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第14話:商会との密約
王都の下町、石畳の路地裏にひっそりと佇む煉瓦造りの建物があった。
一見すると古びた倉庫だが、看板のない重厚な扉の向こうには、各国の大商人たちが密談を行うための会員制サロンが広がっている。
セシリアは、深緑色のフード付きマントを目深に被り、その扉をくぐった。
王宮では今頃、アリスがまた何か騒ぎを起こし、テオドールがその対応に追われているはずだ。
だが、セシリアにとってそれは、彼女の不在をごまかすための絶好の煙幕でしかなかった。
「お待ちしておりました、マダム・C」
支配人に案内されたのは、最奥にある防音完備の個室だった。
部屋の中央には、マホガニーのテーブルを挟んで、一人の初老の男性が座っている。
隣国、ガレリア帝国を拠点とする最大手の貿易商社ヴァルター商会の総帥、グスタフ・ヴァルターその人だ。
彼は鋭い眼光で入室してきたセシリアを見据えると、ゆっくりと立ち上がった。
「お初にお目にかかります。……噂の天才調合師殿」
「お時間をいただき光栄です、ヴァルター会長」
セシリアはフードを外し、露わになったプラチナブロンドの髪を優雅に払いながら席についた。
その堂々とした振る舞いに、老練な商会長の眉がわずかに動く。
「単刀直入に申し上げましょう。あなたが送ってこられたサンプル――崩れないファンデーションと発光する美容液。あれは本物ですか?」
「疑われるのも無理はありませんわ。これまでの化粧品とは、基礎理論が異なりますから」
セシリアは鞄から数冊のファイルをテーブルに滑らせた。
そこには、製品の成分分析表、製造工程のフローチャート、そして向こう三年の市場予測と収支計画が、恐ろしいほど緻密に記されていた。
ヴァルター会長は黙ってファイルを開き、ページを繰った。
最初の数ページで、彼の表情から品定めの色が消え、真剣なビジネスマンの顔つきへと変わる。
さらに読み進めるうちに、その額には脂汗が滲み始めた。
「……信じ難い。植物由来の成分だけで、これほどの保存性と効果を実現できるとは。それに、この製造ラインの設計図……、無駄が一切ない。まるで熟練の工学技師が書いたようだ」
「感情や勘に頼るから品質がブレるのです。私は全てを数値化し、再現可能な科学に落とし込みました」
セシリアは淡々と告げた。
自信過剰なのではない。
事実を述べているだけだ。
彼女が研究所で積み上げてきた膨大な実験データは、アリスのような素人が適当に混ぜ合わせたものとは次元が違う。
「素晴らしい……。これなら、帝国の貴族層だけでなく、大陸中の女性を虜にできるでしょう」
ヴァルター会長はファイルを閉じ、深く息を吐いた。
そして、探るような視線をセシリアに向けた。
「しかし、解せませんな」
「何がでしょう?」
「あなたのその知性と美貌。そして、このサンタリア王国の公印が押された極秘資料にアクセスできる立場。……あなたは、王太子妃セシリア殿下ですね?」
セシリアは否定しなかった。
ただ、静かに紅茶を一口飲んだ。
ヴァルター会長は続ける。
「王太子妃ともあろうお方が、なぜ自国の王家を通さず、我が商会と手を組もうとなさるのです? この技術を王立研究所の成果として発表すれば、あなたの夫君である王太子殿下の名声も高まるはずだ」
もっともな疑問だ。
常識的に考えれば、夫を支え、国を富ませるのが王族の義務である。
セシリアはカップをソーサーに戻し、冷たく澄んだ瞳で会長を見返した。
「会長。あなたは、最高級のダイヤモンドを、泥の中に投げ込みますか?」
「……は?」
「泥の中でその輝きが曇り、誰にも気づかれず、あるいは価値のわからぬ者に踏みつけられるとしても、それを義務だと思いますか?」
セシリアの脳裏に浮かぶのは、テオドールの顔だ。
『君ならできて当たり前だ』
『アリスの気持ちを汲んでやれ』
彼にとって、セシリアの技術は、あって当然の便利機能であり、敬意を払う対象ではなかった。
アリスが適当に作った泥団子を努力の結晶と褒め称え、セシリアが磨き上げたダイヤモンドを冷たい石と呼ぶ場所。
