断罪されていたはずなのですが、成り行きで辺境伯様に連れ去られた結果……。

水上

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第40話:鎮圧と逮捕、そしてミラーニューロンの共感

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 ローズ伯爵邸のホールは、嵐が去った後のような静寂に包まれていた。

 頭を冷やされた領民たちは、自分たちが犯そうとした過ち――無実の人間を襲い、真の加害者を守ろうとしたこと――に打ちひしがれ、その場に跪いていた。

「……すまなかった。俺たちが間違っていた」

「許してくれ、リリア様……」

 謝罪の声が広がる中、リリアは一人一人に声をかけ、立たせていた。

「顔を上げてください。貴方たちも被害者です。これからは一緒に、この土地を治していきましょう」

 その姿は、偽りの聖女イザベラとは違う、地に足の着いた真の指導者の姿だった。

 一方、イザベラは近衛騎士たちによって拘束されていた。

 彼女はもう暴れなかった。
 抵抗する気力も、言い訳をする知恵も、全て枯れ果てていた。
 父である伯爵からも拒絶され、領民からも見放された彼女は、ただ虚ろな目で宙を見つめるだけの抜け殻になっていた。

「連行しろ。ジェラルド殿下の馬車と合流し、王都へ護送する」

 騎士団長の指示で、イザベラが引きずられていく。
 すれ違いざま、彼女はチラリとリリアを見た。
 だが、そこに憎しみはなく、ただ自分が失ってしまった光への羨望だけが残っていた。

 騒動が完全に収束し、騎士たちが事後処理に追われる中。
 アルヴィスは柱に寄りかかり、ふぅ、と小さく息を吐いた。

「……やれやれ。私の計算よりカロリー消費が激しい一日だった」

「アルヴィス様」

 リリアが駆け寄ってきた。

「本当にありがとうございました。アルヴィス様がいなければ、私……」

「礼には及ばん。契約上の義務を遂行しただけだ」

 アルヴィスはいつものように涼しい顔で答えた。
 しかし、リリアは気づいてしまった。

 彼の白いコートの袖口から、赤い液体がポタポタと滴り落ちていることに……。

「……えっ?」

 リリアの顔色がサッと変わる。

「ち、血!? アルヴィス様、怪我をされているのですか!?」

「ん? ああ、これか」

 アルヴィスは自分の左腕を無造作に見やった。
 暴動の最中、リリアを庇って床に転がった時、割れた床板か何かで切ったのだろう。
 袖が裂け、そこそこの深さの傷から鮮血が流れている。

「かすり傷だ。上腕の毛細血管が少し損傷したに過ぎない。出血量も致死量には程遠いし、止血すれば数分で凝固が始まる」

 彼は「問題ない」と言わんばかりに肩をすくめた。
 しかし、その瞬間。

「――馬鹿っ!!」

 リリアの叫び声が、ホールに響き渡った。

「!?」

 アルヴィスが驚いて目を丸くする。
 リリアが、あのおどおどしていたリリアが、顔を真っ赤にして怒っていた。

「馬鹿ですか! 天才なのに馬鹿ですか! こんなに血が出ているのにかすり傷だなんて!」

「い、いや、医学的には……」

「医学なんてどうでもいいです! 痛いじゃないですか! 私が痛いんです!」

 リリアは涙目になりながら、自分のハンカチを彼の腕にきつく巻き付けた。

「貴方が傷つくのを見るのが、私は一番辛いんです! 論理的じゃなくてもいい、平気なフリなんてしないでください! 私を守るために怪我をしたなんて……、そんなの、嬉しくないです!」

 ボロボロと涙を流し、怒りながら手当てをするリリア。
 アルヴィスは、呆然と彼女を見下ろしていた。

 これまで、彼は感情論を否定し、論理こそが正義だと生きてきた。
 「痛くないから問題ない」というのは、彼なりの論理的配慮だった。

 だが、リリアはそれを否定した。「貴方が痛いと私も痛い」と。

「……そうか」

 アルヴィスは、きつく巻かれたハンカチの感触を確かめながら、静かに呟いた。

「これが、ミラーニューロンの共感作用か」

「みらー……?」

 リリアが涙声で聞き返す。

「霊長類の脳にある神経細胞の一種だ。他者の行動や感情を見た時、まるで自分が同じ体験をしているかのように発火する。……君は今、私の傷を見て、自分のことのように痛みを感じているんだな」

 アルヴィスは、困ったように、けれどどこか嬉しそうに微笑んだ。

「参ったな。私の論理が、君の共感に負けたようだ」

 彼は空いている右手で、リリアの濡れた頬を拭った。

「……すまない。痛かったな、リリア」

「はい……。すごく、痛かったです」

 リリアは彼の胸に顔を埋めた。
 アルヴィスはためらいがちに、彼女の背中を抱きしめ返した。

「以後、気をつける。私の身体は私だけのものではなく、君の精神安定のための重要資産でもあるようだからな」

「……はい。絶対に、傷つかないでください」

 温かな沈黙が流れる。
 アルヴィスは、この日初めて論理を超えた感情の尊さを学んだのかもしれない。

「さて、帰ろうか。王都での最終審判が待っている」

 アルヴィスが言うと、リリアは涙を拭いて力強く頷いた。

「はい。行きましょう、アルヴィス様」

 二人の手は、以前よりも強く、固く結ばれていた。
 ローズ領の長い夜が明け、王都にて、全ての罪を裁く最後の法廷が開かれようとしていた。
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