「妻ならわかってよ」浮気夫が、私の成果を愛人の手柄にしました。〜私なしでも事業が回ると思っているようなので、現実を見せて差し上げましょう~

水上

文字の大きさ
33 / 49

第33話:新たな待遇

 真夜中の王都を走る馬車の中は、静謐な空気に包まれていた。

 ルミエール商会の会頭、ギルバートは、対面の席に座るクロエに温かい紅茶の入った水筒と、肌触りの良いカシミアのショールを差し出した。

「まずは少しお体を休めてください。王都の外れにある私の別邸まで、あと一時間ほどかかります」

「ありがとうございます、ギルバート様」

 クロエはショールを肩に掛け、紅茶を一口啜った。
 上質なダージリンの香りが、三日間パンと水だけで冷え切っていた胃の腑にじんわりと染み渡る。

 自分が破れたドレスのまま裸足でいることなど、今の彼女にはどうでもよかった。
 肩の力が抜け、長年張り詰めていた緊張の糸が、ようやく解れていくのを感じていた。

「それにしても、先ほどの貴女の話……。実に見事な手際です。まさか、厳重な監視網を、たった数滴の香りで突破されるとは」

 ギルバートは、感嘆の息を漏らした。

 彼が手配したのは、あくまで屋敷の外での馬車の待機と、王都の監査機関への根回しだけだ。
 屋敷内部からの脱出は、クロエ自身の力で成し遂げられたものだった。

「あの男……、ヴァレンティン伯爵は、貴女の才能をただの便利な道具としてしか見ていなかった。我が商会としては、その無能さに呆れると同時に、貴女を迎え入れる絶好の機会を与えてくれたことに感謝すら覚えますよ」

 ギルバートは苦笑交じりに首を横に振った。

「ええ。彼は自分が何を守り、何を失ったのかを、最も残酷な形で知ることになるでしょうね」

 クロエは窓の外へと視線を向けた。

 流れる王都の夜景。
 ガス灯の光が、彼女の翡翠の瞳に静かな決意の炎を映し出している。

 アーサーが今夜のパーティーで、どれほどの出資者から莫大な資金を集めようとも、それは明日にはすべて詐欺の証拠として彼の首を絞める鎖となる。

 彼が誇るネロリの夜明けも、新事業の星空の涙も、クロエの知識と技術がなければ、一滴たりとも生産することは不可能なのだから。

「今後のことですが」

 ギルバートが、少し真剣な表情になって身を乗り出した。

「監査機関は、ヴァレンティン商会への強制捜査に踏み切ります。貴女が提出した離縁状も、不正の証拠と共に受理され、法的に有効なものとして処理される手筈です。……貴女はもう、あの男の妻ではありません。完全に自由な身です」

「……」

 クロエは、ショールを握りしめた。

 完全に自由。
 その言葉の響きが、胸の奥深くに沁み込んでいく。

 もう、徹夜で香水を作らされることもない。
 もう、手柄を浮気相手に横取りされて愛想笑いを浮かべる必要もない。

 もう、あの暴力的な香水の匂いと、無責任な責任転嫁の言葉に心をすり減らすこともないのだ。

「そして、我がルミエール商会は、貴女を専属の調香師として、最高の待遇でお迎えいたします。もちろん、貴女の望む研究環境と、正当な報酬をお約束します。貴女の技術は、誰かに搾取されるべきものではない。世界を豊かにするための、尊い財産なのですから」

 ギルバートの力強い言葉に、クロエの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
 それは、アーサーの前で見せた計算された涙でも、絶望の涙でもない。

