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第14話:乙女心
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領地の衛生改革が軌道に乗り始めた頃、エレノアは新たな課題を発見していた。
それは、屋敷で働くメイドたちの頭髪の状態である。
「……キューティクルの損傷が著しいですね」
朝の支度を手伝ってくれるメイドの髪を見つめ、エレノアは独りごちた。
彼女たちの髪は、総じてゴワゴワとしており、櫛を通すたびにプチプチと切れる音がする。
艶はなく、乾燥した藁のようだ。
「え? あ、はい……。生まれつき、髪質が悪くて……」
メイドが恥ずかしそうに下を向く。
エレノアは眼鏡を押し上げ、即座に否定した。
「いいえ、遺伝的要因の問題ではありません。原因は、洗浄剤のアルカリ残留です」
一般的に流通している石鹸は、木灰などを使った簡易的なもので、アルカリ性が非常に強い。
これで髪を洗えば、キューティクルが開きっぱなしになり、内部のタンパク質が流出するのは化学的必然だ。
ましてや、硬度の高い井戸水を使っていれば、石鹸カスが髪に付着し、手触りは最悪になる。
「開いたキューティクルは閉じればいいのです。残留アルカリは中和します」
エレノアの瞳が、研究者の色に染まった。
彼女にとって、汚れている、荒れている状態を放置するのは、実験器具を洗わずに放置するのと同じくらい耐え難いことだったのだ。
翌日、エレノアは研究棟から大量の琥珀色の液体が入った瓶と、白くなめらかな固形物を運ばせた。
使用人たちを集め、説明会を開く。
「これはクエン酸リンスと、過剰油脂製法で作った美容石鹸です」
エレノアは琥珀色の液体を掲げた。
「従来の石鹸で洗髪した後、この液体をお湯で薄めて髪をすすいでください。原理は単純です。アルカリ性に傾いた髪を、酸性で中和し、pH値を弱酸性に戻すのです。そうすれば、静電気反発が解消され、キューティクルが収斂します」
メイドたちは「ぴーえいち?」「きゅーてぃくる?」と首を傾げている。
エレノアはため息をつき、一番髪の傷みが激しいメイドを手招きした。
「百聞は一見に如かず。実験台になってもらいます」
――数十分後。
「きゃあああああっ!」
悲鳴のような歓声が、洗い場に響き渡った。
実験台になったメイドが、鏡の前で震えている。
「うそ……、これ、私の髪? 本当に?」
彼女の指が、髪の間を抵抗なく滑り落ちる。
ゴワゴワだった髪は、光を反射して天使の輪を浮かべていた。
手触りはシルクのように滑らかで、しっとりとまとまっている。
「魔法だわ……! 奥様が魔法をかけてくださったのよ!」
「中和反応です」
エレノアは冷静に訂正したが、興奮する女性たちの耳には届かない。
「私も!」「私も使わせてください!」と殺到するメイドたち。
その日から、屋敷の女性たちの髪は劇的に変わった。
髪が綺麗になると、彼女たちは自然と表情も明るくなり、鏡を見る回数が増えた。
背筋が伸び、制服の着こなしまで洗練されていく。
「……興味深いデータです」
その様子を観察日誌につけながら、エレノアは頷いた。
「外見的形質の向上が、自己肯定感の上昇に正の相関を示しています。美容とは、心理的恒常性を保つための有効な手段と言えますね」
「相変わらず理屈っぽいな」
背後から苦笑混じりの声がした。
アレクセイだ。
彼はエレノアの艶やかなアッシュブロンドの髪に、愛おしげに触れた。
「だが、お前のおかげで領内の女性たちが笑顔になったのは事実だ。……男としても、妻が綺麗になるのは悪い気はしない」
「閣下も試されますか? 剛毛の軟化にも効果がありますよ」
「俺はいい。それより、相談がある」
