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第36話:沈黙する共犯者と囚人のジレンマ
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ジェラルド王子が連行され、屋敷の中は近衛騎士たちによって制圧された。
だが、まだ問題は残っていた。
イザベラが領民から搾取し、横領した莫大な資金と、食糧の隠し場所だ。
これが見つからなければ、荒廃した領地を救うことはできない。
屋敷の一室。
椅子に縛り付けられているのは、ローズ家の執事ガゼルだった。
彼はイザベラの悪事の全てを知る腹心だが、頑として口を割ろうとしなかった。
「……知りません。私はただ、お嬢様の指示に従ったまで。金の隠し場所など存じません」
「忠義者だな。だが、その忠誠心は誰に向けられたものだ?」
アルヴィスが冷ややかに問うが、ガゼルは口を閉ざして目を逸らした。
彼は知っているのだ。
自分が喋れば、主犯格の一人として処刑されるかもしれないと。
沈黙こそが唯一の防衛策だと信じ込んでいる。
リリアが不安げにアルヴィスを見た。
「アルヴィス様……、彼が口を割らないと、領民たちの食糧が……」
「心配ない。口は閉じられていても、脳と身体は雄弁だ」
アルヴィスはガゼルの脈を取るように手首を掴み、もう片方の手で彼の目の前に懐中時計をぶら下げた。
「ガゼル。君は今、黙秘することで身を守ろうとしている。だが、動物行動学における互恵的利他主義の崩壊を知っているか?」
「……?」
「動物が群れのために自己犠牲を払うのは、将来の見返りがある時だけだ。だが、今のイザベラを見ろ。彼女は出生の秘密を暴かれ、精神が崩壊し、家督も失った。君が彼女を庇って刑を受けても、彼女が君に恩返しをする可能性はゼロだ」
アルヴィスは冷徹に告げた。
「君は沈みゆく泥船の上で、必死に船長は立派だと敬礼している。それは忠誠心ではない。ただの進化論的自殺だ」
ガゼルの眉がぴくりと動いた。
アルヴィスはすかさず畳み掛ける。
「それに、隠し場所なら君の体が教えてくれている」
「なっ……」
「地下倉庫か?」
ガゼルの脈拍が跳ね上がった。アルヴィスはニヤリと笑う。
「当たりだな。自律神経反応(ポリグラフ)は嘘をつけない。特定のキーワードを聞いた時、脳の扁桃体が恐怖を感じ、交感神経が心拍数を上げる。……西の塔の地下か? それともワインセラーの奥か?」
アルヴィスが場所を絞り込んでいくたびに、ガゼルの額に脂汗が滲む。
だが、彼はまだ決定的なことは言わない。
自分が喋ったという事実を残したくないのだ。
「……頑固な男だ。ならば、究極のゲームを始めよう」
アルヴィスは椅子に座り、ガゼルの目を覗き込んだ。
「囚人のジレンマだ」
「しゅうじん……?」
「今、隣の部屋でイザベラの尋問が行われている」
アルヴィスは嘘をついた。
実際にはイザベラは錯乱状態で尋問どころではないが、ガゼルはそれを知らない。
「取引をしよう。君とイザベラが両方黙秘すれば、証拠不十分で軽い罪(横領の共犯)で済む。だが、もし君が自白し、イザベラが黙秘すれば、君は司法取引により無罪放免。イザベラだけが重罪となる。そして、逆もまた然り。イザベラが自白し、君が黙秘すれば……、君だけが全ての罪を被り、処刑される」
アルヴィスは声を潜めた。
「さて、ここからが問題だ。あの自己中心的で、自分の保身しか考えていないイザベラが、君を庇って黙秘を続けると思うか?」
ガゼルの顔色が蒼白になった。
イザベラの性格は熟知している。
彼女は自分が助かるためなら、平気で他人を裏切る女だ。
「全部ガゼルが勝手にやったことです!」と叫ぶ姿が、ありありと想像できてしまった。
「イザベラは今頃、隣の部屋で泣き叫んでいるだろうな。『私は悪くない、執事が勝手にやったのよ!』と。……もし彼女が先に喋ってしまえば、君は終わりだ。全ての罪をなすりつけられ、主犯として処刑台に送られる」
アルヴィスは懐中時計を閉じた。
パチン、という音が、処刑のスイッチのように響いた。
「君に残された合理的選択は一つしかない。相手が裏切る前に、自分も裏切る(自白する)ことだ。さあ、どうする? 彼女を信じて死ぬか、真実を話して生き残るか」
ガゼルの脳内で、論理が激しく回転する。
イザベラを信じたい。
だが、あの女は必ず裏切る。
ならば、自分が先に喋らなければ――!
