「君は自分の利益しか考えてないのか?」と私の成果をタダで配る偽善者の浮気夫。〜やりがい搾取に疲れたので、すべての権利をいただいて去ります〜

水上

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第51話:決別

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「……オリヴィア」

 セドリックは、最後にもう一度だけ、すがりつくような、湿り気を帯びた目を向けた。

「君は……、本当に、僕を愛してはいなかったのか? あの三年間の結婚生活は、全て嘘だったのか?」

 彼は、被害者ぶって相手の情に訴えかける手口を、無意識に使っていた。
 しかし、オリヴィアの顔には、一片の同情も、かつての愛への未練も浮かばなかった。

「私が愛していたのは、あなたが最初に私に見せてくれた優しい外面という名の幻です」

 オリヴィアは、完璧な見切りの微笑みを浮かべた。

「でも、その幻は、あなたが私の命を削ることを当然と思い始めた日に、完全に消え失せました。……今の私にとって、あなたはただの、私の成果を搾取し続けた、無能な偽善者でしかありません。一ミリの情も、未練も残っておりませんわ」

「あ……、ああ……」

 セドリックは、完全に心が折れる音を聞いた。
 彼を支えていた、妻は自分を愛し、自分の理念に従属しているという傲慢な幻想が、無残に砕け散った瞬間だった。

 彼は、絶望の涙をポロポロとこぼしながら、書類に自分の名前を書き殴った。
 ウィンザー伯爵家の当主としての、最後の署名。

 それは、かつて彼が愛の技術提供などと有頂天になって特許譲渡書にサインをした時と同じ、惨めな敗北の証だった。

「ご苦労。……これで、貴殿と我が商会、そして王室との債務関係は全て清算された」

 ハワード会頭が、冷酷な事務処理のように書類を回収した。

「貴殿は今からただの平民、セドリックだ。この屋敷と領地は、今日からハワード商会の管理下に置かれる。私物は着の身着のままの分だけ持ち出しを許可する。……日没までに、ここから出て行きたまえ」

 法務官たちも、用は済んだとばかりに応接室を後にした。

 オリヴィアは、踵を返し、ハワード会頭の後に続こうとした。 

「待ってくれ、オリヴィア!」

 セドリックが、絞り出すような声で呼び止めた。

「君は……、これからどうするんだ? 僕を見捨てて……、あの商会で、金のためにレースを編むのか?」

 最後まで、彼は彼女のお金への執着を非難することで、自分の精神的な優位性を保とうとしていた。

 オリヴィアは、肩越しに振り返り、清々しい笑顔を見せた。

「ええ。私は、自分の実力を正当な金貨で評価してくださる場所で、最高に贅沢な環境で糸を紡ぎますわ。……あなたが『心が貧しい』と蔑んだ、強欲な女としてね」

「……っ」

「あなたの望む無私の心は、私には到底持ち得ないものでした。どうぞ、純粋な心をお持ちのステラ様と、ご立派な社会貢献を続けてくださいませ。……もっとも、配るための資金も、あなたの名声も、もう一欠片も残っておりませんが」

 完璧な論破と、決別宣言。
 オリヴィアは、もう二度と振り返ることなく、重厚な扉を抜けて応接室を出た。

 彼女の背筋はピンと伸び、その足取りは、全てのしがらみから解放された鳥のように軽やかだった。

 屋敷の廊下を歩きながら、オリヴィアは深く深呼吸をした。
 三年間、この屋敷の埃っぽい空気を吸い、夫の美しい言葉という猛毒を浴び続けてきた。

 しかし、今、彼女の肺を満たしているのは、完全な自由という名の、最も清らかな空気だった。

 玄関ホールに出ると、マーサが涙ぐみながら待っていた。

「奥様……! 本当に、終わったのですね」

「ええ、マーサ。私はもう、ウィンザー伯爵夫人ではないわ。ただのオリヴィアよ。……さあ、私たちの本当の家へ帰りましょう」

 オリヴィアとマーサは、ハワード会頭の手配した馬車に乗り込んだ。
 馬車が動き出し、ウィンザー邸の立派な門が遠ざかっていく。

 その門の向こう側では、今頃、全てを失ったセドリックが絶望のどん底で泣き叫び、ステラと醜い罵り合いを始めていることだろう。

 しかし、オリヴィアの心には、もう彼らへの怒りも、復讐の余韻すら残っていなかった。
 彼女は、無能な偽善者たちを完全に自分の人生から切り離したのだ。

 彼らがこれから泥水をすすろうが、野垂れ死のうが、彼女の知ったことではない。

「奥様……、いえ、オリヴィア様。商会のアトリエでは、新しい絹糸が何百種類もご用意してあるそうです。それに、王室の専属仕立て屋から、ぜひあなたの新作レースをドレスに使いたいという依頼が、すでに舞い込んでいるとか……」

 マーサが、興奮冷めやらぬ様子で報告した。

「まあ。それは忙しくなりそうね」

 オリヴィアは、馬車の窓から、王都の青く澄み渡った空を見上げた。

「でも、少しも苦ではないわ。自分の価値を認めてくれる人たちのために、自分の名前を刻む仕事だもの。……これからは、誰の顔色も窺わず、私の紡ぎたいものを、心ゆくまで紡ぐのよ」

 彼女の顔には、長年の理不尽な労働で失われていた、本来の美しさと、職人としての誇り高い輝きが完全に蘇っている。

 無能な夫の束縛から華麗なる決別を果たした彼女の前には、今、無限の可能性に満ちた、光り輝く未来が広がっていた。
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