王太子に理不尽に婚約破棄されたので辺境を改革したら、王都に戻ってきてくれと言われました

水上

文字の大きさ
1 / 2

第1話:婚約破棄

しおりを挟む
 王立貴族学院の卒業パーティーは、発酵が進みすぎたワインのような、鼻につく熱気に満ちていた。

 煌びやかなシャンデリアの下、着飾った令嬢たちが蝶のように舞い、将来の有力者である令息たちに媚びを売る。

 会場の隅、壁の花として佇む伯爵令嬢エリアナ・バーネットは、手にしたグラスを静かに揺らしながら、ため息をついた。

 その時、楽団の演奏が唐突に止まった。
 ざわめきが波が引くように収まり、会場の視線が一箇所に集まる。

 壇上に立ったのは、金髪碧眼の王太子テオドール。
 そしてその腕には、小柄な男爵令嬢、マリアンヌがしなだれかかっていた。

「エリアナ・バーネット! 前へ出よ!」

 テオドールのよく通る声が響く。
 エリアナは表情を殺して優雅にカーテシーを行った。

「はい、殿下。何か御用でしょうか」

「 今日この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」

 会場がどよめきに包まれる。
 だが、エリアナの心拍数は平常時と変わらなかった。

「理由は、わかるな?」

「いえ。推測の域を出ませんので、明確なデータをご提示いただけますか?」

「そういうところだ! 貴様のその、陰気で、可愛げのない性格が我慢ならないのだ! マリアンヌを見ろ、彼女は純粋で愛らしい。それに比べて貴様は……、まるで研究室のカビのようだ。そう、お前は中身まで腐っている!」

 腐っている。
 その単語が出た瞬間、エリアナの眼鏡の奥の瞳が、鋭く光った。

「きゃっ!」

 その時、テオドールの隣でマリアンヌが短く悲鳴を上げ、よろめいた。
 何もない平坦な床で、足がもつれたかのようにテオドールの胸に倒れ込む。

「マリアンヌ! 大丈夫か!?」

「ごめんなさい、テオドール様……。エリアナ様に見つめられたら、急に足が震えてしまって……」

 マリアンヌは潤んだ瞳でエリアナを睨みつける。
 周囲からは「可哀想に」「なんて恐ろしい女だ」というひそひそ話が聞こえ始めた。

「平坦な道での原因不明の転倒。さらに眼球振盪の疑いも見受けられます。小脳の機能障害か、あるいは三半規管に深刻な異常が発生している可能性が高いです。彼女は重篤な脳神経疾患かもしれません。一刻も早い精密検査が必要です」

 エリアナの大真面目なトーンに、会場の空気が凍りついた。

 マリアンヌの顔が引きつる。

「ち、違いますわ! ただ躓いただけです!」

 テオドールが顔を真っ赤にして怒鳴った。

「マリアンヌのドジな一面に嫉妬でもしたか!? この 私の魅力にも気づかず、マリアンヌの美しさを認められないとは、お前は盲目なのか!?」

 エリアナは眼鏡の位置を人差し指で直し、淡々と返す。

「私の視力は眼鏡ありで両目とも1.5ですが……、どうやら殿下の方こそ、強力な認知バイアスがかかっているようですね」

「な、なんだと?」

「能力の低い人が、実際よりも自分を高く評価してしまう現象……、所謂ダニング=クルーガー効果の典型例として、私の論文に引用させていただいてもよろしいでしょうか?」

「ぶっ……」

 会場のどこかから、吹き出すような音が漏れた。
 テオドールは屈辱に震え、拳を握りしめる。

「き、貴様……! よくもそんな減らず口を……! やはりお前は腐った女だ! 陰気で、誰からも愛されず、ただそこで腐敗していくだけの存在だ!」

 エリアナは、ふ、と小さく微笑んだ。
 それは冷徹でありながら、どこか慈愛すら感じる、真理を知る者だけが浮かべる笑みだった。

「殿下。先ほどから『腐っている』と仰いますが……言葉の定義を正しく理解されていますか?」

「なんだと?」

「発酵とは、微生物の働きによって有機物が分解され、人間にとって有益な物質が生成されるプロセスのこと。対して腐敗とは、有害な物質や悪臭を生み出すプロセスのことを指します」

