転生家族の異世界紀行 ~中流家庭が異世界で大貴族になりました~

安曇野レイ

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第3章 危機の章

第2話 裏道

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 あとから思い出すと、学園で過ごした最後のその日はとても穏やかだった。そうとしか言いようがありません…。いつまでも空は晴れていて、時々校舎裏の木立で小鳥たちがさえずる声が聞こえていたし、金木犀の香りがした。
 友達にはお別れの言葉を言う時間もなかったけれど、かえって良かったかも知れない。
 あたしは短い間でも、すぐ人を好きになっちゃうから。お別れの意味の『さようなら』なんて、今まで一度も言ったことがありません。そんなの、悲しいじゃないですか?
 この世界で私たちは見覚えのない花や木ばかりを目にしていたけれど、どういうわけかその日、私は金木犀に気が付いた。
 もっと早く気が付いていたら、この世界が私たちのいた世界と、ひょっとしたら同じかも知れないと気が付いたろうに…。この世界にはバラも、チューリップも、あたしの名前の桜も、梅も、松もない。クローバーもない。アジサイもない。初めてこの世界の森で目を覚ました時、何もかもが目にしたことがないものだったから、あたしたちは騙されたのだ…。あっ、マーガレット先生の『マーガレット』だって! タンポポもない。白樺の木も、イチョウの木もない…。
 一万年後のこの世界に、ただ金木犀だけが残っているなんて…。

 あたしは学園長の部屋の前で待つように言われている間、廊下の窓をちょっと横に引いて、風を通して…その香りに気づいたのだった。匂いほど記憶を呼び覚ますものはないよってお父さんが言ってた…。あたしにとっては、金木犀は幼稚園のことを思い出すきっかけ。理由は単純。幼稚園の隣の公園に植えられていたからだ。

 扉が開く音がしたので窓を閉じて振り返ると、マーガレット先生が静かに戸を閉ざしているのが見えた。
「サクラさん…! 気を確かに持ってね」
 先生はあたしに気が付くと、こちらがびっくりしている暇もなく、両腕でやさしく抱きしめ、「二、三分したらドアをノックして入りなさい」とささやき、そして、白衣をひるがえすと行ってしまわれた。
 先生が扉の右手の廊下の先にある階段を下りていくのを眺めていると、あたしは気が付いた。
 お父さんに何かあったんだ。
 あたしはぞっとして、廊下の壁にもたれかかった。
「桜、お前も呼ばれたのか」
 左を見ると、大樹お兄ちゃんが廊下の先の階段を上ってくるところだった。
「お父さんに何かあったのよ、きっと!」
 あたしがそう言うと、お兄ちゃんは走ってきて、「何か『視えた』のか?」と問い詰めた。
「う、ううん…。そういえばあたし、『視て』はいないわ…」
「なんだ、学園長に呼ばれて…取り越し苦労じゃないのか? それとも…感覚を研ぎ澄ませたら、何かを感じるのか…?」
 あたしは内省的になってみたけれど、心にうかんだのは…。
「お父さんは今…。何かを成し遂げようとしてる…。とても力にあふれて。決して楽な道ではないけれど。一歩一歩、前へ前進してるわ」
「楽な道ではない、か」
 大樹お兄ちゃんは腕組みして、廊下の壁にもたれた。
「目的に近づくにつれ、困難は増大するって誰かが言ってたな…。お父さんか? いや、ともかく、お父さんはすごいことをしようとしてるけれど、危険なことでもあるわけだ」
 お兄ちゃんは、占い師じゃないけれど、頭がきれるなあとあたしが思っていると、学園長室のドアを見て、頷いてみせた。
「もう、入ってもいいんだろう?」
 あたしは頷き、自分が先に立つと、ドアをノックした。
「入りなさい」
 学園長の声がした。
 あたしはノブをつかんで回すと、押して中へ入った。

