白い結婚だったはずなのに、少し糖度が高すぎる気がするのですが。~殿下が今更復縁を懇願してきましたが、もう遅いです~

水上

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第16話:壁ドンの有効活用

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 その日の夕刻、ベルンシュタイン辺境伯邸の執務室には、穏やかな空気が流れていた。
 ヴィオラは、先日施工した制振テープの効果報告書をまとめていた。

「――以上のように、商人の荷車の破損率は90%減少しました。物流の安定化により、来月の税収予測は前年比15%増です」

 ヴィオラが眼鏡の位置を正しながら報告を終えると、執務机の向こうに座るブルーノが、書類から顔を上げた。

 彼は深く頷き、立ち上がる。

「完璧だ。お前が来てから、この領地の問題が次々と解決していく。まるで詰まっていた血管が通ったようだ」

 ブルーノが机を回り込み、ヴィオラの前へと歩み寄ってくる。
 その足取りは重厚で、猛獣が獲物に近づくような迫力があった。

 ヴィオラは思わず一歩後ずさる。背中が壁に触れた。

「か、閣下? 何か不備がございましたか? データなら再計算を……」

「違う」

 重い音が響いた。
 ブルーノの大きな手が、ヴィオラの顔のすぐ横、耳元の壁に叩きつけられたのだ。

 いわゆる壁ドンである。
 逃げ場を失ったヴィオラは、目の前に迫るブルーノの広い胸板と、琥珀色の瞳を見上げる形になった。

(こ、これは……、物理的拘束? 威圧行動? 心拍数が急上昇しています。交感神経が戦闘・逃走反応を示しているのでしょうか?)

 ヴィオラが混乱する中、ブルーノは真剣な眼差しで顔を近づけてきた。

「ヴィオラ。俺の本当の気持ちを、お前に伝えよう」

「は、はい……?」

「最初は契約だけのつもりだった。だが、お前の働き、そのひたむきな姿を見ているうちに、俺は……」

 ブルーノの顔がさらに近づく。
 あと数センチで唇が触れそうだ。

 甘い雰囲気が最高潮に達した、その時。

 微かな、しかしヴィオラの耳には雷鳴のように響く異音が聞こえた。

 ヴィオラの瞳孔が収縮する。
 視線がブルーノの瞳から、彼の手が置かれている壁へと高速移動した。

「ちょ、ちょっと待ってください閣下! 動きを止めて!」

 ヴィオラが悲鳴に近い声を上げる。
 ブルーノがピタリと止まり、少しだけ頬を染めた。

「……なんだ。今さら照れているのか? 俺は本気だぞ」

「そこです! あなたの手のひらの下! 壁が少し浮いています!」

「……は?」

 ブルーノのロマンチックな表情が凍りついた。

「よく見てください! その壁、先日のひび割れを補修した部分が、剥離を起こしかけています! 先ほどの衝撃で、完全に浮いてしまいました!」

 ヴィオラはブルーノの手をどかすどころか、逆に両手で彼の手の甲を上から押さえつけた。

「今離すと、壁が剥がれ落ちて修復が困難になります! そのまま! その圧力を維持してください! これは圧着不足です!」

「……それより、俺の話を」

「今は初期接着力の確保が最優先です! 感圧性接着剤は、適切な加圧によって被着体への濡れ性が向上し、真の強度を発揮するのです!」

 ヴィオラは必死の形相で懐中時計を取り出した。

「あと3分! 分子間力が作用して安定するまで、その体勢をキープしてください! 動いたら許しません!」

 ブルーノは大きく息を吐き、脱力したように肩を落とした。
 しかし、手だけは言われた通り、壁に押し付け続けている。

 彼は天井を仰ぎ、苦笑した。

「……俺は今、壁の補修要員として壁ドンしているのか?」

「はい! 非常に助かります。閣下の腕力による均一な面圧は、どんな締め具よりも優秀です!」

「……褒められている気がしないな」

 それでもブルーノは手を離さなかった。
 至近距離で、真剣に壁紙の状態を凝視するヴィオラの横顔。

 その眼鏡の奥の瞳があまりに真剣で、ブルーノは「まあ、これもお前らしいか」と、諦めにも似た愛おしさを噛み締めていた。

 一方その頃。王都の郊外では、圧着不足どころではない、致命的な破壊が起きていた。
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