転生家族の異世界紀行 ~中流家庭が異世界で大貴族になりました~

安曇野レイ

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第1章 転生の章

第1話 大審問

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 気がつくと、虹色に輝く星と、赤と青のガスで渦巻いている星雲が周囲に満ちていた。それ以外は真っ暗な部屋だった。
 自分が浮いているのが感じられる。まるで水の中にいるようだ。水は感じられないから、もしかしたら上も下もないという無重力の世界かも知れない。ひょっとして、死んでしまったのだろうか。これが、自分が憧れていた不思議な世界なのだろうか。
 だとしても、死ななければ来られない世界なんて意味がない。
 私は唇をかみ、そのせいで自分の体がある程度、動かせることが分かった。
 私は顔を上げ、正面に星以外の何かが見えるのに気がついた。

 少し離れたところに、姿のはっきりしない、だが明らかに人と分かる影が、数百も列をなして浮かび、こちらをじっと見つめているようだった。これがスーツを着た人間たちだったらぞっとし、緊張もしただろうけれど、影なのであんまり怖くはなかった。
 腕や足はどうにも動かせなかったが、首だけをめぐらすと、私の右隣には、妻の萌、左隣には、大樹と桜が目をつむったまま、直立して浮かんでいた。
 ただ…大樹は顔の左半分に真っ暗な穴が空き、右手がなく、桜は両腕と右脚がない。
 萌が一番ひどい状況だった。車内に散らばった割れたフロントガラスの破片で切り刻まれたのか、両目はなくなり、顔面はミンチのような状態で、頭頂部はほとんど残っていない。胴体のあちこちにも、穴が空いている。



