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第38話:破滅への引き金
「……イザベラ」
アーサーは、イザベラの手を掴み、血走った目で彼女を睨みつけた。
「君が、作れ」
「……は?」
イザベラは目を瞬かせた。
「君が作るんだよ。星空の涙も、ネロリの夜明けも、君の感性から生まれたんだろう? プレパーティーでも、あの夜の発表会でも、君は自分の手柄だと言って称賛を浴びていたじゃないか。……君なら作れるはずだろ?」
アーサーの言葉は、完全に責任転嫁の極致だった。
クロエがいなくなった今、彼は自分が香水を作れないことを棚に上げ、イザベラにすべてを押し付けようとしているのだ。
かつてクロエに「君がやりたがってた事業だろ」と責任を押し付けたのと同じように。
「なっ……! 何を言ってますの!? 私はアイディアを出しただけで、実際に泥臭い作業をするのはあの女の仕事でしょう!? 私にそんな専門知識があるわけないじゃないですか!」
イザベラはパニックに陥り、アーサーの手を振り払おうとした。
「なら、今すぐ勉強しろ! 工房には材料の精油はまだ残っている。適当に混ぜ合わせれば、それらしい匂いになるだろう! 君の公爵家の名前に泥を塗りたくないなら、何がなんでも明日までに試作品をでっち上げろ!」
アーサーは、イザベラを突き飛ばすようにして立ち上がった。
「僕は、監査局と出資者たちへの言い訳を考えなきゃならない。工房の鍵は開けてある。……君が僕の女神なら、僕をこの窮地から救ってみせろよ」
アーサーはそれだけを言い捨てると、応接室を出て行ってしまった。
一人残されたイザベラは、信じられないものを見るような目で、閉じられた扉を見つめていた。
彼女が愛していたのは、華やかで、自信に満ちていて、自分に都合よく何でも与えてくれる金づるとしてのアーサーだった。
自分のために香水を作らせてくれる便利な妻がいるからこそ、彼女は彼に寄り添っていたのだ。
(私が、作る……? あんな、土臭い材料を混ぜ合わせて……?)
イザベラは、震える足で応接室を出て、一階の奥にあるクロエの工房へと向かった。
扉を開けると、そこには無数の精油の小瓶が並んでいた。
しかし、彼女には、どれが何の香りで、どの順番で混ぜ合わせれば星空の涙になるのか、全く見当もつかない。
「……ふざけないでよ」
イザベラは、手当たり次第に小瓶を手に取り、大きなビーカーの中にドバドバと注ぎ込み始めた。
イランイランの重い甘さ、ローズの華やかさ、ジャスミンの濃厚さ。
高価な精油を、分量も計算もなしに、ただ自分が好きな匂いだからという理由だけで混ぜ合わせていく。
「こんなの、適当に甘くていい匂いにすれば、あの馬鹿な貴族どもは騙されるわよ!」
イザベラは、半ば狂乱したようにビーカーをかき混ぜ続けた。
彼女の頭の中には、香りの階層の概念も、化学的な安定性の知識もない。
ただ、自分の承認欲求とプライドを守るためだけに、高価な材料を無駄に消費しているだけだった。
数時間後。
イザベラの目の前には、どす黒く濁った、吐き気を催すような強烈な悪臭を放つ液体が完成していた。
異なる性質の精油が化学反応を起こし、本来の香りを完全に殺し合ってしまった結果だ。
「……な、なんで……」
イザベラは、鼻を覆いながら後ずさった。
クロエがいとも簡単に作り出していた、あの美しく澄んだ香り。
それは、血を吐くような努力と、膨大な専門知識の結晶であったことを、彼女はようやく理解した。
しかし、もはや手遅れだった。
翌日、イザベラが星空の涙の試作品と偽って、香水瓶に粗悪な合成香料と濁った液体を詰めて強引に出荷した結果。