 中にいたのは、ところどころ泥と砂で汚れた二人の知っている大人と、知らない魔族が一人、そして背中よりずっと高い学園長席に、学園長その人が座っていた。
「二人ともよく来たね。まあ、そちらのソファにかけなさい」
 学園長が手を振って示した先を見ると、茶色のソファが窓とは反対側の壁側に置かれていた。お兄ちゃんと座ると、ソファはどこまでへこむのかというくらい、沈み込んだ。お高そうなソファ…。学園長の部屋の調度品だもの。当たり前か。
「こちらは、ゲンガイ氏とケンジントン氏。二人とも子供の時からの、知り合いだそうだね」
「こんにちは。ぼっちゃんに、お嬢ちゃん…」
 ゲンガイ氏が疲れた顔で微笑みかけた。
 あたしは微笑み返したが、ゲンガイさんの表情の向こう側で、お父さんが矢で射抜かれるのを『視た』。心が鉛のように重くなった。
「おお…これは…」
 ケンジントン氏が驚嘆の声をあげていた。
 ウンディーネたちが、またあたしの周りに集まっていた。周りが何百という青い光で満たされる。その光の粒たちは、空間からまるで、染み出てくるように見えた。現れてから、すーっと移動してくるのだ。
「こ、これは…そんなことが…」
 学園長の戸惑った声に驚いてあたしが顔を上げると、あたしのとは違った光、緑色の光が大樹お兄ちゃんの周りに集まっていた。
「ウンディーネにシルフィード…? 伝説の精霊がふたつ…? わ、わしは夢でも見ているのか」
 ゲンガイ氏が、自分の頭をかるく小突いていた。
「いや、現実のようです。にわかには信じ難いことですが。ですが、あの、イツキ殿のお子さんたちですぞ」
「ああ、そういえばそうだが…。だが精霊だぞ、魔法とは格が違う…!」
 ゲンガイ氏はうなった。
「学園長、あんたは知っておったのか?」
「いや、わしも先ほどサクラくんのウンディーネを見て、それでタイジュくんにも話しておかねばと呼んだところなのです。お二人がハリー・ポット様に連れられ、もうここに戻ってこられるとは想像もしておりませんでしたし…。まさかタイジュくんまでが精霊の加護を受けるとは…。まさに今日は、青天の霹靂というやつです」
「サクラくん、タイジュくん」学園長は、机に両手を置いて腰を浮かすと、光に包まれたあたしたちに呼びかけた。
「君たちはこうなることを知っていたのかね?」
「いいえ、学園長。僕たちは魔法と、それと少し違った力を昨日までは持っていました。ですが、魔王メアリー様がやって来られ、すべての力はとりあげられたのです」
 大樹お兄ちゃんが説明してくれた。
「それなのにこの光…。精霊とはいったい何ですか。僕たちはこれからどうなるのか、いえ、どうすればいいか、教えて頂けると嬉しいです」
「うむ…。それはな」
 学園長が言いかけると、ゲンガイ氏が黙っていられないといった剣幕で口を開いた。
「精霊は一つの国にひとつ、現れるかどうかという珍しい代物だ。それは、精霊自身に意思があって、わしに言わせれば、まったくの気まぐれで、人を選ぶのだと思っておる! 精霊が魔法を超えた力を持つ存在だということは、誰もがうっすらと気づいておる…。なぜなら、あまりにも不条理だとしか考えられんことをしておるからだ。これが神の思し召しなら、なぜ火の精霊、サラマンダーが帝国の将軍カイザー・ロビンソンにその加護を与えておるのか…! そのせいで帝国は成り上がり、そして帝国王が魔法を軽んじる原因の一つにもなったのだ! これを理不尽と言わずして、何が理不尽か!」
「どうどう、血圧が上がりますぞ」
 ケンジントン氏が疲れ切った声で、そっと友人の肩に手を置いた。
「さて、様子から察するに、サクラお嬢様は、父上の身に起きたことを知られたご様子。私から何が起こったのか、委細を伝えましょう」