「お前が家長だな」
 離れたところに浮かんでいる影の中心から、しわがれた声が、耳に届いた。
 私は声もなくうなずいた。
「お前たち一家は、恐ろしい事故か、災難に遭ったようだな。我らの世界では、家長たる者が家族の運命に責任をとるものとなっている」
 なんだか堅苦しい世界だな、と私は思った。これは夢なんだろうか。
「そこでまず、お前を会話のできる状態まで復元したというわけだ。まずは、話を聞いてもらえるか? …わしの言っていることは、分かるであろうな?」
 私は口の中と、心に苦いものを感じながら、語りかけてきた影に向かって話しかけた。
「お話は分かりますよ。夢でないのなら、私たちは恐ろしい事故に遭い、死んだんだ…。私が家族旅行に出かけよう、なんて計画を立てなければ、こんなことにはならなかったのに」
 涙があふれた。それは不思議なことに、顔の上へ向かって流れていった。私たちは上下が逆さまになっているのか?
「そうか、事故であったか」声の主は心から同情しているようだった。そのあと、わずかに咳き込んだ。
「…失礼をした。まずは、この場所について説明しよう」
 影の集団は、私のいたところとは、別の世界の住人たちだという。
 また、ここは世界と世界の狭間にもうけられた空間。実際には、世界をつなぐトンネルに近いものらしい。
「今、そなたたち一家は、二つの世界の中間に立っておる。わしの呼びかけに応え、そなたは生きる道を選んだ。すべてを捨てても生きるという、険しい道をな…」
「こんなことを言ってはなんですがね」私は自嘲気味に語った。
「私のいた世界では、何もかもが不安定な時代でした。特に私のいた国の四十代の大半は、社会から見捨てられたに等しいのですよ…。働きざかりの時にまともな仕事が与えられず、多くの自殺者が出ました。『失われた二十年』と言われることもあります。いまだに結婚できない人間だって少なくない。世代的に我々よりずっと多くの高齢者を支える社会の仕組みになっているから、年々、税金は高くなる。おかげで自暴自棄になって、暴走し、自ら命を絶つだけでなく、無差別に他人を巻き込む事件も増えているんです…。私は就職ができて、運の良かった方です。結婚もできて、子供にも恵まれました。でも給料は、たくさんの業者に引き抜かれて、この十年、昇給したことは一度もない。…細かいことは言っても仕方ないし、よく分からないでしょうから省きましたが、つまりは、そういうことなんです。すべてを失う? 一からやり直す? 元々、既得権益があるわけじゃなし、どんな世界でも同じだとは思いますが、常に勉強しないとやっていけない、それが当たり前の世界でした。私の好きな書物の言い回しですけど、『世界は変転』しているんです。状況に対応できなくなれば…社会から見捨てられてしまう。一からやり直すなんて、日常茶飯事です」
「それは、誤った認識であろう」
 見知らぬ世界の、私たち一家をこのパラレルワールドのトンネルへ誘った人物は、厳しめの声で言った。
「お前の国は、少なくとも働く場所があれば、食べるのには困らなかった。また、助けを求めれば少なくとも暴力や病気からは援助が得られた。他の国では、文字通り路頭に迷い、家族が引き裂かれ、幼児が危険な薬剤を使う工場で少ない賃金のために働かされることもあったのだ。誘拐された子供が武器を持たされることも…」
 厳しめの声が和らいだ。
「わしらが、そなたの家族をこちらへ招き入れようとしているのには、理由がある。常識、良識、知識、それらを持っており、かつ心が素直であったからだ。人に騙されることはあっても、決して隣人を騙しはしない。家族を裏切らない。そういう者でなければ、このような大事を、大仕事を試みると思うか? また、戦争や貧困のある国々では、人の心は荒み、ねじ曲がらなければ生きていけないかも知れぬ。だがそなたは、比較的平和な国で、切磋琢磨して勉学に励み、家族を愛しておった…。そうした、心のすれていない者を、我らは望んだのだ。また、仕事というものは、常に勉強する者もいるが、そうでない者の方が多い」
 私は言われた言葉の意味を考えた。
「確認します。私は…別世界で何かをするために、つまりええと…。何かを勉強して、身につけ、良識のある態度で生き直さないといけない、と。こう言われているわけですか?」
「そうだ。時間がないので、手短に話す。我らはアースーンという世界の『魔法使い』。だが、魔法を使えるものは、ひとつの町に一人、ひとつの国に十人いれば良いほうでな」
 また咳込み、そのあと言葉が続いた。
「ここには、アースーンの魔法使いのおおよそ半分が集まっておる。残りの半分はある事件が発端で、邪な心になり、それぞれ異なった考えで動いておるのだ。そなたは、『えんじにあ』という職業であったな?」
 私はうなずいた。
「プログラマーともいいます。私はですね…世界中に情報を発信する…高度な書物のようなものを作る仕事をしていました(こんな風に言葉にすると、すごいな)」
 すると、影たちがざわざわと低い声で話しだしたので、ここで初めて私は大勢の人の前に立っているという実感をえて、緊張した。
「そなたは創意工夫にあふれている…とまでは言わぬ。だが、一人でも、物事を最後までやってのける力がある」
 …一人で何でもやらされて、昼休みもほとんど抜きで物販サイトを作らされたり、マーケティグもしたし、デザインも勉強したなあ。金にならなかったら許さんぞと怒鳴られたり、脅されたり。何がなんでも、目標に向かって手を動かさなきゃならなかった。
「格別、頭が良いわけでないが…まったく新しいことでも、その歳になっても、なお吸収しようとする意欲がある」
