ドライヤーと未知なる世界

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1.始まりはドライヤー

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先日行った友人の結婚式の二次会で、高性能なドライヤーを頂いた。
それまでは数千円のチープなものを使っていた私には、時価二万円弱のその景品は大層過ぎたものだとは思ったが、他の友人達から羨望のまなざしで見つめられてしまえば悪い気はしない。
分子レベルで髪先までケアしてくれるという優れものは、すぐさま私の愛用品となった。
そうやって、たいして気も使っていない伸び放題の髪に贅沢をさせていたのがいけなかったのだろうか。
世に言う大型連休の中頃、いつもの様に肩を越す長い髪を件のドライヤーで乾かせている時だった。
突然、ドライヤーが動かなくなった。

「え?やだ、壊れた?」

貰い物とはいえ、わりかし高級品だ。そうやすやすと壊れるはずがない。
メーカー修理に出すとしても、その間の代用品がいる。長年愛用していた前のドライヤーは捨ててしまっていた。
バシッと叩いてみる。家電は叩いて直せとは母の受け売りだが、昭和の時代でない今、それが通用するはずもない。
振ったり叩いたりして数分、諦めて意識をドライヤーから外すと、目の前にいた鏡の中の自分が消えていた。
代わりに私の視界に映るのは、見たこともない景色だった。

「……ドウイウコト?」

人間、本当に驚いたときは声が出ないというけれど、まさか自分がその体験をする日が来るなんて、あまり喜ばしいことではないと思う。
なんとか頑張って絞り出した声はみっともなくかすれていて、それが余計に鼓動を速めていく。
落ち着け、落ち着け。
その言葉だけを脳内で繰り返しながら、私はゆっくりと辺りを見回した。
白を基調にした、シンプルな部屋だ。それは上京して数年住み慣れたワンルームのアパートではない、もちろん。
どうやら部屋の中央に立っているようだ。私を囲むのは、温かみのある壁紙ではなく、冷たさを感じる石の壁。裸足の足も冷たいから、きっと床も石だ。
右手には簡素なベッドーーこれもまた石造りのようだーーに、色彩を意識したのか小さな木机と観葉植物。左手には木で作られたドアがあった。

「……ゆめ、かな?」

現実味のないこの状況下、 上手く回らない頭で考えうる可能性の内、自分の希望を口にする。
けれども往々にして、現実とは希望通りにはならないものだ。しかも大方はより辛い方を選んでくると思うのは、私に運がないからだろうか。
ということは。
脳裏にもう一つの可能性がよぎる。
不安で潰れそうで、思わずドライヤーを抱きしめた。コードが足に当たって気付く。先が切れていた。まるで、引きちぎられたかのようなそれに、予感が確信へと変わっていく。
引きちぎられたドライヤー。事故だろうか。大きな音も衝撃も何もなかったけれど、それすら感じられないほどの、一瞬で、私はーーー

「ーーーまさか、死……」
『おい、セオ!まだ寝ているのか!?』
「ひっ!?」

その音もまた、突然だった。
ノックもなく乱暴にドアが開けられ、何語かわからない罵声のような音を発しながら現れたのはーーー
現れたのは……大層な男前だった。
心臓が縮み上がりそうな程驚いたけれど、それすらも忘れる程の衝撃。
すらりとした長身は白生地に赤や金の刺繍が施された軍服のような服に包まれており、引き締まった空気を醸し出している。思わず縮めた背筋をピンと伸ばしてしまうほど張り詰めた、神聖さすら感じるそれは、彼のオーラなのかもしれない。
日本人にはない、光沢のあるブロンドの髪は短髪というには少し長めに切られていて、これまた長めの前髪は目にかからないよう大きく分けられている。
髪と同じ色の形の良い柳眉は眉間に寄せられ、開けた額に深い溝を掘っていたが、それすらも絵になる程だ。
瞳はアイスブルー。綺麗な二重に包まれているが今はやや細められているので怜悧な印象を受ける。
鼻は高すぎずスッと通っていて、やや薄めの唇とも相性は良い。
総合して、イケメン。それも今まで見たこともないハイレベルの。

