボトルを掲げた。
 王家の地下貯蔵庫に眠っていた秘蔵の一本だ。

「ソムリエ、開けろ」

 恭しく抜栓されるコルク。
 しかし、グラスに注がれた瞬間、周囲の貴族たちは鼻を押さえた。

 漂ってきたのは、芳醇なブドウの香りではなく、ツンと鼻を突く強烈な酸っぱい臭い――「酢」の臭いだった。

「な、なんだこれは!?」
「で、殿下……、このワインは……、完全に酸化しております……」

 ソムリエが青ざめて告げる。
 会場がざわめく。

「腐っているのか?」

「王家は客人に酢を飲ませるのか?」

 という失笑が漏れる。

「ば、馬鹿な! これは最高級品だぞ!」

「管理の問題でございます……。コルクは乾燥し、縮んで隙間ができておりました。そこから空気が入り込み……」

 アルフレッドは顔を真っ赤にして立ち尽くした。

 かつてリディアが、定期的なリコルク(コルクの打ち直し)や液面の確認を口うるさく進言していたことを、彼はすっかり忘れていたのだ。

 たかが古い酒の管理など、誰でもできると高を括った結果が、外交の場での赤っ恥だった。

「そんな……、まさか、こんなことになるなんて……」

     *

 一方、辺境伯邸のテラス。
 夕日が沈み、空が群青色に染まる頃。

 リディアとジェラルドは、完成したばかりのスノー・ルージュの試作品をテーブルに置いていた。
 美しいレリーフ入りのボトルが、キャンドルの光を受けてキラキラと輝いている。

「乾杯しよう。……このワインの完成と、君の才能に」

 ジェラルドがグラスを差し出す。
 カチン、と澄んだ音が夜気に響いた。

「美味しい……。前よりも、ずっと美味しく感じます」

「ああ、そうだな。視覚情報による期待値の上昇が、味覚野を刺激し、ドーパミンの分泌を促進している」

 いつものように理屈っぽく語るジェラルドだが、その声はどこか弾んでいる。

 彼は自分のグラスを置き、もう一本、別のボトルを取り出した。
 それはスノー・ルージュではなく、少し古びたラベルのワインだった。

「これは?」

「……君の生まれ年のワインだ」

 リディアは息を呑んだ。
 ヴィンテージワイン。
 それは自分の年齢と同じだけ、静かに時を重ねてきた液体。

「たまたま貯蔵庫で見つけた。……管理状態は完璧だ。温度、湿度、振動、全て私がコントロールしていたからな」

 ジェラルドは器用にコルクを抜き、リディアのグラスに少量を注いだ。
 広がる香りは、若いワインのような華やかさはないが、腐葉土やなめし革のような、複雑で深みのあるアロマだった。

「……聞いた話では、王都では、管理を怠ったワインが酢になっていたそうだ。だが、正しく愛し、守られたものは、時間と共にこうして深みを増す」

 彼は真っ直ぐにリディアを見つめた。

「君も同じだ、リディア。不遇な環境で傷ついたかもしれないが、君という本質は腐っていない。むしろ、その経験が君にしかない深みを与えている」

 リディアはグラスを両手で包み込んだ。
 ワインの香りと、ジェラルドの言葉が、胸の奥深くまで染み渡っていく。

「……ジェラルド様の手にかかれば、私もいつか、素晴らしいヴィンテージになれるでしょうか」

「なれるさ。私が責任を持ってエスコートする」

 キザな台詞を真顔で言うところが彼らしい。
 リディアはふふっと笑い、グラスを傾けた。
 口の中に広がるのは、歳月を経た優しさと、少しの切なさ、そして未来への希望の味だった。

 美しいボトルに入った新しいワインと、古くて深いワイン。
 その両方が、今のリディアにはとても愛おしく感じられた。
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