殿下から婚約破棄された後、戻ってきてくれと懇願されましたがもう遅いです。~契約結婚のはずなのに、溺愛されている気がするのですが~

水上

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第35話:冷たい風と温かい麺

 王都の空は鉛色に閉ざされ、容赦のない寒風が吹き荒れていた。
 かつて栄華を極めた石造りの街並みは、今や見る影もない。

 通りには職を失った人々が溢れ、飢えた犬がゴミ箱を漁っている。
 小麦の腐敗による食糧危機、外交問題による経済制裁、そして王太子の失脚。

 この国は、たった一冬で傾きかけていた。

 そんな王都の場末にある広場に、長い行列ができていた。
 炊き出しの列である。

 その最後尾に、ボロ布のようなコートを羽織り、寒さに震える男女の姿があった。

「……寒いわ。足の感覚がないの。ねえ、まだなの?」

 掠れた声で不満を漏らすのは、かつてブロンドの髪を愛らしく揺らしていた男爵令嬢、ロザリー・バーンズだ。

 今の彼女に、あの頃の輝きはない。
 髪は脂で汚れ、頬はこけ、自慢のドレスは泥にまみれている。

「黙っていろ。喋ると余計に腹が減る」

 隣で吐き捨てるように答えた男もまた、酷い有様だった。
 元王太子、ジュリアン。

 北の辺境から追い返された彼を待っていたのは、激怒した国王からの廃嫡の宣告だった。

 『国益を損ない、外交を破綻させ、民を飢えさせた罪は重い』

 王族としての身分を剥奪され、資産も没収。
 平民以下の罪人として、王都の路地裏へと放り出されたのだ。

「……どうして、こうなったんだ」

 ジュリアンは凍傷になりかけた手を擦り合わせながら、虚ろな目で呟いた。

 半年前までは、王宮の暖かな部屋で、最高級のワインと料理を味わっていたはずだった。
 ロザリーとの真実の愛があれば、世界は輝くはずだった。

 だが現実にあるのは、空腹と寒さ、そして互いを罵り合うだけの冷え切った関係だけだ。

「あなたが悪いのよ、ジュリアン。セレス様を連れ戻せなかったから……」

「お前こそ! 製粉工場さえ潰さなければ、こんなことにはならなかった!」

「私のせいじゃないわ! あんな古い水車が悪いのよ!」

 二人が言い争っていると、前方から湯気と共に、何とも言えない香ばしい匂いが漂ってきた。

 カツオや昆布に似た出汁の香りと、小麦の甘い香り。
 二人の腹が、グゥと情けない音を立てた。

 争う気力すら奪う、圧倒的な食の暴力だ。

「……次はあんたらか。ほらよ、熱いから気をつけてな」

 炊き出しのボランティアが無造作に突き出したのは、木の椀に入った温かい麺料理だった。

 具は少ない。
 刻んだネギと、薄い塩漬け肉が一切れだけ。

 だが、透き通った黄金色のスープの中で泳ぐ麺は、艶々と輝いていた。

「……あ、ありがとう……」

 プライドも捨てて椀を受け取り、二人は広場の隅の石段に座り込んだ。
 湯気が顔にかかるだけで、涙が出そうになるほど温かい。

「い、いただきます……」

 ジュリアンは震える手で箸を持ち、麺を啜った。

 その瞬間、彼の目が見開かれた。
 
(……なんだ、これは)

 口の中に広がったのは、衝撃的なコシだった。
 王都で食べていた、すぐにふやけてデロデロになる麺とは違う。

 表面はツルツルと滑らかで、噛むとモチッとした弾力が歯を押し返してくる。
 喉を通る瞬間の心地よさは、乾ききった食道を優しく撫でていくようだ。

 そして何より、味が濃い。
 スープの味ではない。

 麺そのものが持つ、小麦本来の力強い風味が、噛むほどに溢れ出してくるのだ。

「う……、美味い……」

 ジュリアンの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。

 ただの麺だ。
 特別な料理ではない。

 なのに、今まで食べたどの宮廷料理よりも、五臓六腑に染み渡る。

「……おいしい。何これ、すごく温まる……」

 隣のロザリーも、夢中で啜っていた。
 冷え切った体に熱が戻り、指先の感覚が蘇ってくる。

 これ一杯で、生き返るようだ。

 その時、配給所の男たちが話している声が聞こえてきた。

 その内容に、ジュリアンは衝撃を受けるのだった。

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