『あっ……と、すまない。君は……』
「ひぁっ!えっ、やだ、えっと」

イケメンは私の姿を見て一瞬呆けたのち、少し頬を赤らめて視線を外した。
何をしてもいちいち絵になる彼を呆然と見つめていたが、ここにきて私はようやっとパジャマで突っ立っている事に気づいた。
恥ずかしい。大いに恥ずかしい。
けれど、頭の中のどこか冷静な自分が、彼の放った言葉を反芻する。
早口であまり聞き取れなかったけれど、確かーー

「そーりーって、言ったよね?今……」
『ん?すまない、聞き取れなかった。……セオめ、また女性を連れ込んでいるのか……』
「英語?かな?えーっと、は、はろー?」
『あ、ああ。すまないが、セオドアを呼んでくれないか。彼に話がある』

会話が成り立っていないのだろう。おそらく。
流暢な英語を扱うイケメンに対する私の英語能力なんて、赤子同然のもの。きっと言語を扱いだした幼児とも会話なんてできないレベルなのだ。都内の四大を出て暫く、私が英語に触れる機会なんて滅多になかったのだから、仕方が無いことといえばそうなのだけど。
これでは埒があかないと思ったのかどうなのか、相変わらず視線を外したまま彼は土足で室内へと踏み込んできた。
私は思わずドライヤーを抱きしめている腕に力を入れ、数歩後じさった。
相手が想像を絶するイケメンとはいえ、もし、もし危害を加えられたら……その恐怖がよぎる。
しかしふと気づいた。
ここが英語圏ということは、マナーやルールも日本のそれとは違うはずだ。とはいえ、近代日本において他人の部屋に入る時にノックするという常識は、諸外国から伝わったものなのではないだろうか。
それなのに入室前のノックがなかったということは、おそらくここは彼の部屋なのだろう。
彼からしてみれば、自分の部屋に帰ってきたら、突然変な女が突っ立っていたということになる。
……恐怖でしかない。
通報レベルだろう、これは。

「あああああの違うっ!違うんですこれは!突然なんです!なんか突然ここに来ちゃったっていうか、私自分の部屋にいたはずなんですよ!?ほら、このドライヤーがね!これ私の私物で、こんなの持ってこんなカッコであなたの部屋にいるっておかしくないですか!?おかしいですよね!でも、私変態じゃないんです!」
『はっ!?な、なんだ突然!?しかも、これは世界共通語ではない?まさかーー』

異国の地で何だかよくわからないままお縄なんて冗談じゃない。
とにかく思いつく言い訳を並べ立てながら、私はイケメンにドライヤーを突きつけた。
日本語が通じるかどうかなんて、頭にはなかった。
それがいけなかったらしい。
おそらく彼の中で私は危ないヤツと認定されてしまったのだろう。
私の剣幕に驚きながら、彼は腰にはいていた剣ーーー剣!?ーーーをすらりと抜き放ったのだ。

『貴様、異界人か!?セオをどうした!?返答しだいではただで済むと思うな!』
「ひっ!」

イケメンの怒声は心に刺さる。例えそれがほとんどわからない言語であっても、だ。
そして、目の前に突きつけられたのは鋭利な刃物。刃渡り数十センチの立派な銃刀法違反モノ。
そもそも、ここは何処なのか。私は本当に生きているのか。もし死後の世界だったとして、じゃあこの剣に斬られたら私はどうなるのだろう。死後の世界で死ぬのか、それは消滅ということなのだろうか。
もう、私の頭はキャパオーバーでパンク寸前…いや、パンクした。
そしてーーー

『ーーーん?あ、おい!』

これが正しい判断なのか考える間もなく、私の思考は停止し、視界はブラックアウト。
早い話が、ぷっつりと気絶したのだった。
胸に抱いたドライヤーの感触だけが生々しく残る中、次に目覚めたときは、どうか自分の部屋であることだけを祈ってーーー






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