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第27話:提示された書類
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数日後、王都の老弁護士から、オリヴィアが待ち望んでいた書類が、商人の使いを装って密かに届けられた。
分厚い羊皮紙の束。
それは、オリヴィアが独自に開発した手刺繍および特殊ボビンレースの製法特許の権利を、ウィンザー伯爵家から、彼女個人の名義へと完全に移行させるための法的な契約書だった。
(……来たわね)
自室で書類を受け取ったオリヴィアは、鍵をかけ、その内容を一言一句、冷徹な目で確認した。
間違いはない。
この書類にセドリックの署名と、ウィンザー家の正式な印章が押されれば、今後この屋敷の職人たちがオリヴィアのデザインや製法を無断で使用することは、法的に一切不可能になる。
もし破れば、莫大な損害賠償と、王都の商業ギルドからの永久追放という重い罰則が下る仕組みだ。
問題は、いかにして名声欲の塊でありながら、実務を全く見ない夫から、この書類にサインをさせるかである。
オリヴィアは、引き出しから、セドリックが安請け合いしてきた大聖堂の祭壇を飾る無償のレースに関する、王宮へ提出するためのダミーの進捗報告書を数枚取り出した。
さらに、領地の慈善事業(ステラが配るための毛布や食料)の形ばかりの決算書など、彼が表向きの顔を保つために必要な、中身を読むのが面倒な書類の束を用意した。
彼女は、その分厚い書類の束の真ん中、一番目立たない位置に、特許の名義変更の書類を滑り込ませた。
表紙には、領内の職人への特殊技術指導に関する確認書という、いかにも地味で退屈そうなタイトルを自筆で書き加える。
「……完璧ね」
オリヴィアは、氷のような微笑みを浮かべた。
これまでの彼女なら、夫を騙して署名を奪うなど、恐ろしくて震え上がっていただろう。
波風を立てることを極端に嫌い、自分が我慢すればうまくいくと信じていたかつての彼女は、もうどこにもいない。
道徳という鎖で長年搾取され続け、最後に直接暴力を振るわれた夜、彼女の中で何かが決定的に壊れ、同時に、冷酷なまでの自立心が研ぎ澄まされたのだ。
「自分の身は、論理と知識で守る。感情論で泣き叫んでも、彼らには『心が貧しい』と論点をすり替えられるだけ。……さあ、行きましょうか」
オリヴィアは書類の束を抱え、セドリックの執務室へと向かった。
扉をノックすると、「入れ」という、機嫌の良さそうな声が響いた。
執務室に入ると、セドリックは上質な葉巻を燻らせながら、王宮から届いたばかりの祭典の招待状を満足げに眺めていた。
「おお、オリヴィアか。大聖堂の装飾の進捗はどうだい?」
彼は、妻が部屋にこもりきりで無私の心で奉仕していると信じきっているため、先日の暴力のことなど完全に忘れたかのように、爽やかな笑顔を向けた。
「はい、セドリック様。順調に進んでおりますわ」
オリヴィアは、深く、優雅に一礼し、手にした書類の束を彼の机の上に置いた。
「本日は、王宮へ提出する進捗報告書と、来月の領民への配給に関する決算書、それに付随する細かな確認書類に、当主様としてのサインをいただきに参りました」
「ああ、また書類か。君が確認したなら、間違いないだろう?」
セドリックは、露骨に面倒くさそうな顔をした。
彼にとって、数字や実務の書類は自分がどれほど素晴らしい名君であるかを証明するための小道具でしかない。
中身の精査など、泥臭くて自分には似合わない作業だと思っているのだ。
「恐れ入ります。ですが、今回は王宮も絡む大きな祭典の準備がございます。私が全てを独断で進めるわけにはまいりません。どうか、セドリック様のご署名をお願いいたします」
オリヴィアは、最も従順で貞粛な妻の声色を作り上げた。
「それに、ステラ様が祭典の当日に最高のお披露目ができるよう、準備の手配書も含まれております」
ステラの名前を出した瞬間、セドリックの顔がさらに緩んだ。
「そうか、ステラのためにね。君もようやく、彼女の素晴らしい役割を支える喜びを知ったようだ。いいだろう、サインしよう」
彼は羽ペンを手に取り、インク壺に浸した。
オリヴィアは、彼の隣に立ち、一枚ずつ書類をめくっていった。
「こちらが、王宮への進捗報告書です。祭壇のレースは五メートルの幅で編み上がっておりますわ」
まあ、大嘘だが。
「うむ、素晴らしい」
サラサラと、確認もせずにサインをするセドリック。
「こちらは、来月の慈善事業の予算案です」
「よし」
「そしてこちらが……、領内の職人への技術指導に関する確認書です」
オリヴィアは、息を殺して、特許名義変更の書類が含まれたページを開いた。
