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第42話:狂気に満ちた執着
「……違う! 僕が悪いんじゃない! あいつが……、クロエが、僕を裏切ったんだ! 僕が拾ってやらなければ、ただの田舎男爵の娘のままだったくせに!」
アーサーはまだ、自分を正当化しようとしていた。
しかし、その声は空虚に響くだけだ。
クロエがいなければ、自分は一滴の香水も作れず、莫大な借金を背負っただけの無能な男だという現実が、冷たく彼を締め付けていく。
「……クロエ。あいつさえ、あいつさえ僕の元に戻ってくれば」
アーサーは、ふらふらと立ち上がった。
目は完全に血走っている。
クロエの居場所はわかっている。
ルミエール商会の王都本店だ。
彼は、ヨレヨレになった上着を羽織り、屋敷を飛び出した。
這いつくばってでも、泣き喚いてでも、クロエを連れ戻す。
彼女が自分を愛しているなら、少し優しくしてやれば必ず許してくれるはずだ。
彼女には自分が必要なのだから。
その狂気に満ちた執着だけが、彼を突き動かしていた。
同じ頃、ルミエール商会の王都本店。
白亜の美しい建物の最上階にある、広々とした日当たりの良い特別調香室。
クロエ・アルベールは、清潔な白衣を身に纏い、穏やかな日差しの中でビーカーを傾けていた。
彼女の表情には、かつてヴァレンティン邸の地下工房で見せていたような、徹夜の疲労も完璧な微笑みという名の冷たい仮面もない。
ただ、植物の香りと純粋に向き合う、プロフェッショナルとしての生き生きとした輝きがあった。
「クロエ様。新作のサンプル、王太后様から大変素晴らしいとお褒めの言葉をいただきましたよ」
ルミエール商会の会頭、ギルバートが、笑顔で調香室に入ってきた。
「ありがとうございます、ギルバート様。ヴァレンティン商会の毒水で荒れたお肌を鎮静させるための、カモミールとラベンダーの処方が上手く作用したようで安心いたしました」
クロエは、ビーカーを静かに置き、ふわりと微笑んだ。
彼女がルミエール商会に移籍して最初に手がけたのは、イザベラが引き起こした健康被害を癒やすための、薬効成分を高めた鎮静用の香油だった。
これが王太后の側近をはじめとする貴族たちの肌荒れを見事に治癒し、クロエの本物の技術に対する信頼は不動のものとなったのだ。
「ええ。皆様、クロエ様の技術と、それを惜しみなく提供してくださる優しさに深く感謝しておられます。……そして、ヴァレンティン伯爵への怒りも、頂点に達しているようですがね」
ギルバートは、少しだけ声のトーンを落とした。
「……アーサーが、どうなろうと」
クロエは、窓辺に歩み寄り、王都の賑やかな通りを見下ろした。
「私にはもう、何の関係もありません。彼の事業が崩壊しようと、彼が借金に塗れようと……、私の心は、一ミリも揺れないのです」
彼女の声は、驚くほど静かで、冷徹だった。
愛が無関心へと完全に移行した今、アーサーの没落は自業自得というただの事実としてしか認識されない。
彼女は、自らの手で彼に復讐を下したわけではない。
彼らが勝手に自滅していく様を、遠くから俯瞰で眺めているだけだ。
「……クロエ様。実は、先ほどから一階の店舗に、厄介な客が押し掛けてきているのです」
ギルバートの言葉に、クロエは静かに振り返った。
「酷く身なりが乱れ、血走った目で『妻を返せ』と喚き散らしている男です。もちろん、警備の者に追い返させていますが……」
「……アーサーですね」
クロエの翡翠の瞳が、スッと冷たく細められた。
自分のすべてを奪い、見下し、都合の良い時だけ利用してきた男。
彼がすべてを失い、這いずるようにして自分の元へやってきた。
「ギルバート様。……私が、直接対応いたします」
「しかし、クロエ様。あのような男と直接顔を合わせるなど、危険では?」
ギルバートは心配そうに眉をひそめたが、クロエは首を横に振った。
「大丈夫です。私には、彼に突きつけなければならない最後の答えがあります。彼が、私がどれほどの価値を持っていたか、そして、彼がどれほど愚かで取り返しのつかないことをしたのかを、永遠に刻み込んでやるために」
クロエの言葉には、確固たる決意が込められていた。
