王太子から婚約破棄されましたが、インフラを支えていたの、実は私なんです~辺境改革で忙しいので、今さら復縁要請されても遅いです~

水上

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第3話:辺境への旅路とプレゼント

 王都を出てから三日が経過していた。
 辺境伯領への旅路は、予想以上に過酷なものだった。

 特にヴィオラにとって最大の敵となったのは、馬車の振動である。

「……垂直方向の加速度が許容範囲を超えています」

 ガタン、と車輪が大きな石を乗り越えるたび、ヴィオラの身体は座席から浮き上がり、そして叩きつけられる。

 ヴィオラは眼鏡の位置を直しながら、眉間に皺を寄せた。

「車軸のサスペンション機能が皆無ですね。これでは乗員の疲労蓄積率が、平坦な道と比較して三・五倍に達します。早急に板バネの改良と、車輪へのゴムタイヤ装着が必要です」

「……すまん。辺境への道は整備が行き届いていないんだ。もう少しで休憩地点だ」

 向かいの席に座るルーファスが、申し訳なさそうに眉を下げた。

 強面の大男が狭い馬車の中で縮こまっている様子は、猛獣が檻に入れられているようで少々気の毒だった。

「謝罪は不要です、閣下。これはインフラ整備の必要性を裏付ける貴重なデータです。振動数と衝撃の大きさを記録していますので、後の道路舗装計画に役立てます」

「……お前は、本当にたくましいな」

 ルーファスは感心したように、あるいは呆れたように呟いた。

 やがて馬車は街道を外れ、森の中の開けた場所で停止した。
 御者が馬を休ませるための休憩だ。

 ルーファスが先に降り、ヴィオラに手を貸そうと振り返る。
 だが、ヴィオラは降りる前に、足元の木箱から黒い物体を取り出した。

「閣下。こちらを」

 差し出されたのは、無骨な黒色の履物だった。
 厚手のゴムで一体成型された、泥除け用の長靴である。

「……これは?」

「ゴム製長靴の試作品です。昨今の雨で地面がぬかるんでいますから、革のブーツでは傷んでしまいます。辺境の視察には便利かと存じまして、契約期間中の安全確保のために持参しました」

 ルーファスは目を丸くして、その長靴を受け取った。
 彼のような大男に合う靴など、既製品ではまず見つからない。

 特注で作らせるにしても、足の採寸が必要なはずだ。

(……俺のために、わざわざ用意してくれたのか?)

 ルーファスの胸の内で、温かいものが込み上げた。
 政略的な契約結婚とはいえ、妻となる女性から贈り物をもらうのは初めての経験だった。

 しかも、自分のことを考えて準備してくれていたという事実が、彼の胸を締め付けた。

「……ありがとう。履かせてもらう」

 ルーファスがおずおずと足を入れると、驚くべきことが起きた。
 踵から爪先まで、吸い付くようにフィットしたのだ。

 きつくもなく、緩くもない。
 まるで長年履き慣れた靴のような一体感。

「……サイズ、合ってるな。完璧だ」

 ルーファスは驚愕と共にヴィオラを見た。

(いつの間に測ったんだ? 出会ってからまだ数回しか会っていないのに。もしかして、ずっと俺のことを見ていてくれたのか?)

 強面の頬が、ほんのりと赤く染まる。

「快適な履き心地を提供するのも業務の内です」

 しかし、馬車から降りたヴィオラは、平然と言い放った。

「以前お会いした際、閣下の歩幅と足跡の沈み込み具合から、足長と足囲を推測しました。誤差はプラスマイナス二ミリ以内に収めてあります」

「……歩幅と足跡だけで?」

「ええ。人間工学に基づけば容易な計算です。機動力が低下しては、私の護衛業務に支障が出ますからね」

 ルーファスの感動は、急速に冷却された。
 愛や関心ではなく、単なる物理演算の結果だったらしい。

「そうか……、業務の内、か。」

「はい。グリップ力も強化してありますので、泥地でも滑りません。さあ、参りましょう」

 ヴィオラはさっさと歩き出す。
 ルーファスはぴったりの長靴を見つめ、深いため息をついた。

(……まあいい。物がいいのは確かだ。大事に使おう)

