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第24話:破産
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王都における天使の石鹸事件と毒水騒動により、カレンの立場は崖っぷちどころか、すでに崖から片足を踏み外していた。
だが、愚か者は往々にして、落ちる寸前まで自分が飛べると信じているものである。
「まだよ……。まだ終わってないわ! これさえ成功すれば、みんな私を見直すはずよ!」
ベリー男爵家の屋敷の一室で、カレンは目の前の大鍋を必死にかき混ぜていた。
中に入っているのは、石灰と、硫黄の粉末、そして水を混ぜ合わせたドロドロの液体だ。
彼女の記憶にあるエレノアの研究メモには、『ケラチンタンパク質の構造結合を一時的に切断し、再結合させることで髪の形状を制御する』という記述があった。
いわゆるパーマ液や縮毛矯正剤の理論だ。
しかし、カレンの脳内では、都合よく変換されていた。
(結合を切るってことは、固い髪を柔らかくするってことでしょ? で、硫黄は温泉の成分だから体にいいはず! これを塗れば、どんな剛毛もシルクみたいになるわ!)
彼女が作っているのは、還元剤の濃度調整もpH調整もされていない、いわば強力な除毛クリームに近い劇薬だった。
だが、彼女にそれを知る術はない。
「見てなさいエレノア。あんたのリンスなんて目じゃない、奇跡の髪艶剤を作ってやるんだから!」
数日後。
カレンは、最後の望みをかけて、王都の広場で実演販売を行った。
度重なる失敗で人は集まらなかったが、興味本位で立ち止まった一人の貴族女性がいた。
髪のくせ毛に悩む、子爵夫人だ。
「……本当に、髪が綺麗になるの? 痛くなったりしない?」
「もちろんです! 私の実家である男爵家の全財産をかけて開発しましたの! 塗って数分待つだけで、生まれ変わったような手触りになりますわ!」
カレンの必死の形相に押され、夫人は腕の産毛で試すこともせず、いきなり自慢の長髪の一部に薬剤を塗布することに同意した。
薬剤を塗ると、独特の硫黄臭が漂った。
夫人が顔をしかめる。
「くさくない?」
「効いている証拠ですわ! さあ、そろそろ拭き取りますよ!」
カレンは自信満々に、薬剤を塗った髪をタオルで掴み、スーッと引いた。
奇妙な感触があった。
タオルの下から現れるはずの、艶やかになった髪が見当たらない。
代わりに、カレンの手元のタオルには、ごっそりと抜け落ちた髪の束が張り付いていた。
「……え?」
カレンが固まる。
夫人が、自分の頭に手をやった。
指先が、何もないツルツルの頭皮に触れる。
「……あ、あれ? 私の髪……、どこ?」
鏡を見た夫人の目が、限界まで見開かれた。
薬剤を塗った部分だけ、見事に、完全に、根本から髪が消滅していたのだ。
塗布範囲全域の完全脱毛である。
「いやあああああああああああああああっ!!!」
王都の広場に、この世の終わりかと思うような絶叫が響き渡った。
「私の髪が! 髪がああああ!」
「ち、違うの! これは、その、古い髪を脱ぎ捨てて新しい髪が生えてくる準備で……!」
カレンが真っ青な顔で言い訳をするが、夫人は半狂乱で暴れだした。
「ふざけないで! 来月は娘の結婚式なのよ!? この頭でどうやって出ればいいのよ! 殺してやる! お前も、お前の家も、絶対に許さないからあああ!!」
騒ぎを聞きつけた衛兵たちが駆けつける。
カレンは腰を抜かし、その場に崩れ落ちた。
彼女の視線の先で、手には大量の抜け毛が握りしめられていた。
それは、二度と戻らない彼女の未来そのものだった。
その日のうちに、子爵家からベリー男爵家に対して、天文学的な金額の慰謝料請求が叩きつけられた。
さらに、過去の石鹸被害やクリーム被害の訴訟も一気に加速。
ベリー男爵家は屋敷、領地、家財道具の一切を差し押さえられ、即日、破産が確定した。
だが、愚か者は往々にして、落ちる寸前まで自分が飛べると信じているものである。
「まだよ……。まだ終わってないわ! これさえ成功すれば、みんな私を見直すはずよ!」
ベリー男爵家の屋敷の一室で、カレンは目の前の大鍋を必死にかき混ぜていた。
中に入っているのは、石灰と、硫黄の粉末、そして水を混ぜ合わせたドロドロの液体だ。
彼女の記憶にあるエレノアの研究メモには、『ケラチンタンパク質の構造結合を一時的に切断し、再結合させることで髪の形状を制御する』という記述があった。
いわゆるパーマ液や縮毛矯正剤の理論だ。
しかし、カレンの脳内では、都合よく変換されていた。
(結合を切るってことは、固い髪を柔らかくするってことでしょ? で、硫黄は温泉の成分だから体にいいはず! これを塗れば、どんな剛毛もシルクみたいになるわ!)