 エリアナは懐から一冊の手帳を取り出した。
 彼女が管理を任されていた領地の収支報告書の写しだ。

「私が管理補佐を行っていた北地区の農地は、土壌改良と微生物資材の投入により、昨対比で収穫量が120%増加しました。これは環境を整え、有益な変化を生み出した結果です」

 ペラリ、とページをめくる。

「一方で、殿下とマリアンヌ様が主導して介入された南地区の開発事業……、あれは無計画な森林伐採により土砂崩れを誘発し、復旧費用で財政が破綻寸前ですね。環境を破壊し、有害な赤字を垂れ流している。これこそが腐敗です」

 エリアナは手帳をパタンと閉じ、真っ直ぐに元婚約者を見据えた。

「さて、殿下。数字と実績が示す通りです。本当に腐っているのは……、どちらの経営手腕でしょうか?」

 会場は静まり返っていた。

 一部の者は知っていたのだ。
 エリアナ・バーネットという令嬢が、派手さはなくとも、極めて優秀な実務家であることを。

 そして、王太子とその取り巻きたちが、見栄えだけの政策で国庫を疲弊させていることを。
 テオドールはパクパクと口を開閉させ、言葉を失っている。

 マリアンヌは青ざめた顔で視線を泳がせていた。

「婚約破棄の件、謹んでお受けいたします。これ以上、私のリソースを腐敗の処理に割くのは非効率的ですから」

 エリアナは一礼した。
 
 しかし、騒動はまだ、これで終わりではなかったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

平手打ちされたので、婚約破棄宣言に拳でお答えしました

Megumi
恋愛
婚約破棄を告げられ、婚約者に平手打ちされた——その瞬間。 伯爵令嬢イヴの拳が炸裂した。 理不尽に耐える淑女の時代は、もう終わり。 これは“我慢しない令嬢”が、これまでの常識を覆す話。

殿下が婚約破棄してくれたおかげで泥船から脱出できました。さて、私がいなくなったあと、そちらは大丈夫なのでしょうか?

水上
恋愛
「エリーゼ・フォン・アークライト! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄する!」  そう言ってどんどん話を進めてく殿下に、私はとあるものを見せました。  「これは?」 「精算書でございます」 「は?」  私はファイルを丁寧に開き、一番上の書類を殿下の目の前に掲げました。 「こちらが、過去一〇年間にわたり、私が次期王妃教育のために費やした教育費、教師への謝礼金、および公務のために新調した衣装代、装飾品代の総額です。すべて領収書を添付しております」  会場がざわめき始めました。  私はさらにページをめくります。 「次に、こちらが殿下の公務補佐として私が代行した業務の労働対価。王宮の書記官の平均時給をベースに、深夜割増と休日出勤手当を加算しております」 「な、何を言って……」 「そして最後に、こちらが一方的な婚約破棄に対する精神的苦痛への慰謝料。これは判例に基づき、王族間の婚約破棄における最高額を設定させていただきました」  私はニッコリと微笑みました。 「締めて、金貨三億五千万枚。なお、支払いが遅れる場合は、年利一五パーセントの遅延損害金が発生いたします。複利計算で算出しておりますので、お早めのお支払いをお勧めいたしますわ」  大広間が完全なる静寂に包まれました。  三億五千万枚。  それは小国の国家予算にも匹敵する金額です。 「き、貴様……。金の話など、卑しいとは思わんのか!?」  震える声で殿下が叫びました。  私は首を傾げます。 「卑しい? とんでもない。これは、契約の不履行に対する正当な対価請求ですわ。殿下、ご存知ですか? 愛はプライスレスかもしれませんが、結婚は契約、生活はコストなのです」  私は殿下の胸ポケットに、その請求書を優しく差し込みました。  そうして泥舟から脱出できる喜びを感じていましたが、私がいなくなったあと、そちらは大丈夫なのでしょうか?