「……は、話します!」
ガゼルは叫んだ。
「隠し金庫はワインセラーの奥の隠し扉の中です! 穀物もそこに! 帳簿も全てあります! 私は指示されただけなんです、信じてください!」
堰を切ったように情報を吐き出すガゼル。
アルヴィスは満足げに頷き、控えていた近衛騎士に目配せした。
「聞いたな。直ちに押収しろ」
「はっ!」
騎士たちが駆け出していく。
ガゼルはぐったりと椅子に沈み込んだ。
部屋を出た後、リリアはアルヴィスを見上げた。
「……アルヴィス様。イザベラ様はまだ錯乱状態で、尋問なんて受けていませんよね?」
「ああ。嘘だ」
アルヴィスは悪びれもせず言った。
「ゲーム理論において、情報の非対称性は強力な武器になる。彼が、イザベラなら裏切りかねないと信じていたからこそ、このハッタリが成立した。……彼らの信頼関係の希薄さが、私の勝因だ」
リリアは苦笑した。
「……イザベラ様の人徳のなさが、最後の最後で仇になったんですね」
「そういうことだ。信頼なき組織は脆い。これが結末だよ」
アルヴィスはリリアの頭をポンと撫でた。
「だが、私と君は違う。君は私がどんな状況でも裏切らないと知っているし、私も君を信じている」
「はい!」
共犯者の沈黙は破られた。
押収された財産によって、ローズ領の復興への道がついに開かれたのである。
だが、まだ問題は残っていた。
イザベラが領民から搾取し、横領した莫大な資金と、食糧の隠し場所だ。
これが見つからなければ、荒廃した領地を救うことはできない。
屋敷の一室。
椅子に縛り付けられているのは、ローズ家の執事ガゼルだった。
彼はイザベラの悪事の全てを知る腹心だが、頑として口を割ろうとしなかった。
「……知りません。私はただ、お嬢様の指示に従ったまで。金の隠し場所など存じません」
「忠義者だな。だが、その忠誠心は誰に向けられたものだ?」
アルヴィスが冷ややかに問うが、ガゼルは口を閉ざして目を逸らした。
彼は知っているのだ。
自分が喋れば、主犯格の一人として処刑されるかもしれないと。
沈黙こそが唯一の防衛策だと信じ込んでいる。
リリアが不安げにアルヴィスを見た。
「アルヴィス様……、彼が口を割らないと、領民たちの食糧が……」
「心配ない。口は閉じられていても、脳と身体は雄弁だ」
アルヴィスはガゼルの脈を取るように手首を掴み、もう片方の手で彼の目の前に懐中時計をぶら下げた。
「ガゼル。君は今、黙秘することで身を守ろうとしている。だが、動物行動学における互恵的利他主義の崩壊を知っているか?」
「……?」
「動物が群れのために自己犠牲を払うのは、将来の見返りがある時だけだ。だが、今のイザベラを見ろ。彼女は出生の秘密を暴かれ、精神が崩壊し、家督も失った。君が彼女を庇って刑を受けても、彼女が君に恩返しをする可能性はゼロだ」
アルヴィスは冷徹に告げた。
「君は沈みゆく泥船の上で、必死に船長は立派だと敬礼している。それは忠誠心ではない。ただの進化論的自殺だ」
ガゼルの眉がぴくりと動いた。
アルヴィスはすかさず畳み掛ける。
「それに、隠し場所なら君の体が教えてくれている」
「なっ……」
「地下倉庫か?」
ガゼルの脈拍が跳ね上がった。アルヴィスはニヤリと笑う。
「当たりだな。自律神経反応(ポリグラフ)は嘘をつけない。特定のキーワードを聞いた時、脳の扁桃体が恐怖を感じ、交感神経が心拍数を上げる。……西の塔の地下か? それともワインセラーの奥か?」