 小川のほとりで昼食休憩となった。
 ルーファスが馬車から大きなバスケットを取り出した。

「……これを食え」

 彼が広げたのは、色鮮やかな弁当だった。
 ふっくらとした白パンのサンドイッチには、ローストチキンと新鮮な野菜がたっぷりと挟まれている。
 
 保温ポットからは、根菜と豆が煮込まれた温かいスープの香りが漂ってきた。

「これは……?」

「俺が作ったものだ」

「閣下が、ご自身で?」

「……趣味だ。気にするな」

 ルーファスはぶっきらぼうに言って顔を背けたが、その耳は赤い。
 ヴィオラは眼鏡の奥で目を瞬かせた。

 この強面の大男が、エプロンをしてサンドイッチを作っている姿を想像すると、なんともシュールだったが、目の前の現実はデータとして非常に魅力的だった。

「いただきます」

 一口食べた瞬間、ヴィオラの目が見開かれた。

 美味しい。
 ただ美味しいだけでなく、身体の芯に染み渡るような滋味深さがある。

「……驚きました」

 ヴィオラはスープを一口飲み、感嘆の声を漏らした。

「タンパク質、脂質、炭水化物のPFCバランスが完璧です。それにこのスープ、ビタミンB群を多く含む豚肉と、その吸収を助けるアリシンを含んだ玉ねぎを組み合わせていますね? 疲労回復に特化した、計算され尽くしたメニューです」

 ルーファスは少しだけ表情を緩めた。

「……お前は痩せすぎだ。研究ばかりでろくな物を食ってなかったんだろう。これから領地経営をするなら、体力が資本だ。まずはその身体をなんとかしろ」

「こんなに豪華なお弁当……、契約履行のためのメンテナンス費用ということですね?」

 ヴィオラは真面目な顔で頷いた。

「私のパフォーマンスを最大化するために、食事の質を上げる。理にかなっています。それに、閣下の分と合わせて二人分作った方が、調理の熱効率もいいですし、食材ロスも減らせます。……さすが閣下、極めて効率的です」

 ルーファスがガクリと肩を落としたのが見えた。

「……効率、か」

「はい。一度に大量に仕込むことで、単位時間あたりの生産性が向上します。素晴らしいマネジメント能力です」

 ヴィオラは心からの称賛を送ったつもりだった。
 しかし、ルーファスは遠い目をしながらサンドイッチを齧っている。

(……一緒に食いたかっただけなんだがな)

 ルーファスの心の声は、残念ながらヴィオラの鼓膜には届かなかった。
 彼は不器用な男だった。

 一目惚れした相手が、不遇な扱いを受けているのを知り、居ても立っても居られず技術という名目で強引に連れ出した。

 愛を語る言葉を持たない彼は、こうして胃袋を満たすことでしか、好意を表現できないのだ。

「……まあ、いい。残さず食えよ」

「はい。このエネルギーは、必ず成果として還元いたします」

 ヴィオラは宣言通り、弁当を綺麗に完食した。
 満腹になった彼女の顔色は、出発時よりも明らかに良くなっている。

 それを見たルーファスは、効率だの業務だのと言われて凹んだ気持ちが、少しだけ回復するのを感じた。

「よし、行くか」

「はい、閣下」

 二人は再び馬車に乗り込んだ。
 会話は相変わらず噛み合っていない。

 しかし、ヴィオラの足元にはルーファスを守るための長靴があり、ヴィオラの胃袋にはルーファスの弁当が詰まっていた。

 物理的には確かに支え合っている二人の旅路は、北へと続いていく。

 その先にある辺境の地が、ヴィオラの技術によって激変することになるのを、まだ誰も――おそらくヴィオラ自身すらも、正確には予測できていなかった。

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