 自分の価値を正当に評価し、一人の人間として、専門家として尊重してくれる言葉に対する、純粋な安堵と喜びの涙だった。

「……ありがとうございます、ギルバート様。私は、技術のすべてを、私自身と、正当に評価してくださる方のために使います」

 クロエは涙を拭い、力強く頷いた。
 搾取からの完全なる解放。
 
 鳥籠は完全に破壊され、彼女は今、広い空へと飛び立ったのだ。

あなたにおすすめの小説

幼馴染が最優先な婚約者など、私の人生には不要です。

たると
恋愛
シュタイン伯爵家の長女エルゼは、公爵子息フィリップに恋をしていた。 彼の婚約者として選ばれた時は涙を流して喜んだが、その喜びもいまは遠い。 『君は一人でも大丈夫だろう。この埋め合わせは必ずする。愛している』 「……『愛している』、ですか」 いつも幼馴染を優先するアルベルトに、恋心はすっかり冷めてしまった。

文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる── 侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。 だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。 アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。 そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。 「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」 これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。 ⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。過激ざまぁタグあります。 4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。

私を裏切った不倫夫に「どなたですか?」と微笑むまで 〜没落令嬢の復讐劇〜

恋せよ恋
恋愛
「早くあんな女と別れて、可愛い子と一緒になりたいよ」 不倫中の夫が笑う声を聞き、絶望の中で事故に遭うジェシカ。 結婚五年目に授かったお腹の子を失った彼女は、 「記憶を失ったフリ」で夫と地獄の婚家を捨てることを決意。 元男爵令嬢の薄幸ヒロインは、修道院で静かに時を過ごす。 独り身領主の三歳の男の子に懐かれ、なぜか領主まで登場! 無実の罪をなすりつけ、私を使い潰した報いを受けなさい。 記憶喪失を装った没落令嬢による、「ざまぁ」が幕を開ける! ※本作品には、馬車事故による流産の描写が含まれます。  苦手な方はご注意ください。主人公が絶対に幸せになる  物語ですので、安心してお読みいただければ幸いです。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

夫は私を愛していないそうなので、遠慮なく離婚します。今さら引き止められても遅いです

藤原遊
恋愛
王妃付き護衛騎士である夫に、「お前を愛したことはない」と告げられた。 理由は単純。 愛などなくても、仕事に支障はないからだという。 ──そうですか。 それなら、こちらも遠慮する必要はありませんね。 王妃の機嫌、侍女たちとの関係、贈り物の選定。 夫が「当然のように」こなしていたそれらは、すべて私が整えていたもの。 離婚後、少しずつ歯車は狂い始める。 気づいたときにはもう遅い。 積み上げてきた信用は、静かに崩れていく。 一方で私は、王妃のもとへ。 今さら引き止められても、遅いのです。

わたくしの婚約者が病弱な幼馴染に縋り付かれた…あれ?

ぼん@ぼおやっじ
恋愛
ある日私の婚約者に幼馴染から連絡が来ました。 病気にかかって心細いから会いたいというのです。 これって最近聞いた… 私たち死一体どうなってしまうのでしょう…

【完結】貴方の後悔など、聞きたくありません。

なか
恋愛
学園に特待生として入学したリディアであったが、平民である彼女は貴族家の者には目障りだった。 追い出すようなイジメを受けていた彼女を救ってくれたのはグレアルフという伯爵家の青年。 優しく、明るいグレアルフは屈託のない笑顔でリディアと接する。 誰にも明かさずに会う内に恋仲となった二人であったが、 リディアは知ってしまう、グレアルフの本性を……。 全てを知り、死を考えた彼女であったが、 とある出会いにより自分の価値を知った時、再び立ち上がる事を選択する。 後悔の言葉など全て無視する決意と共に、生きていく。

愚か者は幸せを捨てた

矢野りと
恋愛
相思相愛で結ばれた二人がある日、分かれることになった。夫を愛しているサラは別れを拒んだが、夫であるマキタは非情な手段でサラとの婚姻関係そのものをなかったことにしてしまった。 だがそれは男の本意ではなかった…。 魅了の呪縛から解き放たれた男が我に返った時、そこに幸せはなかった。 最愛の人を失った男が必死に幸せを取り戻そうとするが…。

【完結】ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望