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第20話:知性の萌芽
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それは、いつもと変わらない放課後の教室での出来事だった。
幽霊騒動も論破され、後がなくなったイザベラは、教室の中央で声を張り上げていた。
「皆さん、聞いてください! わたくし、重要な情報を掴みましたの!」
彼女は扇子を振り回し、鬼気迫る表情でリリアを指差した。
「リリア・アシュベリーは、実は隣国と通じているスパイですわ! 辺境伯様も騙されているのです。彼女が夜な夜な怪しい手紙を書いているのを、わたくし見たんですもの!」
以前なら、この一言で教室は凍りつき、リリアへの糾弾が始まっていただろう。
だが、今の教室の反応は違っていた。
シン……、と静まり返った後、一人の男子生徒が冷静に手を挙げた。
「イザベラ様。その情報の出所はどこですか?」
「えっ?」
「『見た』と仰いますが、それはいつ、どこで、どのような状況でですか? 客観的な証拠、あるいは第三者の証言はありますか?」
イザベラは狼狽えた。
「な、何を言っているの? わたくしが見たと言っているのよ? わたくしを疑うのですか?」
すると今度は、別の女子生徒が教科書を開きながら言った。
「それは権威への訴えですね。ご自身の身分や信頼性を根拠に、証拠なしで主張を通そうとする論理的誤謬です」
さらに、眼鏡をかけた少女エマが続いた。
「それに、その話には飛躍があります。手紙を書いているという事実から、スパイであるという結論を導き出すには、因果関係が不足しています。……先生に教わった通りです」
生徒たちは、冷ややかな目ではなく、分析するような目でイザベラを見ていた。
彼らはもう、感情や空気に流される羊ではなかった。
アルヴィスのスパルタ論理教育によって、情報の真偽を自分で確かめようとする思考する個人へと変貌していたのだ。
「な、なによ……みんなして……!」
「貴女の主張は、論理的に破綻しています」
最後に口を開いたのは、リリアだった。
彼女は席を立ち、真っ直ぐにイザベラを見つめた。
以前のように怯えて背中を丸める姿はそこにはない。
「イザベラ様。貴女が仰る怪しい手紙とは、私が実家の母に送った近況報告のことでしょう? 郵便記録を確認すればすぐにわかります。……貴女の作り話には、もう誰も付き合いません」
「っ……!」
イザベラは後ずさった。
誰も味方がいない。
誰も信じてくれない。
かつて自分が支配していた教室という箱庭は、今や冷徹な理性が支配する法廷へと変わっていた。
「……あ、あああっ!」
イザベラは言葉にならない叫び声を上げると、バッグを掴んで教室から飛び出した。
追いかける者は、一人もいなかった。
放課後の帰り道。
夕日に染まる並木道を、アルヴィスとリリアは並んで歩いていた。
「……見事だったな」
アルヴィスが、感慨深げに呟いた。
「私の講義がここまで浸透するとは。生徒たちの前頭葉が活性化し、クリティカル・シンキング(批判的思考)が機能し始めた証拠だ。これでもう、感情論というウイルスが蔓延することはないだろう」
「はい。……アルヴィス様のおかげです」
リリアは隣を歩く彼を見上げた。
この人が来てくれなければ、自分は一生、理不尽な悪意に怯えて暮らしていただろう。
「私……、これからは守られるだけじゃ嫌なんです」
リリアは立ち止まり、アルヴィスの袖をギュッと掴んだ。
「今日の教室で、自分で言い返せた時……、少しだけ、自分が強くなれた気がしました。だから、もっと勉強したいです。アルヴィス様の隣に立っても恥ずかしくないように」
その言葉に、アルヴィスは目を見開いた。
夕日を受けて輝くリリアの瞳は、出会った頃の怯えた小動物のものではなく、自らの足で立とうとする一人の人間の強さを宿していた。
「……そうか」
アルヴィスは、ふいと顔を背けた。
また耳が赤くなっている。
「君が賢くなることは、私の助手としてのスペック向上に繋がる。論理的に歓迎すべき事態だ。……それに」
彼はボソリと付け加えた。
「君が強くなれば、私が守る必要がなくなるかもしれないが……それでも君は、私のそばにいてくれるか?」
それは、天才科学者が見せた、ほんの僅かな自信のなさだった。
リリアは破顔した。
「当たり前です! 私が強くなりたいのは、アルヴィス様を守るためでもあるんですから」
「私を? この天才をか?」
「はい。だってアルヴィス様、生活能力はゼロですし、人の気持ちに鈍感で敵を作りやすいですから。私がサポートしないと!」
「……ぐうの音も出ない正論だ」
アルヴィスは苦笑し、リリアの手をしっかりと握り返した。
「契約更新だ。これより我々は、守護者と被守護者の関係から、相互補完的なパートナーシップへと移行する」
「ふふ、はい。よろしくお願いしますね、パートナーさん」
二人の影が長く伸び、一つに重なる。
学園での戦いは終わった。
だが、逃げ出したイザベラがこのまま黙っているはずがない。
そして、社交界にはまだ、非科学的な闇が巣食っている。
