王太子に理不尽に婚約破棄されたので辺境を改革したら、王都に戻ってきてくれと言われました

水上

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第1話:婚約破棄

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 王立貴族学院の卒業パーティーは、発酵が進みすぎたワインのような、鼻につく熱気に満ちていた。

 煌びやかなシャンデリアの下、着飾った令嬢たちが蝶のように舞い、将来の有力者である令息たちに媚びを売る。

 会場の隅、壁の花として佇む伯爵令嬢エリアナ・バーネットは、手にしたグラスを静かに揺らしながら、ため息をついた。

 その時、楽団の演奏が唐突に止まった。
 ざわめきが波が引くように収まり、会場の視線が一箇所に集まる。

 壇上に立ったのは、金髪碧眼の王太子テオドール。
 そしてその腕には、小柄な男爵令嬢、マリアンヌがしなだれかかっていた。

「エリアナ・バーネット! 前へ出よ!」

 テオドールのよく通る声が響く。
 エリアナは表情を殺して優雅にカーテシーを行った。

「はい、殿下。何か御用でしょうか」

「 今日この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」

 会場がどよめきに包まれる。
 だが、エリアナの心拍数は平常時と変わらなかった。

「理由は、わかるな?」

「いえ。推測の域を出ませんので、明確なデータをご提示いただけますか?」

「そういうところだ! 貴様のその、陰気で、可愛げのない性格が我慢ならないのだ! マリアンヌを見ろ、彼女は純粋で愛らしい。それに比べて貴様は……、まるで研究室のカビのようだ。そう、お前は中身まで腐っている!」

 腐っている。
 その単語が出た瞬間、エリアナの眼鏡の奥の瞳が、鋭く光った。

「きゃっ!」

 その時、テオドールの隣でマリアンヌが短く悲鳴を上げ、よろめいた。
 何もない平坦な床で、足がもつれたかのようにテオドールの胸に倒れ込む。

「マリアンヌ! 大丈夫か!?」

「ごめんなさい、テオドール様……。エリアナ様に見つめられたら、急に足が震えてしまって……」

 マリアンヌは潤んだ瞳でエリアナを睨みつける。
 周囲からは「可哀想に」「なんて恐ろしい女だ」というひそひそ話が聞こえ始めた。

「平坦な道での原因不明の転倒。さらに眼球振盪の疑いも見受けられます。小脳の機能障害か、あるいは三半規管に深刻な異常が発生している可能性が高いです。彼女は重篤な脳神経疾患かもしれません。一刻も早い精密検査が必要です」

 エリアナの大真面目なトーンに、会場の空気が凍りついた。

 マリアンヌの顔が引きつる。

「ち、違いますわ! ただ躓いただけです!」

 テオドールが顔を真っ赤にして怒鳴った。

「マリアンヌのドジな一面に嫉妬でもしたか!? この 私の魅力にも気づかず、マリアンヌの美しさを認められないとは、お前は盲目なのか!?」

 エリアナは眼鏡の位置を人差し指で直し、淡々と返す。

「私の視力は眼鏡ありで両目とも1.5ですが……、どうやら殿下の方こそ、強力な認知バイアスがかかっているようですね」

「な、なんだと?」

「能力の低い人が、実際よりも自分を高く評価してしまう現象……、所謂ダニング=クルーガー効果の典型例として、私の論文に引用させていただいてもよろしいでしょうか?」

「ぶっ……」

 会場のどこかから、吹き出すような音が漏れた。
 テオドールは屈辱に震え、拳を握りしめる。

「き、貴様……! よくもそんな減らず口を……! やはりお前は腐った女だ! 陰気で、誰からも愛されず、ただそこで腐敗していくだけの存在だ!」

 エリアナは、ふ、と小さく微笑んだ。
 それは冷徹でありながら、どこか慈愛すら感じる、真理を知る者だけが浮かべる笑みだった。

「殿下。先ほどから『腐っている』と仰いますが……言葉の定義を正しく理解されていますか?」

「なんだと?」

「発酵とは、微生物の働きによって有機物が分解され、人間にとって有益な物質が生成されるプロセスのこと。対して腐敗とは、有害な物質や悪臭を生み出すプロセスのことを指します」

 エリアナは懐から一冊の手帳を取り出した。
 彼女が管理を任されていた領地の収支報告書の写しだ。

「私が管理補佐を行っていた北地区の農地は、土壌改良と微生物資材の投入により、昨対比で収穫量が120%増加しました。これは環境を整え、有益な変化を生み出した結果です」

 ペラリ、とページをめくる。

「一方で、殿下とマリアンヌ様が主導して介入された南地区の開発事業……、あれは無計画な森林伐採により土砂崩れを誘発し、復旧費用で財政が破綻寸前ですね。環境を破壊し、有害な赤字を垂れ流している。これこそが腐敗です」

 エリアナは手帳をパタンと閉じ、真っ直ぐに元婚約者を見据えた。

「さて、殿下。数字と実績が示す通りです。本当に腐っているのは……、どちらの経営手腕でしょうか?」

 会場は静まり返っていた。

 一部の者は知っていたのだ。
 エリアナ・バーネットという令嬢が、派手さはなくとも、極めて優秀な実務家であることを。

 そして、王太子とその取り巻きたちが、見栄えだけの政策で国庫を疲弊させていることを。
 テオドールはパクパクと口を開閉させ、言葉を失っている。

 マリアンヌは青ざめた顔で視線を泳がせていた。

「婚約破棄の件、謹んでお受けいたします。これ以上、私のリソースを腐敗の処理に割くのは非効率的ですから」

 エリアナは一礼した。
 
 しかし、騒動はまだ、これで終わりではなかったのだった。
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