ヴァレンティン商会とモンゴメリ公爵家は、取り返しのつかない破滅への引き金を引くこととなるのである。
アーサーは、イザベラの手を掴み、血走った目で彼女を睨みつけた。
「君が、作れ」
「……は?」
イザベラは目を瞬かせた。
「君が作るんだよ。星空の涙も、ネロリの夜明けも、君の感性から生まれたんだろう? プレパーティーでも、あの夜の発表会でも、君は自分の手柄だと言って称賛を浴びていたじゃないか。……君なら作れるはずだろ?」
アーサーの言葉は、完全に責任転嫁の極致だった。
クロエがいなくなった今、彼は自分が香水を作れないことを棚に上げ、イザベラにすべてを押し付けようとしているのだ。
かつてクロエに「君がやりたがってた事業だろ」と責任を押し付けたのと同じように。
「なっ……! 何を言ってますの!? 私はアイディアを出しただけで、実際に泥臭い作業をするのはあの女の仕事でしょう!? 私にそんな専門知識があるわけないじゃないですか!」
イザベラはパニックに陥り、アーサーの手を振り払おうとした。
「なら、今すぐ勉強しろ! 工房には材料の精油はまだ残っている。適当に混ぜ合わせれば、それらしい匂いになるだろう! 君の公爵家の名前に泥を塗りたくないなら、何がなんでも明日までに試作品をでっち上げろ!」
アーサーは、イザベラを突き飛ばすようにして立ち上がった。
「僕は、監査局と出資者たちへの言い訳を考えなきゃならない。工房の鍵は開けてある。……君が僕の女神なら、僕をこの窮地から救ってみせろよ」
アーサーはそれだけを言い捨てると、応接室を出て行ってしまった。
一人残されたイザベラは、信じられないものを見るような目で、閉じられた扉を見つめていた。
彼女が愛していたのは、華やかで、自信に満ちていて、自分に都合よく何でも与えてくれる金づるとしてのアーサーだった。
自分のために香水を作らせてくれる便利な妻がいるからこそ、彼女は彼に寄り添っていたのだ。
(私が、作る……? あんな、土臭い材料を混ぜ合わせて……?)
イザベラは、震える足で応接室を出て、一階の奥にあるクロエの工房へと向かった。
扉を開けると、そこには無数の精油の小瓶が並んでいた。
しかし、彼女には、どれが何の香りで、どの順番で混ぜ合わせれば星空の涙になるのか、全く見当もつかない。
「……ふざけないでよ」
イザベラは、手当たり次第に小瓶を手に取り、大きなビーカーの中にドバドバと注ぎ込み始めた。
イランイランの重い甘さ、ローズの華やかさ、ジャスミンの濃厚さ。
高価な精油を、分量も計算もなしに、ただ自分が好きな匂いだからという理由だけで混ぜ合わせていく。
「こんなの、適当に甘くていい匂いにすれば、あの馬鹿な貴族どもは騙されるわよ!」
イザベラは、半ば狂乱したようにビーカーをかき混ぜ続けた。
彼女の頭の中には、香りの階層の概念も、化学的な安定性の知識もない。
ただ、自分の承認欲求とプライドを守るためだけに、高価な材料を無駄に消費しているだけだった。
数時間後。
イザベラの目の前には、どす黒く濁った、吐き気を催すような強烈な悪臭を放つ液体が完成していた。
異なる性質の精油が化学反応を起こし、本来の香りを完全に殺し合ってしまった結果だ。
「……な、なんで……」
イザベラは、鼻を覆いながら後ずさった。
クロエがいとも簡単に作り出していた、あの美しく澄んだ香り。
それは、血を吐くような努力と、膨大な専門知識の結晶であったことを、彼女はようやく理解した。
しかし、もはや手遅れだった。
翌日、イザベラが星空の涙の試作品と偽って、香水瓶に粗悪な合成香料と濁った液体を詰めて強引に出荷した結果。
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