   *   *   * 

 お父さんが疑心暗鬼にかられた人に射抜かれたところまで、ケンジントン氏は一気に話した。
「お父上は立派でしたが…我々はその力に魅せられて、少々、天狗になっていたのかも知れません。もっと、彼らの話を先に聞いておくべきでした。我々が何をしようとしているのかを、もっと先に顔を合わせて話すべきでした。誰のための町、誰のための行いなのか。すべて終わってから差し出しても、受け取る準備が出来ていなければ…。いや、過ぎたことをあれこれいうのはこれくらいにしておきましょう。事実としては、我らが息せき切って森から飛び出し、イツキ殿が消えてしまうのを何とかしようと駆けている時、目の前にハリー・ポット様が顕現されたのです」
 ハリー・ポット。お父さんからの手紙によれば、魔王軍総帥のはず。
 その人は黄金の甲冑に身を固めて立っていたが、さっきから…ひどく眠そうな顔をしていた。
「ようやく私の番か。まあ仕方ない。諸君らは言葉でしか意思を疎通できぬからな」
 その言い方に、あたしはむっとした。
「私はメアリー様の意思であそこに現れた。理由は二つ。一つは、難民たちにイツキのとった行動と結果が真実であることを、私の口から告げることで証明するため。私はメアリー様に同行して、五年もあの分からず屋の国に同胞と共に、金と銀を運んだのだ。毎回、実にゆっくりと帝国の首都の中空を移動してな。メアリー様とその部下の顔を覚えておらぬ者は、あの国には赤子を除けば一人としておらんと断言できる。
「二つ目は、この二人を即刻あのからっぽの町から退避させるようにと、メアリー様から命令があったからだ。
「これで私の話は終わりだ」
 ハリー・ポットはあくびをした。
「話すというのは、実に退屈だな」
「あの! お父さんは無事なんでしょうか?」
 あたしとお兄ちゃんは、ほぼ同時に叫んでいた。ポットはキョトンとした。
「無事に決まっておろう。そうそう、我があそこに現れた理由は以上だが、今の今まで、ここにおったのは、また別の理由がある」
 彼が一歩前へ進むと、精霊の光が強風であおられたようにあたしたちの後方へ下がったが、次の瞬間、光は倍の大きさになって、前へ進んだ。
「おお、これはこれは。二人は、完全に精霊の加護を受けておるな。安心するがいい、精霊たちよ。我はこの二人をメアリー様の元へ、つまりはイツキのところへ案内するためにここへ来たのだ」
 彼は学園長に向き直った。
「おそらく二人はこの学園へは帰ってはこれまい。我も理由は知らぬが、二人が精霊に見込まれたとあっては、なるべくそれを知らぬところへやったほうがいいのは、自明のことではないかな」
 学園長はうなだれた。「わしに…何か出来ることは…ないのでしょうな?」
「それはお前が決めることだ。シェーン・イースト。お前は自分の責務を果たすがいい。お前たち教師の長所でもあり、欠点でもあるのはな、すべてをコントロールすることは不可能なのに、時々、愛すべき生徒のためなら何でも出来る、何でもしなければならないと考えることだぞ…。そんなことをしようとするから時には自分を傷つけ、結果として自分をも含めて、誰一人として救えない、という不幸が始まるのだ。何かをコントロールしようということは、ひどく難しいことなのだ。何かを教えるのとは違う。何かに愛情を注ぎ、育むこととは違うのだ」
 ポットはあたしたちの方へ向き直った。
「それでどうするかな、お二人さん。父君のところへ行くかな?」
「もちろん!」とあたしたちは答えた。
 あたしは、がっくりとうなだれている学園長に話しかけた。
「あの…学園長。本当に短い間でしたけれど、お世話になりました。嬉しいお友達もできて、楽しい毎日でした。ずっと続けば良かったのにって、本当にそう思っています。あたし、ここに入れて幸せでした」
「またいつか会えるといいんですが…。学園長。僕がいた世界でも、この世界でも、あなたは最高の…校長先生でした。ありがとうございました」
「お礼を言うのはこちらだとも…」学園長は涙ぐまれていた。「ありがとう。二人とも元気でな」
 ポットが頷くと、お父さんが昔使った転移魔法と同じものが床に現れた。円筒の光の檻に包まれ、周りが見えなくなったかと思うと、檻がはじけ飛び、あたしたちは、エミンの自分たちの屋敷の玄関先の砂利道に立っていた。

