「君の成果は私の指導のおかげ」と笑うモラハラ夫は、幼馴染みにご執心です。~では、私がいなくなったらどうなるか、拝見させていただきましょう~

水上

文字の大きさ
6 / 11

第6話:ゴミとなる努力と苦労の結晶

しおりを挟む
 深夜の執務室は、インクと古い紙の匂いが充満していた。
 ロザリンドは、最後の一行を書き終え、ペンを置いた。

 ずしりと重いその書類の束は、単なる報告書ではない。
 バークリー家の未来そのものだった。

「……できた」

 『王立陸軍制服・新素材採用に関する事業計画書』

 先日開発した撥水絹の技術を応用し、耐久性と防汚性に優れた軍用制服を提案するものだ。
 もしこれが採用されれば、今後十年にわたって工場は安泰となる。

 家計簿上の赤字は、ヴィンセントの散財と、ミエルの思いつきによる無駄な設備投資で膨れ上がっていた。

 ロザリンドは強張った肩を回し、窓の外を見た。

 空が白み始めている。
 また徹夜をしてしまった。

 けれど、これで文句は言わせない。
 ヴィンセントも、さすがにこの金額規模の契約を見れば、ロザリンドの仕事を認めざるを得ないはずだ。

 翌朝。
 ロザリンドは、朝食の席にその計画書を持ち込んだ。

 マナー違反であることは承知している。
 だが、ヴィンセントは午後からミエルを連れて観劇に出かける予定だ。

 話をするなら今しかなかった。

「ヴィンセント様。工場の資金繰りについて、重要なお話がございます」

 ロザリンドが切り出すと、ヴィンセントは不機嫌そうに新聞を畳んだ。

「朝から金の話か。君は本当に風情がないね。せっかくの食事が台無しだ」

「工場の支払いが迫っております。ですが、この計画書をご覧ください。軍部へのコネクションを持つ商会と提携し、大口の受注を取り付ける算段がつきました」

 ロザリンドは、分厚い書類をテーブルの上に広げた。
 緻密なコスト計算、生産ラインの工程表、そして予想される利益。

 それらは、彼女の知性と努力の結晶だった。

 ヴィンセントが気だるげに手を伸ばそうとした、その時だった。

「わぁっ! なにこれぇ、字がいっぱい!」

 隣に座っていたミエルが、横から覗き込んできた。
 彼女の手には、なみなみと注がれたミルクコーヒーのカップが握られている。

「ロザリンドさん、またこんな難しいこと考えてるんですかぁ? 眉間にシワ、寄っちゃいますよぉ」

 ミエルはくすくすと笑いながら、ロザリンドの顔を指差そうと身を乗り出した。

 その拍子だった。
 彼女の肘が、カップに当たった。

 鈍い音と共に、褐色の液体がテーブルの上に広がった。
 それは無慈悲な奔流となって、ロザリンドの計画書を飲み込んでいく。

「あ……っ!」

 ロザリンドは悲鳴を上げ、慌てて書類を救い出そうとした。
 だが、遅かった。

 安価な紙に吸い込まれたコーヒーは、瞬く間にインクを滲ませ、緻密な計算式を黒い染みへと変えていく。

 徹夜の結晶が。
 家の未来が。
 ただの汚れた紙束に変わった。

「な……、何を、して……」

 ロザリンドの声が震えた。血の気が引き、指先が冷たくなる。
 ミエルは口元を手で覆い、目を白黒させていた。

「あ、あれぇ? こぼれちゃった……。ごめんなさいぃ、カップが勝手に倒れてぇ……」

 勝手に倒れるわけがない。
 彼女が不注意に腕を振り回したからだ。

 ロザリンドの中で、何かが弾けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約なんてするんじゃなかったが口癖の貴方なんて要りませんわ

神々廻
恋愛
「天使様...?」 初対面の時の婚約者様からは『天使様』などと言われた事もあった 「なんでお前はそんなに可愛げが無いんだろうな。昔のお前は可愛かったのに。そんなに細いから肉付きが悪く、頬も薄い。まぁ、お前が太ったらそれこそ醜すぎるがな。あーあ、婚約なんて結ぶんじゃなかった」 そうですか、なら婚約破棄しましょう。

ここへ何をしに来たの?

恋愛
フェルマ王立学園での卒業記念パーティ。 「クリストフ・グランジュ様!」 凛とした声が響き渡り……。 ※小説になろう、カクヨム、pixivにも同じものを投稿しています。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

【完結】27王女様の護衛は、私の彼だった。

華蓮
恋愛
ラビートは、アリエンスのことが好きで、結婚したら少しでも贅沢できるように出世いいしたかった。 王女の護衛になる事になり、出世できたことを喜んだ。 王女は、ラビートのことを気に入り、休みの日も呼び出すようになり、ラビートは、休みも王女の護衛になり、アリエンスといる時間が少なくなっていった。

裏切りの街 ~すれ違う心~

緑谷めい
恋愛
 エマは裏切られた。付き合って1年になる恋人リュカにだ。ある日、リュカとのデート中、街の裏通りに突然一人置き去りにされたエマ。リュカはエマを囮にした。彼は騎士としての手柄欲しさにエマを利用したのだ。※ 全5話完結予定

覚悟はありますか?

翔王(とわ)
恋愛
私は王太子の婚約者として10年以上すぎ、王太子妃教育も終わり、学園卒業後に結婚し王妃教育が始まる間近に1人の令嬢が発した言葉で王族貴族社会が荒れた……。 「あたし、王太子妃になりたいんですぅ。」 ご都合主義な創作作品です。 異世界版ギャル風な感じの話し方も混じりますのでご了承ください。 恋愛カテゴリーにしてますが、恋愛要素は薄めです。

完結 愛される自信を失ったのは私の罪

音爽(ネソウ)
恋愛
顔も知らないまま婚約した二人。貴族では当たり前の出会いだった。 それでも互いを尊重して歩み寄るのである。幸いにも両人とも一目で気に入ってしまう。 ところが「従妹」称する少女が現れて「私が婚約するはずだった返せ」と宣戦布告してきた。

ここはあなたの家ではありません

風見ゆうみ
恋愛
「明日からミノスラード伯爵邸に住んでくれ」 婚約者にそう言われ、ミノスラード伯爵邸に行ってみたはいいものの、婚約者のケサス様は弟のランドリュー様に家督を譲渡し、子爵家の令嬢と駆け落ちしていた。 わたくしを家に呼んだのは、捨てられた令嬢として惨めな思いをさせるためだった。 実家から追い出されていたわたくしは、ランドリュー様の婚約者としてミノスラード伯爵邸で暮らし始める。 そんなある日、駆け落ちした令嬢と破局したケサス様から家に戻りたいと連絡があり―― そんな人を家に入れてあげる必要はないわよね? ※誤字脱字など見直しているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

処理中です...