殿下から理不尽に婚約破棄されましたが、国を支えていたのは実は私です。~気づけば辺境を立て直していましたが、今さら復縁を迫ってももう遅いです~

水上

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第2話:辺境伯からの白い結婚の提案

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 王都の正門を出た頃には、夜気は骨身に染みる冷たさを帯びていた。

 エレナは夜空を見上げた。
 星が綺麗だ、などとは微塵も思わない。

 ただ、気温の低下による体温の喪失を懸念し、薄手のショールをきつく巻き直すだけだ。

 実家であるバーンシュタイン伯爵家は、既に新しい婚約者候補を探すのに忙しいだろう。
 利益を生まない出戻りの娘になど、居場所はない。

「……あれは、何かしら」

 突然、地響きのような重低音と共に、一台の巨大な馬車が街道の向こうから現れた。

 その馬車は、エレナの目の前で軋んだ音を立てて停車した。

(……黒塗りの馬車。紋章は氷雪に舞う大鷲。北の辺境伯領のものですね)

 辺境伯領。
 王国の最北端に位置し、一年の半分が雪に閉ざされる過酷な土地。

 そこを治める一族は代々、武力に秀で、害獣や他国の侵攻から国を守る北の壁と呼ばれている。
 特に現当主は、その冷酷さと圧倒的な武力で恐れられている人物だ。

 馬車の扉が開く。
 乱れた漆黒の髪の間から、獲物を狙う猛禽類のような金色の瞳が鋭く光っている。

 アルノルト・ヴァン・ダール辺境伯。
 噂通りの威圧感に、周囲の空気が凍りついたように感じられた。

 彼は大股でエレナに歩み寄ると、その巨体で彼女を見下ろした。

 物理的な質量差に、エレナは一歩後ずさろうとした――が、逃げ場はなかった。

「……お前が、エレナ・バーンシュタインか」

 低く響く声だった。
 エレナは背筋を伸ばし、努めて冷静に答えた。

「ええ。現在は無職、かつ住所不定の身です」

「そうか。話が早い」

 アルノルトは不機嫌そうに眉間の皺を深くすると、突然、エレナの手首を掴んだ。

「――っ!?」

 さきほどの夜会で、元婚約者のジュリアンが「汚らわしい」と罵った手。

 炭と煤が爪の間に残り、熱い窯を扱ったために皮膚は厚く硬くなり、あちこちに小さな火傷の痕がある。

(ああ、この方も侮蔑するのでしょうか。辺境伯ともあろうお方が、わざわざ平民以下の手を嘲笑いに……)

 エレナが身構えた、その時。

「……良い手だ」

 予期せぬ言葉が、頭上から降ってきた。

「え……?」

 エレナは思わず顔を上げた。
 アルノルトは、汚いものを見る目などしていなかった。

 むしろ、名剣の刃こぼれを確認する刀鍛冶のように、真剣な眼差しでエレナの指先を見つめている。

「関節にタコができている。爪の間の黒ずみは、長年、炭と向き合い続けた証拠だ。火傷の痕も、炎から逃げなかった勲章だろう」

「あ……、あの……?」

「先ほどの夜会での騒ぎ、聞き及んでいる。王太子は『煤臭い』と言ったそうだが……、私には、鍛え抜かれた職人の匂いにしか思えん」

 アルノルトはふいと視線を外し、ぶっきらぼうに言った。

「私の領地は寒い。冬になれば、凍死する者が出るほどにな」

 唐突な話題転換だったが、エレナの脳は即座にその意図を分析し始めた。

 北の辺境、寒冷地、燃料問題。

「燃料費の高騰は、領地経営における最大のリスク要因ですね。薪の確保が困難であれば、熱効率の高い代替燃料の導入が急務です」

「その通りだ。だが、既存の炭は火持ちが悪く、煙が多い。室内で使えば一酸化炭素中毒で死ぬ」

 アルノルトは再びエレナを見た。
 その金色の瞳には、切実な光が宿っていた。

「私は知っている。王都に出回っていた高品質な炭、あれを作っていたのが、あの男爵令嬢などではなく、お前だということを」

「……なぜ、それを」

「私が戦場で使う武器。その製鉄に使われていた炭の質が、ある時期から劇的に向上した。調べさせれば、お前の名前に行き着くのは容易だった」

 エレナは目を見開いた。

 王都の誰も、元婚約者でさえも見ようとしなかった成果の本質を、この恐ろしい男は遠い辺境から正確に評価していたのだ。

「エレナ。お前をスカウトしたい」

 アルノルトは単刀直入に告げた。

「我が辺境伯領に来い。衣食住は全て保証する。研究設備も、材料となる木材も、好きなだけ使っていい。その代わり――」

 彼は少しだけ言い淀み、ばつの悪そうな顔をしてから、こう続けた。

「私と結婚してくれ」

「……はい?」

 さすがのエレナも、演算処理が追いつかずにフリーズした。

 スカウトからの求婚。
 論理の飛躍が甚だしい。

「ご、誤解するな! 愛だの恋だの、そういう浮ついた話ではない!」

 アルノルトは慌てて手を振った。
 耳が少し赤い。

「領地経営には、内政を取り仕切るパートナーが必要なんだ。だが、中央から送られてくる貴族の娘たちは、寒さに文句を言うか、私の顔を見て気絶するかのどちらかでな……」

「なるほど。つまり、業務上のパートナーとしての契約結婚、ということですね」

「そうだ。いわゆる白い結婚だ。お前に貞淑や子作りを求めるつもりはない。ただ、その知識と技術で、領民を冬の寒さから守ってほしい」

 契約結婚。
 エレナにとって、それはロマンスという不確定要素を排除した、極めて合理的な提案に聞こえた。

 研究環境が手に入り、生活の基盤が保証され、さらに自分の技術が必要とされている。
 断る理由は、何一つとして存在しなかった。

「条件を確認させてください。私の裁量権はどこまで認められますか? 炭焼き窯の設計、および植林計画への介入権限は?」

「全て一任する。予算も出す。邪魔する者は私が斬る」

「……好条件ですね」

 エレナは初めて、微かだが口元を緩めた。
 それは媚びた笑みではなく、商談成立の笑みだった。

「謹んでお受けいたします、辺境伯閣下。貴領のエネルギー革命、私が請け負いました」

 エレナがそう答えると、アルノルトは安堵したように息を吐いた。
 そして、自分の着ていた分厚い毛皮のコートを脱ぐと、無造作にエレナの肩にかけた。

「……!」 

「薄着すぎる。風邪を引かれたら、私の……、いや、領地の損失だ」

 ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、かけられたコートには彼の体温が残っていた。

 物理的な熱量以上の何かが、冷え切ったエレナの体を包み込んだ。

「乗れ。これからの道程は長い」

 差し出されたその大きな手は、武骨だが、とても頼もしく見えた。
 エレナはその手を取り、馬車へと乗り込んだ。

 こうして、奇妙な契約から始まる結婚生活が幕を開けたのである。
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