「お前たちの母も、連れていかねばな。ん…。はて。これは面妖な。これは予想していなかったな」
 彼が何を言っているのかと思っていると、玄関が開いた。
 赤い光が現れて、大樹お兄ちゃんとあたしは口をぽっかりと開けて言葉が出てこなかった。
 ポットはあたしたちを振り返り、また玄関を見た。
「よもや…奥方まで精霊に見込まれたとは。しかもサラマンダーとは。あのカイザー・ロビンソン将軍と同じ、サラマンダーとは。これだから人間は面白い!」
 ポットが大笑いしたのであたしはびっくりした。
「メアリー様がなさることに意味があるのか、ここ数日疑問に思っていたが、さすがは魔法ネットワークの頂点に立たれる方。転生者がこうなることを見越しておられたのか。いや、それは我が考えることではないな。
「萌殿…だったな。先日は結構なご馳走をいただいた。あらためてお礼を申し上げる」
 お母さんを見ると、にっこり笑っていた。
「どうも、魔族の方。二人を学園から引き離して、どうするおつもりですのー」
 言葉は軽いけれど、お母さんは怒っていた。こういう時のお母さんはひらすら怖い。目が全然笑っていない。
 ニコニコ笑うにつれ、サラマンダーたちはギュンギュンと音を立てて、回転し、光を明るく放った。
 ポットは冷静だった。
「イツキが疑心暗鬼にかられた難民の手にかかった。そのことは奥方、もう『視た』のであろう。サラマンダーが現れたのは、本当に今しがた、といったところか。我は、そなたたちを回復したイツキの元へ転送するために参ったのだ。メアリー様のご命令でな」
「あら、そうでしたの」お母さんは息を吐いた。「サラマンダー?」首を傾げた。
「あらー? この赤いの何かしら」
 あたしたちは、一気に恥ずかしさでいっぱいになった。
「…まあ、説明はおいおい、子供たちから聞くと良い。こちらへ。すぐ参りますぞ」
「はーい」お母さんは階段を下りてきた。
「ねえ、お兄ちゃん…」あたしは言った。
「お前の言いたいことは分かるよ。帝国軍と張り合える力を持ってるのがお母さんだってことだろ」
「うん…。何がどうしてこうなったんだろう。ゲンガイさんの言う通り、精霊って相当な気まぐれなんだろうか…」あたしが頭を抱えていると、ポットが言った。
「何を申しておる。物事には、必ず原因があって結果があるのだ。お前たちの父親に良いところがあるのは、我も認めるのにやぶさかではないぞ。魔法、などというものを頭から信じるのではなく、科学的にとらえようとしたこと。そのことは大したものだ」
 …何だかちょっと気にかかる言い方だったが、お母さんが来たので、問い詰める時間はなかった。
「では、すぐに行くぞ」
「大樹、桜、久しぶりー!」お母さんは腕を大きく広げて、あたしたちを抱きしめた。
「愛情過多! そんなに思い切り抱きしめないで!」
 あたしは叫んだ。
 三つの精霊たちは、何だか大混乱していた。混ざり合ったり、ほどけてまとまってあたしたちのそばに来ようとすると、別の塊にぶつかっておしやられたり。
 ポットがまた笑った。
「精霊たちも、自分たち同士がこんな近くに現れるとは考えもしなかったと見える! 我も予想だにしておらんかった! ではエミンの大貴族イツキの家族よ、北極点へ出発する!」
 あたしたちは光に包まれて浮上し、風よりも早く、北へ向かってぶっ飛んだ。
 なぜ転移魔法を使わないのかと聞くと、ポットは答えた。
「北極点は魔族の城。そこはワープ魔法を一切認可しておらん。簡単にワープで攻め込まれるような、甘いセキュリティにはなっておらんのだ。そのような裏道は存在しない。それは、メアリー様とて例外ではない。城から出る時ならワープは許されるが、入る時は正式なログインの手順を踏まねばならんしな」
 ログイン? セキュリティ?
「いったい、北極点には何が…」
「行けば分かる。我はもう話し疲れた! 急上昇して、音速の十倍で飛ぶ! 周りの景色に目が回るようなら目をつむって寝ていればよい!」
 あたしたちが泡を食っている間に、あたしたちを包み込む光は輝きをまし、彼の言ったとおりに移動した。
 本当に目まぐるしくって死ぬほど怖い景色になったので、あたしたちは固まって目を閉じた…。
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