転生家族の異世界紀行 ~中流家庭が異世界で大貴族になりました~

安曇野レイ

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第2章 開拓の章

第4話 世間知らずと親バカと

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・九月三日

 魔王メアリーが去ったあと、勉強室で大きな音がしたので、みんな顔を上げてあたしたちの方を見た。メアリーって、本当にずさんな人です…。あたしが振り返ると、宙に浮いていたダボンが落下して、床で打った腰をさすっていたんだから。
 ジャンヌはこちらを振り返っていたけど、その瞳はちゃんと焦点が合っていて、青かった。「またね」そう呟くと、彼女は離れていった。
 そのあと、ダボンはあたしと大樹お兄ちゃんの無事なのを知り、あたしたちを、両腕で抱きしめて泣き出しました…。あたしたちはもらい泣きしつつも、二人で急いで彼を廊下へと引っ張っていった。
 あとで教室に戻って、先生に言い訳するのが大変でした。あたしたちの子供の時から、面倒見のいい使用人が用事があって学舎に立ち寄って、成長した姿を見てつい感極まって泣き出した、ということにしたけれど。
 とにかく、魔王相手に…ダボンの一喝は嬉しかったです。
 
「ここが、未来か。西暦一万…何年だったかな」
 お兄ちゃんとあたしは、二人で勉強するふりをして、今日あったことを話していました。
「ダボンさん、すっかり変わったのね」
 あたしはそのことが何より嬉しかった。
 今こうしている間も、彼はマリーと食堂で待機しているのだ。身内がそばにいるのは心強かった。
 そう、『ダボンさん』。彼はもう身内なのだ。これからは、日記にもそう書きます。
 青い瞳のジャンヌが何食わぬ顔でやって来て、あたしたちが使っている食堂と同じタイプの丸テーブルのそばに来ると言った。
「いいかしら?」
 お兄ちゃんが頷き、空いている椅子をすすめたが、彼女はあたしたちの間に席を入れてきた。図々しいなあと思ったけれど、彼女の話を聞くにはちょうどいいのか、と思い直し、横へ移動して椅子を入れてあげた。
「君は、魔王に選ばれたというわけ?」
 お兄ちゃんが尋ねた。
「伝令役として、です」
 ジャンヌは頷いた。
「あなた達、家族でこの世界に転生してきたんですってね」軽い吐息。「やっと、メアリー様のことを話せる人が出来て嬉しいわ…。メアリー様ったら、誰にもこのことは話してはならん、と言われてね。今日お帰りになられる時に、あなた方となら自由に話して構わないって」
「メアリー様って、あなたから見てどんな方?」あたしは聞いてみた。
 お兄ちゃんが口を挟んできた。
「正直なところ、かなり世間ずれがしていて、他人の扱い方になれていないって印象だな。僕らから力を奪うにしても乱暴だったし…」
「メアリー様はね、あたしたちから見れば世間知らず…。それでいて、おさびしいんだと思う」
 ジャンヌは固い口調で言った。
「側近の方々はいつもそばにいらっしゃるようだけれど…。あたしの頭の中に直接に語りかけてきた時は…『えー…。コホン。こちらは魔王メアリーである。信じがたいかも知れぬが受け入れてほしい…』って、結構気を遣われて、とても丁寧だったのよ。自信たっぷりの独裁者ではありませんわ」
 マーガレット先生が後ろに手を組んで見回りにやってきたので、あたしたちはノートに顔を伏せるようにしてやり過ごした。
 先生が行ってしまうと、ジャンヌは言った。
「これだけは、あなたたちに言っておきたかったの。メアリー様は帝国の魔法を停止されて、ひどく落ち込んでおられます。ただ後悔はされていないわ。ずいぶん辛抱強く、帝国には説得していたの。五年もね」
「ご自分で帝国に出向かれていたの?」とあたし。
「ええ…五年前から、毎月。毎月よ、会合に出席されていたのよ」とジャンヌは答えた。「信じられる? 帝国の人間は最初の一年間、メアリー様を魔王と認めなかったのよ」
「どれだけ鈍いんだ!」お兄ちゃんが苛立たしげに言った。「あれだけの魔力を前にしたら、空から月が落ちてくるような絶望感を感じない方がどうかしてる!」
「…帝国人ってメンツをひどく気にするみたい。でも、メアリー様は世間ずれされてらっしゃるから…。会合は、なかなか、うまく進まなかったようよ」ジャンヌはお兄ちゃんの瞳をまっすぐ見て、言った。
