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第22話:這いつくばる紳士
「な……、なぜだ! 僕が謝っているんだぞ! 僕が、わざわざ迎えに来てやったのに!!」
「私は既に、離縁状に署名をして置いてまいりました。そして今、私はこのウォルドルフ工房の親方として、オズワルド商会様、ならびに隣国のクライアント様と直接契約を結んでおります」
「直接……、契約だと!?」
「ええ。伯爵がキャンセルされた案件は、すべて私が引き継ぎました。私には、伯爵の指導など必要ありませんでしたから」
クリスチャンは目の前が真っ暗になるのを感じた。
自分がマウントを取り、見下し、支配していたと思っていた妻が、自分の手の届かない場所で、正当に評価され、生き生きと輝いている。
(エルサは僕がいないとダメな女だったはずだ……! 僕がいないと……!)
「嘘だ……。嘘だろ、エルサ……」
クリスチャンは膝から崩れ落ちた。
誇り高きランカスター伯爵が、木屑の舞う泥臭い工房の床に、両手をついて這いつくばったのだ。
「頼む……! 戻ってきてくれ! 君がいないと……、君がいないと、僕はダメなんだ!! お願いだ、エルサ!!」
鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、クリスチャンはエルサの足元にすがりつこうとした。
かつて「君は僕がいないと何もできない」と嘲笑っていた男の、あまりにも無様で滑稽な本性。
彼は、妻がいなければ何もできない、中身の空っぽな人間だったのだ。
エルサは、すがりつこうとする彼の手を避けるように一歩後退し、心底どうでもよさそうに見下ろした。
「……伯爵」
その声は、驚くほど優しかった。
だからこそ、残酷だった。
「私は、あなたがいなくても、困ることなど何一つありません」
完全なる拒絶。
かつて彼女を縛り付けていた「申し訳ありません」という謝罪の言葉は、もう二度と彼女の口から出ることはない。
「エルサ……っ! ああ……ああああっ!!」
クリスチャンは床に顔を押し当て、慟哭した。
遅すぎる後悔が彼を苛む。
彼が失ったのは、単なる有能な手足ではなく、彼を無条件で支え、尽くしてくれていた唯一の光だったのだ。
「バルト、彼をつまみ出してちょうだい。作業の邪魔だわ」
「へい、お嬢様!」
バルトと数人の屈強な職人たちが、床に這いつくばるクリスチャンの両脇を抱え上げ、まるでゴミを捨てるように工房の外へと放り出した。
「エルサ!! エルサァァァーッ!!」
遠ざかるクリスチャンの絶望の叫びは、活気ある工房の音にかき消され、エルサの耳にはもう届かなかった。
彼女は再び作業台に向かい、荒れた指先で愛おしそうに木材に触れると、真っ直ぐに未来だけを見つめて微笑んだ。
「私は既に、離縁状に署名をして置いてまいりました。そして今、私はこのウォルドルフ工房の親方として、オズワルド商会様、ならびに隣国のクライアント様と直接契約を結んでおります」
「直接……、契約だと!?」
「ええ。伯爵がキャンセルされた案件は、すべて私が引き継ぎました。私には、伯爵の指導など必要ありませんでしたから」
クリスチャンは目の前が真っ暗になるのを感じた。
自分がマウントを取り、見下し、支配していたと思っていた妻が、自分の手の届かない場所で、正当に評価され、生き生きと輝いている。
(エルサは僕がいないとダメな女だったはずだ……! 僕がいないと……!)
「嘘だ……。嘘だろ、エルサ……」
クリスチャンは膝から崩れ落ちた。
誇り高きランカスター伯爵が、木屑の舞う泥臭い工房の床に、両手をついて這いつくばったのだ。
「頼む……! 戻ってきてくれ! 君がいないと……、君がいないと、僕はダメなんだ!! お願いだ、エルサ!!」
鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、クリスチャンはエルサの足元にすがりつこうとした。
かつて「君は僕がいないと何もできない」と嘲笑っていた男の、あまりにも無様で滑稽な本性。
彼は、妻がいなければ何もできない、中身の空っぽな人間だったのだ。
エルサは、すがりつこうとする彼の手を避けるように一歩後退し、心底どうでもよさそうに見下ろした。
「……伯爵」
その声は、驚くほど優しかった。
だからこそ、残酷だった。
「私は、あなたがいなくても、困ることなど何一つありません」
完全なる拒絶。
かつて彼女を縛り付けていた「申し訳ありません」という謝罪の言葉は、もう二度と彼女の口から出ることはない。
「エルサ……っ! ああ……ああああっ!!」
クリスチャンは床に顔を押し当て、慟哭した。
遅すぎる後悔が彼を苛む。
彼が失ったのは、単なる有能な手足ではなく、彼を無条件で支え、尽くしてくれていた唯一の光だったのだ。
「バルト、彼をつまみ出してちょうだい。作業の邪魔だわ」
「へい、お嬢様!」
バルトと数人の屈強な職人たちが、床に這いつくばるクリスチャンの両脇を抱え上げ、まるでゴミを捨てるように工房の外へと放り出した。
「エルサ!! エルサァァァーッ!!」
遠ざかるクリスチャンの絶望の叫びは、活気ある工房の音にかき消され、エルサの耳にはもう届かなかった。
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2021/10/04