 …そういえば、知能指数二百を超えているって自慢している社長がいたなあ。インターネットもパソコンもスマホも、全然使えないのに、数学が得意なことをいつも自慢していた。会社の経営はさっぱりだった。あの人はITをうらんでいた。きっと何かで失敗して、プライドが高すぎてパソコンをさわらなくなった。僕にはそんなプライドはない。生きていくのに必要と分かったら何でも勉強する。勉強して手に入れられて、そうでない人より生きていくのが楽になるなら、僕は勉強する。
「我らはこの命と、魔法の才のすべてを、そなたと、その家族に与える」
 とんでもないことだ。
 私は、しばらく黙りこくった。
「なんてことを。いったい、なんのために?」
「わしらは絶望しているのだ。自分たちの世界にな。良識は失われた。おぞましい者たちに戦いを挑んだが裏切りにあい、このように姿を保てなくなった。もはや、魔法を授けられたからといって、わしらの世界に、悪と戦う者はいないのだ。むしろ、力のある側に身を投じる可能性が高い」
「そんな世界で…正しく生きるようにといわれるんですね…。でも、どうしてあなたがたの命まで頂かないといけないんですか?」
「ここで命を捨てなければ、いずれ我らは自分では何もできない、ただ世界の狭間を漂い続けるだけの存在となるからだ。そして命は、数十年もすればただ消滅してしまう。姿を失い、世界から放逐された我らは、身を寄せ合って、この中間世界で別の希望を模索するより手段がなかったのだ。そなたがここで断れば、我らはこの空間を漂い、ただ朽ち果てていくのを待っているだけだ。やつらの思い描いた計画通りに、な。それをひっくり返せるなら、我らはどんなことも厭わない。寿命が尽きたのだ、我らは。ならば…別の世界ではあっても、正しい心を持つ人に望みをかけてはいけないだろうか…。それが我らの最後の希望だ」
「…分かりました…」
 私はこのヘッドハンティングにようやく納得がいった。
「受けましょう。どんな世界であれ、私は、やっぱりもう一度家族と一緒に過ごしたいですから。子供の成長を見守りたいですから。出来るなら、幸せにしてあげたい。それで、実際のところ、私が魔法をきちんと使えるようになる見込みはどれくらいあるんでしょう? 力があっても、それを上手に使えるのとは、また別なんでしょう?」
「うむ、そのとおりだ。まあ…そなたは天才ではないからのう」
 はっきりと言ってくれるものだ。
 だが、その口調は最初より明るくなっているようだった。
「そなたが扱ってきた仕事と、我らの『術式』は、似ている面がある。つまり、法則があり、知識として学ぶことができるという点においてな。そなたの頭でも、真面目に取り組めば、数百日もあれば何とかモノにはなろう」
「まったく新しいプログラム言語をちゃんと、思い通りに使いこなそうとすれば、そのくらいはかかりますよ。それなら努力しがいがあります。…魔法かあ」
 プログラムとはまた違うのだろうな、とこの時の私はあれこれ想像していた。アースーンという世界では、ある意味でそれは間違っていたし…そのとおりでもあった。
「そう言ってもらうと、わしらも救われるというものじゃ…」
「ところで、私たちはこのままの状態でそちらの世界へ行くんですか?」
「馬鹿なことを! 傷は癒やし、事故に遭う前の状態で送ることにする。それに、特別な家とメイドもつくぞ。そなたはある国の、ある領主と入れ替わることになるのだ…。我らの中にその領主がおるのだがな…。魔法の才があり、われらの側についたために、毒殺されてしまった。あるパーティーに招かれた席で。その人物の後継者として、つまりは、貴族として屋敷に住むのだ。屋敷の者にはこちらから思考波を送って連絡しておく。そなたさえそれで良ければ、だが」
「最初から住むところがあれば安心です。…領主? 貴族、ですって?」
「領民は五百人程度の小さな村だが、今はおぞましい趣味を持つ領主が支配し、高い税金をかけられ、人々はたいそう苦しんでいる。まずは、自分の住む村を救うのだ。そこから先は、助言はできぬ…。われらは力のかぎり戦ったが、及ばなかった。別世界のそなたなら、力より他に別の方法を考えつくかも知れぬ。あるいは、結集した力をうまく使えば、何かがなしとげられるかもしれん。確実なことは分からぬが…分からないこと、異世界の人であること、それがわれらの希望でもあるのだ」
 正面の影が密集し、大きく伸び上がったかと思うと、先端から虹色の星がこぼれ落ち…私たち家族に降り注ぎ始めた。
 大樹や桜、萌の傷口に星がふれると、そこが元の形になり、白く光り、輝くのだった。萌の顔は真っ白で、まともに見ていられないほどだ。
 みんなの顔が、まぶたが、わずかに痙攣した。もう、目が覚めるのかも知れない。
「これにて、我らの世界の、良き力の大審問は終わる。…申し訳ないが、後のこと、よろしく頼む。もし世界を救えなかったとしても、そなたたちを恨む者はいない。だが出来ることなら、我らの無念を晴らしてくれ…。世界に正義を。すべての家族に安らぎが与えられんことを」
 言葉が途切れると同時に、影の向こうで、眩しい光がきらめき、私は思わず目を閉じた。自分の身体があちら側へ、引き寄せられていくのを感じた。

 さようなら、太陽系第三惑星・地球の二十一世紀の日本!
 決して、やさしいばかりの世界ではなかったけれど、心底嫌いなわけじゃなかったよ。
 だって萌と出会うことができて、大樹と桜に会わせてくれたんだからな。
 できれば、もっといい世界になってくれ、もし私たちが戻れることがあるのなら!

 そうして、三木家は全員、異世界に転生したのだった。
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