 そういうことなのね…。プライドの高い相手に、ずけずけと歯に衣着せぬ物言いをしたに違いない、とあたしはお兄ちゃんと顔を見合わせ、ため息をついた。
「…どんな会合なのか、少し分かったような気がする。魔王様も、最近になってようやく気づかれたんじゃないか? ポスト・ヒューマンではない人間社会には、建前や伝統があって…それに…人間は理屈が通らない感情的な生き物だってことに」
「それは悲観的過ぎやしない?」とあたし。
「…理性的な人間なんてめったにいないよ。そうありたいと願う人は多いけれど。なあ、桜。元の世界では、僕らは大人の世界のことをあまり知らなかったけれど、こっちに来てからは、そういう垣根がないことに気がついていたかい? ほとんどの子供は一人前になって働くために、小さな頃から実家の手伝いをしたり。五歳にもなればお店の掃除やおつかいをしてる。それにこの世界の子供たちって、ものすごく、記憶力がいいだろう。一時的な暗記力っていうのかな。間違ったことを伝えたり、教えることは、信用を失うからっていうのものあるけれど…本当に言葉が自分や家族の生き死にに関わってくるからだよ」
「お兄ちゃん…何が言いたいの?」
「お前には話したことがなかったけれど。僕が昔、通っていた小学校ではな。髪が脂ぎってて、洗濯していない服を一週間着続けている小学生の男の子を『そこにいない』人間として扱う先生だって、いたよ。僕が、先生にその子のことを相談したらね、その女の先生は泣き出したよ」
「それで?」
 お兄ちゃんは首を振った。
「何も変わらなかった。異臭がどんどんひどくなった。とうとう、クラスの誰かが親に相談したんだろうな。多分、その子の隣に座っていた女子だったと思う。ある日、授業中に突然泣きながら教室を飛び出したから。次の日から、その子の席の隣には誰も座らなかった。学年が変わるまでずっと、そこは空席だった。担任の先生は、何も言わなかった。大人たちに本当に理性があると思うかい? 理性を保つことが出来る世界にいる人たちだけのものなんだよ…キレイゴトは」
 お兄ちゃんは続けた。
「世界のほとんどの人間は疲れているんだよ。理性を働かすことができないくらい。だから環境のことを考えずにプラスチックを海にばらまくし、うちのお父さんの友達みたいに、就職で失敗して二十年も家にひきこもった人の気持ちなんか考えない、泥沼につかりながら安全な土地を目指して赤ちゃんを抱いて歩いている難民の母親のことなんか考えちゃいない、お金がなければ生きていけないから、『理性』なんて邪魔なものには蓋をして、誤魔化して働けるところでただ生きている。僕は最近、そんなことを考えると死にたくなるよ。僕はこの世界でも同じようなものを感じる。僕は無力だよ。どうしたらいいんだろう。どうせ、こんなことを考えていても、大人の世界に出ていったらまともなことなんて、きっと考えられなくなるんだと思うとね」
 あたしはちょっとショックだった。お兄ちゃんがそんな…冷たい口調でしゃべるなんて。世の中に絶望感を味わっているなんて。
 だから気がつくと、あたしは涙がこぼれていた。あれ…。これって理性的じゃないわよね…。自分のことを責められたわけじゃないのに…。
 ああ、あたしって、自分で思っている以上にお兄ちゃんのこと、大好きみたい。それにもし、お母さんやお父さんが同じように、世界のことをそんな風に考えているとしたら、やっぱりあたしは悲しいだろう。
「…帝国人にも理性はありますわよ。みんなが愚か者ではありませんことよ」ジャンヌが右手の人差し指をお兄ちゃんの頬に押し付けてグリグリと回した。
「な、何すんだ…」お兄ちゃんは顔を真赤にした。
「あなたがたは、相当のんきな世界から来たのですね。それに仲の良いご兄妹のようで!」
 ジャンヌは立ち上がり、去り際にお兄ちゃんの耳元で言った。「どんな理由があろうと、女の子を泣かせるのは一人前の男のすることではなくってよ! この世界でも、他のどの世界でも、あたくしはそう信じますわ。あたしはただの伝令役ですが、そのくらいのことは分かります。あなたはどちらかしら? 妹さんの顔を見てごらんなさい!」
 ジャンヌは髪を振り払うと、「ごきげんよう。また、すぐにお会いするでしょう」と言い残して去っていった。
 あたしが涙をぬぐってお兄ちゃんの顔を見ると、今度はお兄ちゃんが泣きそうな顔になっていた。
「桜、ごめん! お前を泣かせるなんて…。僕はバカだ…」
「もう…反省してよ?」あたしは涙をぬぐいながら、笑って言った。