彼女は、過去の呪縛に自らの手で完全な終止符を打つため、調香室の扉を開けた。
アーサーはまだ、自分を正当化しようとしていた。
しかし、その声は空虚に響くだけだ。
クロエがいなければ、自分は一滴の香水も作れず、莫大な借金を背負っただけの無能な男だという現実が、冷たく彼を締め付けていく。
「……クロエ。あいつさえ、あいつさえ僕の元に戻ってくれば」
アーサーは、ふらふらと立ち上がった。
目は完全に血走っている。
クロエの居場所はわかっている。
ルミエール商会の王都本店だ。
彼は、ヨレヨレになった上着を羽織り、屋敷を飛び出した。
這いつくばってでも、泣き喚いてでも、クロエを連れ戻す。
彼女が自分を愛しているなら、少し優しくしてやれば必ず許してくれるはずだ。
彼女には自分が必要なのだから。
その狂気に満ちた執着だけが、彼を突き動かしていた。
同じ頃、ルミエール商会の王都本店。
白亜の美しい建物の最上階にある、広々とした日当たりの良い特別調香室。
クロエ・アルベールは、清潔な白衣を身に纏い、穏やかな日差しの中でビーカーを傾けていた。
彼女の表情には、かつてヴァレンティン邸の地下工房で見せていたような、徹夜の疲労も完璧な微笑みという名の冷たい仮面もない。
ただ、植物の香りと純粋に向き合う、プロフェッショナルとしての生き生きとした輝きがあった。
「クロエ様。新作のサンプル、王太后様から大変素晴らしいとお褒めの言葉をいただきましたよ」
ルミエール商会の会頭、ギルバートが、笑顔で調香室に入ってきた。
「ありがとうございます、ギルバート様。ヴァレンティン商会の毒水で荒れたお肌を鎮静させるための、カモミールとラベンダーの処方が上手く作用したようで安心いたしました」
クロエは、ビーカーを静かに置き、ふわりと微笑んだ。
彼女がルミエール商会に移籍して最初に手がけたのは、イザベラが引き起こした健康被害を癒やすための、薬効成分を高めた鎮静用の香油だった。
これが王太后の側近をはじめとする貴族たちの肌荒れを見事に治癒し、クロエの本物の技術に対する信頼は不動のものとなったのだ。
「ええ。皆様、クロエ様の技術と、それを惜しみなく提供してくださる優しさに深く感謝しておられます。……そして、ヴァレンティン伯爵への怒りも、頂点に達しているようですがね」
ギルバートは、少しだけ声のトーンを落とした。
「……アーサーが、どうなろうと」
クロエは、窓辺に歩み寄り、王都の賑やかな通りを見下ろした。
「私にはもう、何の関係もありません。彼の事業が崩壊しようと、彼が借金に塗れようと……、私の心は、一ミリも揺れないのです」
彼女の声は、驚くほど静かで、冷徹だった。
愛が無関心へと完全に移行した今、アーサーの没落は自業自得というただの事実としてしか認識されない。
彼女は、自らの手で彼に復讐を下したわけではない。
彼らが勝手に自滅していく様を、遠くから俯瞰で眺めているだけだ。
「……クロエ様。実は、先ほどから一階の店舗に、厄介な客が押し掛けてきているのです」
ギルバートの言葉に、クロエは静かに振り返った。
「酷く身なりが乱れ、血走った目で『妻を返せ』と喚き散らしている男です。もちろん、警備の者に追い返させていますが……」
「……アーサーですね」
クロエの翡翠の瞳が、スッと冷たく細められた。
自分のすべてを奪い、見下し、都合の良い時だけ利用してきた男。
彼がすべてを失い、這いずるようにして自分の元へやってきた。
「ギルバート様。……私が、直接対応いたします」
「しかし、クロエ様。あのような男と直接顔を合わせるなど、危険では?」
ギルバートは心配そうに眉をひそめたが、クロエは首を横に振った。
「大丈夫です。私には、彼に突きつけなければならない最後の答えがあります。彼が、私がどれほどの価値を持っていたか、そして、彼がどれほど愚かで取り返しのつかないことをしたのかを、永遠に刻み込んでやるために」
クロエの言葉には、確固たる決意が込められていた。
彼女は、過去の呪縛に自らの手で完全な終止符を打つため、調香室の扉を開けた。
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