アルヴィスが場所を絞り込んでいくたびに、ガゼルの額に脂汗が滲む。
だが、彼はまだ決定的なことは言わない。
自分が喋ったという事実を残したくないのだ。
「……頑固な男だ。ならば、究極のゲームを始めよう」
アルヴィスは椅子に座り、ガゼルの目を覗き込んだ。
「囚人のジレンマだ」
「しゅうじん……?」
「今、隣の部屋でイザベラの尋問が行われている」
アルヴィスは嘘をついた。
実際にはイザベラは錯乱状態で尋問どころではないが、ガゼルはそれを知らない。
「取引をしよう。君とイザベラが両方黙秘すれば、証拠不十分で軽い罪(横領の共犯)で済む。だが、もし君が自白し、イザベラが黙秘すれば、君は司法取引により無罪放免。イザベラだけが重罪となる。そして、逆もまた然り。イザベラが自白し、君が黙秘すれば……、君だけが全ての罪を被り、処刑される」
アルヴィスは声を潜めた。
「さて、ここからが問題だ。あの自己中心的で、自分の保身しか考えていないイザベラが、君を庇って黙秘を続けると思うか?」
ガゼルの顔色が蒼白になった。
イザベラの性格は熟知している。
彼女は自分が助かるためなら、平気で他人を裏切る女だ。
「全部ガゼルが勝手にやったことです!」と叫ぶ姿が、ありありと想像できてしまった。
「イザベラは今頃、隣の部屋で泣き叫んでいるだろうな。『私は悪くない、執事が勝手にやったのよ!』と。……もし彼女が先に喋ってしまえば、君は終わりだ。全ての罪をなすりつけられ、主犯として処刑台に送られる」
アルヴィスは懐中時計を閉じた。
パチン、という音が、処刑のスイッチのように響いた。
「君に残された合理的選択は一つしかない。相手が裏切る前に、自分も裏切る(自白する)ことだ。さあ、どうする? 彼女を信じて死ぬか、真実を話して生き残るか」
ガゼルの脳内で、論理が激しく回転する。
イザベラを信じたい。
だが、あの女は必ず裏切る。
ならば、自分が先に喋らなければ――!
「……は、話します!」
ガゼルは叫んだ。
「隠し金庫はワインセラーの奥の隠し扉の中です! 穀物もそこに! 帳簿も全てあります! 私は指示されただけなんです、信じてください!」
堰を切ったように情報を吐き出すガゼル。
アルヴィスは満足げに頷き、控えていた近衛騎士に目配せした。
「聞いたな。直ちに押収しろ」
「はっ!」
騎士たちが駆け出していく。
ガゼルはぐったりと椅子に沈み込んだ。
部屋を出た後、リリアはアルヴィスを見上げた。
「……アルヴィス様。イザベラ様はまだ錯乱状態で、尋問なんて受けていませんよね?」
「ああ。嘘だ」
アルヴィスは悪びれもせず言った。
「ゲーム理論において、情報の非対称性は強力な武器になる。彼が、イザベラなら裏切りかねないと信じていたからこそ、このハッタリが成立した。……彼らの信頼関係の希薄さが、私の勝因だ」
リリアは苦笑した。
「……イザベラ様の人徳のなさが、最後の最後で仇になったんですね」
「そういうことだ。信頼なき組織は脆い。これが結末だよ」
アルヴィスはリリアの頭をポンと撫でた。
「だが、私と君は違う。君は私がどんな状況でも裏切らないと知っているし、私も君を信じている」
「はい!」
共犯者の沈黙は破られた。
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