婚約破棄? 私、この国の守護神ですが。

國樹田 樹
恋愛
王宮の舞踏会場にて婚約破棄を宣言された公爵令嬢・メリザンド=デラクロワ。 声高に断罪を叫ぶ王太子を前に、彼女は余裕の笑みを湛えていた。 愚かな男―――否、愚かな人間に、女神は鉄槌を下す。 古の盟約に縛られた一人の『女性』を巡る、悲恋と未来のお話。 よくある感じのざまぁ物語です。 ふんわり設定。ゆるーくお読みください。

悪役令嬢ですが、断罪した側が先に壊れました

あめとおと
恋愛
三日後、私は断罪される。 そう理解したうえで、悪役令嬢アリアンナは今日も王国のために働いていた。 平民出身のヒロインの「善意」、 王太子の「優しさ」、 そしてそれらが生み出す無数の歪み。 感情論で壊されていく現実を、誰にも知られず修正してきたのは――“悪役”と呼ばれる彼女だった。 やがて訪れる断罪。婚約破棄。国外追放。 それでも彼女は泣かず、縋らず、弁明もしない。 なぜなら、間違っていたつもりは一度もないから。 これは、 「断罪される側」が最後まで正しかった物語。 そして、悪役令嬢が舞台を降りた“その後”に始まる、静かで確かな人生の物語。

家族から見放されましたが、王家が救ってくれました!

マルローネ
恋愛
「お前は私に相応しくない。婚約を破棄する」  花嫁修業中の伯爵令嬢のユリアは突然、相応しくないとして婚約者の侯爵令息であるレイモンドに捨てられた。それを聞いた彼女の父親も家族もユリアを必要なしとして捨て去る。 途方に暮れたユリアだったが彼女にはとても大きな味方がおり……。

事故で記憶喪失になったら、婚約者に「僕が好きだったのは、こんな陰気な女じゃない」と言われました。その後、記憶が戻った私は……【完結】

小平ニコ
恋愛
エリザベラはある日、事故で記憶を失った。 婚約者であるバーナルドは、最初は優しく接してくれていたが、いつまでたっても記憶が戻らないエリザベラに対し、次第に苛立ちを募らせ、つらく当たるようになる。 そのため、エリザベラはふさぎ込み、一時は死にたいとすら思うが、担当医のダンストン先生に励まされ、『記憶を取り戻すためのセラピー』を受けることで、少しずつ昔のことを思いだしていく。 そしてとうとう、エリザベラの記憶は、完全に元に戻った。 すっかり疎遠になっていたバーナルドは、『やっと元のエリザベラに戻った!』と、喜び勇んでエリザベラの元に駆けつけるが、エリザベラは記憶のない時に、バーナルドにつらく当たられたことを、忘れていなかった……

一年だけの夫婦でも私は幸せでした。

クロユキ
恋愛
騎士のブライドと結婚をしたフローズンは夫がまだ婚約者だった姉を今でも想っている事を知っていた。 フローズンとブライドは政略結婚で結婚式当日にブライドの婚約者だった姉が姿を消してしまった。 フローズンは姉が戻るまでの一年の夫婦の生活が始まった。 更新が不定期です。誤字脱字がありますが宜しくお願いします。

【完結】結婚しておりませんけど?

との
恋愛
「アリーシャ⋯⋯愛してる」 「私も愛してるわ、イーサン」 真実の愛復活で盛り上がる2人ですが、イーサン・ボクスと私サラ・モーガンは今日婚約したばかりなんですけどね。 しかもこの2人、結婚式やら愛の巣やらの準備をはじめた上に私にその費用を負担させようとしはじめました。頭大丈夫ですかね〜。 盛大なるざまぁ⋯⋯いえ、バリエーション豊かなざまぁを楽しんでいただきます。 だって、私の友達が張り切っていまして⋯⋯。どうせならみんなで盛り上がろうと、これはもう『ざまぁパーティー』ですかね。 「俺の苺ちゃんがあ〜」 「早い者勝ち」 ーーーーーー ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。 完結しました。HOT2位感謝です\(//∇//)\ R15は念の為・・

処理中です...