彼女が作っているのは、還元剤の濃度調整もpH調整もされていない、いわば強力な除毛クリームに近い劇薬だった。
だが、彼女にそれを知る術はない。
「見てなさいエレノア。あんたのリンスなんて目じゃない、奇跡の髪艶剤を作ってやるんだから!」
数日後。
カレンは、最後の望みをかけて、王都の広場で実演販売を行った。
度重なる失敗で人は集まらなかったが、興味本位で立ち止まった一人の貴族女性がいた。
髪のくせ毛に悩む、子爵夫人だ。
「……本当に、髪が綺麗になるの? 痛くなったりしない?」
「もちろんです! 私の実家である男爵家の全財産をかけて開発しましたの! 塗って数分待つだけで、生まれ変わったような手触りになりますわ!」
カレンの必死の形相に押され、夫人は腕の産毛で試すこともせず、いきなり自慢の長髪の一部に薬剤を塗布することに同意した。
薬剤を塗ると、独特の硫黄臭が漂った。
夫人が顔をしかめる。
「くさくない?」
「効いている証拠ですわ! さあ、そろそろ拭き取りますよ!」
カレンは自信満々に、薬剤を塗った髪をタオルで掴み、スーッと引いた。
奇妙な感触があった。
タオルの下から現れるはずの、艶やかになった髪が見当たらない。
代わりに、カレンの手元のタオルには、ごっそりと抜け落ちた髪の束が張り付いていた。
「……え?」
カレンが固まる。
夫人が、自分の頭に手をやった。
指先が、何もないツルツルの頭皮に触れる。
「……あ、あれ? 私の髪……、どこ?」
鏡を見た夫人の目が、限界まで見開かれた。
薬剤を塗った部分だけ、見事に、完全に、根本から髪が消滅していたのだ。
塗布範囲全域の完全脱毛である。
「いやあああああああああああああああっ!!!」
王都の広場に、この世の終わりかと思うような絶叫が響き渡った。
「私の髪が! 髪がああああ!」
「ち、違うの! これは、その、古い髪を脱ぎ捨てて新しい髪が生えてくる準備で……!」
カレンが真っ青な顔で言い訳をするが、夫人は半狂乱で暴れだした。
「ふざけないで! 来月は娘の結婚式なのよ!? この頭でどうやって出ればいいのよ! 殺してやる! お前も、お前の家も、絶対に許さないからあああ!!」
騒ぎを聞きつけた衛兵たちが駆けつける。
カレンは腰を抜かし、その場に崩れ落ちた。
彼女の視線の先で、手には大量の抜け毛が握りしめられていた。
それは、二度と戻らない彼女の未来そのものだった。
その日のうちに、子爵家からベリー男爵家に対して、天文学的な金額の慰謝料請求が叩きつけられた。
さらに、過去の石鹸被害やクリーム被害の訴訟も一気に加速。
ベリー男爵家は屋敷、領地、家財道具の一切を差し押さえられ、即日、破産が確定した。
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