そこに留まり続ける義理など、もう残っていない。
一見すると古びた倉庫だが、看板のない重厚な扉の向こうには、各国の大商人たちが密談を行うための会員制サロンが広がっている。
セシリアは、深緑色のフード付きマントを目深に被り、その扉をくぐった。
王宮では今頃、アリスがまた何か騒ぎを起こし、テオドールがその対応に追われているはずだ。
だが、セシリアにとってそれは、彼女の不在をごまかすための絶好の煙幕でしかなかった。
「お待ちしておりました、マダム・C」
支配人に案内されたのは、最奥にある防音完備の個室だった。
部屋の中央には、マホガニーのテーブルを挟んで、一人の初老の男性が座っている。
隣国、ガレリア帝国を拠点とする最大手の貿易商社ヴァルター商会の総帥、グスタフ・ヴァルターその人だ。
彼は鋭い眼光で入室してきたセシリアを見据えると、ゆっくりと立ち上がった。
「お初にお目にかかります。……噂の天才調合師殿」
「お時間をいただき光栄です、ヴァルター会長」
セシリアはフードを外し、露わになったプラチナブロンドの髪を優雅に払いながら席についた。
その堂々とした振る舞いに、老練な商会長の眉がわずかに動く。
「単刀直入に申し上げましょう。あなたが送ってこられたサンプル――崩れないファンデーションと発光する美容液。あれは本物ですか?」
「疑われるのも無理はありませんわ。これまでの化粧品とは、基礎理論が異なりますから」
セシリアは鞄から数冊のファイルをテーブルに滑らせた。
そこには、製品の成分分析表、製造工程のフローチャート、そして向こう三年の市場予測と収支計画が、恐ろしいほど緻密に記されていた。
ヴァルター会長は黙ってファイルを開き、ページを繰った。
最初の数ページで、彼の表情から品定めの色が消え、真剣なビジネスマンの顔つきへと変わる。
さらに読み進めるうちに、その額には脂汗が滲み始めた。
「……信じ難い。植物由来の成分だけで、これほどの保存性と効果を実現できるとは。それに、この製造ラインの設計図……、無駄が一切ない。まるで熟練の工学技師が書いたようだ」
「感情や勘に頼るから品質がブレるのです。私は全てを数値化し、再現可能な科学に落とし込みました」
セシリアは淡々と告げた。
自信過剰なのではない。
事実を述べているだけだ。
彼女が研究所で積み上げてきた膨大な実験データは、アリスのような素人が適当に混ぜ合わせたものとは次元が違う。
「素晴らしい……。これなら、帝国の貴族層だけでなく、大陸中の女性を虜にできるでしょう」
ヴァルター会長はファイルを閉じ、深く息を吐いた。
そして、探るような視線をセシリアに向けた。
「しかし、解せませんな」
「何がでしょう?」
「あなたのその知性と美貌。そして、このサンタリア王国の公印が押された極秘資料にアクセスできる立場。……あなたは、王太子妃セシリア殿下ですね?」
セシリアは否定しなかった。
ただ、静かに紅茶を一口飲んだ。
ヴァルター会長は続ける。
「王太子妃ともあろうお方が、なぜ自国の王家を通さず、我が商会と手を組もうとなさるのです? この技術を王立研究所の成果として発表すれば、あなたの夫君である王太子殿下の名声も高まるはずだ」
もっともな疑問だ。
常識的に考えれば、夫を支え、国を富ませるのが王族の義務である。
セシリアはカップをソーサーに戻し、冷たく澄んだ瞳で会長を見返した。
「会長。あなたは、最高級のダイヤモンドを、泥の中に投げ込みますか?」
「……は?」
「泥の中でその輝きが曇り、誰にも気づかれず、あるいは価値のわからぬ者に踏みつけられるとしても、それを義務だと思いますか?」
セシリアの脳裏に浮かぶのは、テオドールの顔だ。
『君ならできて当たり前だ』
『アリスの気持ちを汲んでやれ』
彼にとって、セシリアの技術は、あって当然の便利機能であり、敬意を払う対象ではなかった。
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そこに留まり続ける義理など、もう残っていない。
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