この書類に彼がサインするかどうか。
それが、オリヴィアの運命を決めることになる。
うまくいくのか、それとも……。
分厚い羊皮紙の束。
それは、オリヴィアが独自に開発した手刺繍および特殊ボビンレースの製法特許の権利を、ウィンザー伯爵家から、彼女個人の名義へと完全に移行させるための法的な契約書だった。
(……来たわね)
自室で書類を受け取ったオリヴィアは、鍵をかけ、その内容を一言一句、冷徹な目で確認した。
間違いはない。
この書類にセドリックの署名と、ウィンザー家の正式な印章が押されれば、今後この屋敷の職人たちがオリヴィアのデザインや製法を無断で使用することは、法的に一切不可能になる。
もし破れば、莫大な損害賠償と、王都の商業ギルドからの永久追放という重い罰則が下る仕組みだ。
問題は、いかにして名声欲の塊でありながら、実務を全く見ない夫から、この書類にサインをさせるかである。
オリヴィアは、引き出しから、セドリックが安請け合いしてきた大聖堂の祭壇を飾る無償のレースに関する、王宮へ提出するためのダミーの進捗報告書を数枚取り出した。
さらに、領地の慈善事業(ステラが配るための毛布や食料)の形ばかりの決算書など、彼が表向きの顔を保つために必要な、中身を読むのが面倒な書類の束を用意した。
彼女は、その分厚い書類の束の真ん中、一番目立たない位置に、特許の名義変更の書類を滑り込ませた。
表紙には、領内の職人への特殊技術指導に関する確認書という、いかにも地味で退屈そうなタイトルを自筆で書き加える。
「……完璧ね」
オリヴィアは、氷のような微笑みを浮かべた。
これまでの彼女なら、夫を騙して署名を奪うなど、恐ろしくて震え上がっていただろう。
波風を立てることを極端に嫌い、自分が我慢すればうまくいくと信じていたかつての彼女は、もうどこにもいない。
道徳という鎖で長年搾取され続け、最後に直接暴力を振るわれた夜、彼女の中で何かが決定的に壊れ、同時に、冷酷なまでの自立心が研ぎ澄まされたのだ。
「自分の身は、論理と知識で守る。感情論で泣き叫んでも、彼らには『心が貧しい』と論点をすり替えられるだけ。……さあ、行きましょうか」
オリヴィアは書類の束を抱え、セドリックの執務室へと向かった。
扉をノックすると、「入れ」という、機嫌の良さそうな声が響いた。
執務室に入ると、セドリックは上質な葉巻を燻らせながら、王宮から届いたばかりの祭典の招待状を満足げに眺めていた。
「おお、オリヴィアか。大聖堂の装飾の進捗はどうだい?」
彼は、妻が部屋にこもりきりで無私の心で奉仕していると信じきっているため、先日の暴力のことなど完全に忘れたかのように、爽やかな笑顔を向けた。
「はい、セドリック様。順調に進んでおりますわ」
オリヴィアは、深く、優雅に一礼し、手にした書類の束を彼の机の上に置いた。
「本日は、王宮へ提出する進捗報告書と、来月の領民への配給に関する決算書、それに付随する細かな確認書類に、当主様としてのサインをいただきに参りました」
「ああ、また書類か。君が確認したなら、間違いないだろう?」
セドリックは、露骨に面倒くさそうな顔をした。
彼にとって、数字や実務の書類は自分がどれほど素晴らしい名君であるかを証明するための小道具でしかない。
中身の精査など、泥臭くて自分には似合わない作業だと思っているのだ。
「恐れ入ります。ですが、今回は王宮も絡む大きな祭典の準備がございます。私が全てを独断で進めるわけにはまいりません。どうか、セドリック様のご署名をお願いいたします」
オリヴィアは、最も従順で貞粛な妻の声色を作り上げた。
「それに、ステラ様が祭典の当日に最高のお披露目ができるよう、準備の手配書も含まれております」
ステラの名前を出した瞬間、セドリックの顔がさらに緩んだ。
「そうか、ステラのためにね。君もようやく、彼女の素晴らしい役割を支える喜びを知ったようだ。いいだろう、サインしよう」
彼は羽ペンを手に取り、インク壺に浸した。
オリヴィアは、彼の隣に立ち、一枚ずつ書類をめくっていった。
「こちらが、王宮への進捗報告書です。祭壇のレースは五メートルの幅で編み上がっておりますわ」
まあ、大嘘だが。
「うむ、素晴らしい」
サラサラと、確認もせずにサインをするセドリック。
「こちらは、来月の慈善事業の予算案です」
「よし」
「そしてこちらが……、領内の職人への技術指導に関する確認書です」
オリヴィアは、息を殺して、特許名義変更の書類が含まれたページを開いた。
この書類に彼がサインするかどうか。
それが、オリヴィアの運命を決めることになる。
うまくいくのか、それとも……。
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