次なる舞台は、欲望と欺瞞が渦巻く社交界。
アルヴィスと、少し強くなった助手の新たな物語が始まるのだった。
幽霊騒動も論破され、後がなくなったイザベラは、教室の中央で声を張り上げていた。
「皆さん、聞いてください! わたくし、重要な情報を掴みましたの!」
彼女は扇子を振り回し、鬼気迫る表情でリリアを指差した。
「リリア・アシュベリーは、実は隣国と通じているスパイですわ! 辺境伯様も騙されているのです。彼女が夜な夜な怪しい手紙を書いているのを、わたくし見たんですもの!」
以前なら、この一言で教室は凍りつき、リリアへの糾弾が始まっていただろう。
だが、今の教室の反応は違っていた。
シン……、と静まり返った後、一人の男子生徒が冷静に手を挙げた。
「イザベラ様。その情報の出所はどこですか?」
「えっ?」
「『見た』と仰いますが、それはいつ、どこで、どのような状況でですか? 客観的な証拠、あるいは第三者の証言はありますか?」
イザベラは狼狽えた。
「な、何を言っているの? わたくしが見たと言っているのよ? わたくしを疑うのですか?」
すると今度は、別の女子生徒が教科書を開きながら言った。
「それは権威への訴えですね。ご自身の身分や信頼性を根拠に、証拠なしで主張を通そうとする論理的誤謬です」
さらに、眼鏡をかけた少女エマが続いた。
「それに、その話には飛躍があります。手紙を書いているという事実から、スパイであるという結論を導き出すには、因果関係が不足しています。……先生に教わった通りです」
生徒たちは、冷ややかな目ではなく、分析するような目でイザベラを見ていた。
彼らはもう、感情や空気に流される羊ではなかった。
アルヴィスのスパルタ論理教育によって、情報の真偽を自分で確かめようとする思考する個人へと変貌していたのだ。
「な、なによ……みんなして……!」
「貴女の主張は、論理的に破綻しています」
最後に口を開いたのは、リリアだった。
彼女は席を立ち、真っ直ぐにイザベラを見つめた。
以前のように怯えて背中を丸める姿はそこにはない。
「イザベラ様。貴女が仰る怪しい手紙とは、私が実家の母に送った近況報告のことでしょう? 郵便記録を確認すればすぐにわかります。……貴女の作り話には、もう誰も付き合いません」
「っ……!」
イザベラは後ずさった。
誰も味方がいない。
誰も信じてくれない。
かつて自分が支配していた教室という箱庭は、今や冷徹な理性が支配する法廷へと変わっていた。
「……あ、あああっ!」
イザベラは言葉にならない叫び声を上げると、バッグを掴んで教室から飛び出した。
追いかける者は、一人もいなかった。
放課後の帰り道。
夕日に染まる並木道を、アルヴィスとリリアは並んで歩いていた。
「……見事だったな」
アルヴィスが、感慨深げに呟いた。
「私の講義がここまで浸透するとは。生徒たちの前頭葉が活性化し、クリティカル・シンキング(批判的思考)が機能し始めた証拠だ。これでもう、感情論というウイルスが蔓延することはないだろう」
「はい。……アルヴィス様のおかげです」
リリアは隣を歩く彼を見上げた。
この人が来てくれなければ、自分は一生、理不尽な悪意に怯えて暮らしていただろう。
「私……、これからは守られるだけじゃ嫌なんです」
リリアは立ち止まり、アルヴィスの袖をギュッと掴んだ。
「今日の教室で、自分で言い返せた時……、少しだけ、自分が強くなれた気がしました。だから、もっと勉強したいです。アルヴィス様の隣に立っても恥ずかしくないように」
その言葉に、アルヴィスは目を見開いた。
夕日を受けて輝くリリアの瞳は、出会った頃の怯えた小動物のものではなく、自らの足で立とうとする一人の人間の強さを宿していた。
「……そうか」
アルヴィスは、ふいと顔を背けた。
また耳が赤くなっている。
「君が賢くなることは、私の助手としてのスペック向上に繋がる。論理的に歓迎すべき事態だ。……それに」
彼はボソリと付け加えた。
「君が強くなれば、私が守る必要がなくなるかもしれないが……それでも君は、私のそばにいてくれるか?」
それは、天才科学者が見せた、ほんの僅かな自信のなさだった。
リリアは破顔した。
「当たり前です! 私が強くなりたいのは、アルヴィス様を守るためでもあるんですから」
「私を? この天才をか?」
「はい。だってアルヴィス様、生活能力はゼロですし、人の気持ちに鈍感で敵を作りやすいですから。私がサポートしないと!」
「……ぐうの音も出ない正論だ」
アルヴィスは苦笑し、リリアの手をしっかりと握り返した。
「契約更新だ。これより我々は、守護者と被守護者の関係から、相互補完的なパートナーシップへと移行する」
「ふふ、はい。よろしくお願いしますね、パートナーさん」
二人の影が長く伸び、一つに重なる。
学園での戦いは終わった。
だが、逃げ出したイザベラがこのまま黙っているはずがない。
そして、社交界にはまだ、非科学的な闇が巣食っている。
次なる舞台は、欲望と欺瞞が渦巻く社交界。
アルヴィスと、少し強くなった助手の新たな物語が始まるのだった。
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