アレクセイの表情が、領主の顔に切り替わった。
「この石鹸とリンス、市場に出してみないか?」
彼のその提案は、吉と出るのか、それとも……。
それは、屋敷で働くメイドたちの頭髪の状態である。
「……キューティクルの損傷が著しいですね」
朝の支度を手伝ってくれるメイドの髪を見つめ、エレノアは独りごちた。
彼女たちの髪は、総じてゴワゴワとしており、櫛を通すたびにプチプチと切れる音がする。
艶はなく、乾燥した藁のようだ。
「え? あ、はい……。生まれつき、髪質が悪くて……」
メイドが恥ずかしそうに下を向く。
エレノアは眼鏡を押し上げ、即座に否定した。
「いいえ、遺伝的要因の問題ではありません。原因は、洗浄剤のアルカリ残留です」
一般的に流通している石鹸は、木灰などを使った簡易的なもので、アルカリ性が非常に強い。
これで髪を洗えば、キューティクルが開きっぱなしになり、内部のタンパク質が流出するのは化学的必然だ。
ましてや、硬度の高い井戸水を使っていれば、石鹸カスが髪に付着し、手触りは最悪になる。
「開いたキューティクルは閉じればいいのです。残留アルカリは中和します」
エレノアの瞳が、研究者の色に染まった。
彼女にとって、汚れている、荒れている状態を放置するのは、実験器具を洗わずに放置するのと同じくらい耐え難いことだったのだ。
翌日、エレノアは研究棟から大量の琥珀色の液体が入った瓶と、白くなめらかな固形物を運ばせた。
使用人たちを集め、説明会を開く。
「これはクエン酸リンスと、過剰油脂製法で作った美容石鹸です」
エレノアは琥珀色の液体を掲げた。
「従来の石鹸で洗髪した後、この液体をお湯で薄めて髪をすすいでください。原理は単純です。アルカリ性に傾いた髪を、酸性で中和し、pH値を弱酸性に戻すのです。そうすれば、静電気反発が解消され、キューティクルが収斂します」
メイドたちは「ぴーえいち?」「きゅーてぃくる?」と首を傾げている。
エレノアはため息をつき、一番髪の傷みが激しいメイドを手招きした。
「百聞は一見に如かず。実験台になってもらいます」
――数十分後。
「きゃあああああっ!」
悲鳴のような歓声が、洗い場に響き渡った。
実験台になったメイドが、鏡の前で震えている。
「うそ……、これ、私の髪? 本当に?」
彼女の指が、髪の間を抵抗なく滑り落ちる。
ゴワゴワだった髪は、光を反射して天使の輪を浮かべていた。
手触りはシルクのように滑らかで、しっとりとまとまっている。
「魔法だわ……! 奥様が魔法をかけてくださったのよ!」
「中和反応です」
エレノアは冷静に訂正したが、興奮する女性たちの耳には届かない。
「私も!」「私も使わせてください!」と殺到するメイドたち。
その日から、屋敷の女性たちの髪は劇的に変わった。
髪が綺麗になると、彼女たちは自然と表情も明るくなり、鏡を見る回数が増えた。
背筋が伸び、制服の着こなしまで洗練されていく。
「……興味深いデータです」
その様子を観察日誌につけながら、エレノアは頷いた。
「外見的形質の向上が、自己肯定感の上昇に正の相関を示しています。美容とは、心理的恒常性を保つための有効な手段と言えますね」
「相変わらず理屈っぽいな」
背後から苦笑混じりの声がした。
アレクセイだ。
彼はエレノアの艶やかなアッシュブロンドの髪に、愛おしげに触れた。
「だが、お前のおかげで領内の女性たちが笑顔になったのは事実だ。……男としても、妻が綺麗になるのは悪い気はしない」
「閣下も試されますか? 剛毛の軟化にも効果がありますよ」
「俺はいい。それより、相談がある」
アレクセイの表情が、領主の顔に切り替わった。
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