 カツン、と軽い木靴の音と、ヒヤッとした風が背後から届いた。
 それは、たった今まで、そこにはなかったものだった。

「一握りの人間しか、理性を手に出来ないというのなら、その人達は責任ってものを弁えているさ。なぜなら、理性があるからだ!」
 懐かしい、低い声。
「お父さん!」お兄ちゃんが立ち上がった。
 振り向くと、肩でぜいぜいと息をしているお父さんがそこに立っていた。
 着ている黒の牛革のコートは右の袖が破れ、髪は台風にでもかき回されたように乱れている。全身からポタポタと水滴が垂れている。今まで豪雨に打たれていたみたい。あたしは、当然あるべき、濡れそぼったお父さんの靴のあとが、部屋の入口からはまったくないのに気づいた。
 瞬間移動、してきたのね…。
「魔王がここに来て、お前たちの力を奪ったと聞いた」お父さんは言った。「『体を切り開いて力を抽出した。余分な力を取り出すには一番シンプルな方法でな、命には別状はない』とね。馬鹿な! あの人の無神経さにはどうにかなりそうだ。頭にくる!」
 お父さんは、ダボンさんのようにあたしたちの肩に手を置いて、「大丈夫か、どこか、体がおかしくなってるなんてことはないだろうな?」と息せき切って尋ねた。あたしたちが大丈夫だと答えると、あたしたちを小さな子どものように、やさしく抱きしめたの。
 お兄ちゃんは身をよじって、少し抵抗しようとしたけれど、結局はされるがままになり、目を閉じてにっこりした。涙が一筋流れた。
「あなたたち一家は、よっぽど心配性なのね」
 マーガレット先生がお兄ちゃんの後ろに立って、呆れた顔であたしたちを見下ろしていた。
「昼間は、使用人が二人。晩はお父様ですか。明日の朝はお母様が来られるのではないでしょうね?」
「これは先生。子どもたちの貴重な勉強時間をお邪魔して、本当に申し訳ありません」
 お父さんがあたしに向かってウインクし、人差し指を立てると、着ていた服は乾いて破れ目は閉じ、髪はオールバックできれいに後ろになでつけられていた。
 お父さんは立ち上がりつつ、振り向いて穏やかな表情を先生に向けた。
「いつも子供たちがお世話になっております」お父さんは丁寧に腰をかがめてお辞儀をした。そして、数歩ふみだして、先生の横に立って、目はまっすぐに前に向けて、あたしたちにしか届かない声でつぶやいた。
「帝国のことはご存知かと思います…。実は、魔王メアリー様とたった今まで交渉にあたっておりました。緊急事態ということで、学校長とお話がしたいのです。夜分ではありますが、エミン町長、グーテン・バルク氏にも連絡済みです。両氏は今、こちらへ馬車を飛ばしております。ご足労ですが、早急に会談の場をもうけたいと…お伝え下さい。突然の招集となったことは、重ねてお詫び申し上げますとも」
 マーガレット先生は一歩、退いたけれど、唇を一度噛み締め、かろうじて表情は崩さなかった。
「分かりました…。ご案内致しますので、どうぞこちらへ…」
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