ドライヤーと未知なる世界

NoT

文字の大きさ
上 下
3 / 6

3.続・二人のイケメン

しおりを挟む
今度は夢を見なかった。
時間の感覚もなく、ただ目覚めただけだった。

ーーーそれで?今度は何をしたんだ?
ーーーただ落ち着かせただけだ。心労で倒れたのではないか?
ーーーふーん、まぁ、そういう事にしといてやるよ

二度目の目覚めでも、やはり聞こえてくるのはセオとビクターの声。相変わらず流暢な英語で、寝起きの頭でもそうでなくても、もはや単語すら聞き取れない。
落胆とも諦めともつかない思いのまま、瞼に意識を送る。
どれだけ眠っていたのか。硬いベッドに寝転んでいた身体が悲鳴を上げる。
ゆっくり、刺激しないよう起き上がったところで、気配に気づいたのか笑顔のセオと目が合った。

『やぁ、お目覚めだね俺のお姫様』

おそらく、おはようと言っているに違いない。勝手に結論づけてそれに応えるよう頷く。
ぐっもーにん、と言っていいのか迷ったが、はたして今がモーニングなのかわからないので黙っておいた。
少し目線が下を向くな、と思ったら、私がベッドを占領していたせいか、二人とも床に直座りしていた。
椅子もないのかこの部屋は。不思議に思い見渡せば、なるほど、確かに机とベッドとタンスらしき物しか家具が見当たらない。
色彩担当の観葉植物がなければ生活感はほぼ感じられず、空き部屋か何かと勘違いしてしまいそうだ。ビクターは物に頓着しない性格なのだろうか。
そんな彼に呆れて、せめてと観葉植物を持ち込んだのがセオ、とかなってこうなってるのだったら微笑ましい。
一通り見渡したのち、床に座りながらも半目でセオを睨みつけるビクターを発見した。そんな表情でも彫刻のように美しいのは何故だろう。

『…誰が誰の何だって?』
『冗談だ。怒るなよヴィック』
『おそらくエイミーに通じてないとはいえ、彼女の意に反する冗談は控えろ』
『はいはい。君の保護者は過保護だよ、エイミー。苦労するね』
『……』

おどけたセオの明るい声と、それを諌めるような響きのビクターの低い声。
けれどどちらも私を呼ぶ音だけ甘く響くのは、私の願望がそう聞こえさせているだけなのだろうか。
……でも、さっきマイプリンセスって聞こえたんだけどな。
少し、首をかしげてみると、セオがいち早く反応してくれた。立ち上がってこちらへと歩み寄ってくる。
ぼうっと見つめていたら、にっこり笑ってひざまずき視線を合わせてくれた。

『どうした?何か気になる?』
「うん?えっと?そーりー、あいきゃんとあんだすたん?」

ごめんなさい、わかりません。あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ。
ちょっとだけならわかるんです。ってどうやって言うんだ。
私は必死で脳内教科書をめくる。こんなことならやっぱり駅前留学でもしておけばよかった、なんて後の祭りというか絶対にしないだろうけど。学生時代、英語のテストで平均点以上を取れたためしがない。

『うんうん、そっか、可愛いなエイミーは!』
「きゃあ!」
『おい、セオ』
『この堅物が嫌になったら、いつでも俺のところへ来てくれていいんだぜ?』
『セオ!』

おそらく私の言葉は通じているだろうに、セオはまったく気にする風もなく何故か嬉しそうに頭を撫でてきた。
驚いて悲鳴を上げたが彼は止まらない。
怒ったような怪訝な表情を浮かべたビクターが見守るーーーその手が腰の剣を握っているのを、私は見て見ぬ振りをした。トラウマはあのビューティフルスマイルで簡単に克服されたらしい。我ながらゲンキンだーーー中、セオは私の右手を取ると。

チュッ

あろうことか、毎日の炊事でキメが失われつつある私の手に、その形の良い唇を押し付けてきた。
軽いリップ音は、狭い室内によく響いた。石造りだからか反響しやすいのだろうか。

「な、なにするんですか!!?」

日本語で叫ぶ。言葉はわからなくても動揺は察知していただけるだろう。
次いですぐさま手を引き抜こうとしたが、指先を握るセオの手がそれを許さない。
フフ、と彼が笑ったその吐息さえも甲に感じて、ぞわぞわと背筋が震えた。
未知の感覚にどうすることもできず、かといって目の前の光景を直視することもできず。
思いっ切りそらした視線の先で、ビクターが禍々しいオーラを放っていた。

『…セオ。覚悟はいいか』
『おっと、姫の前で抜剣して、また怖がられてもいいのか?』
『剣は抜かない。歯を食いしばれ』
『あっはは!そう来たか!まぁ落ち着けよ、お前は第一発見者の名目上この娘をお持ち帰りできるんだぜ?この後好きなだけ口付けるなり舐めまわすなりしたらいいじゃない、かっ!?』

呆然と私が見守る中、腰から剣を鞘ごと抜いたビクターは、それを話の途中だろうにもかかわらずそのままセオの頭へと振り落とした。
ガチャン、と、ゴイン、が混ざった音が、先ほどのリップ音より大きく響く。
左手を口に当てておいてよかった。これ以上悲鳴を上げるなんて近所迷惑な行為はしたくない。アパートの近所付き合いも大変なのはよくわかっている。
クリティカルヒットを脳天に食らったセオは、そのままベッドの上、私の膝元あたりへと沈み込んだ。
生きているだろうか。刃物でなくとも、鈍器だって充分凶器になりうる。
少し心配になって覗きこもうとしたが、右手が自由にならないことに気付いてやめた。セオに対する脳内イメージに、女好き、と書き加えておく。不用意に近づかないようにとも。
ガチャリ、とまた音がしたのでその方へ視線をやると、ビクターが外した剣を再び腰へと提げているところだった。

「び、ビクター、さん?」

思わず日本語で敬称をつけて呼んでしまった。
暴力的なイケメンって、なんだか見ていて辛いものがある。イケメンのイメージと暴力とが結びつかないからだろうか。
その途端、ぐりんっとビクターがこちらを向いた。迫力が怖い。
怖い人、優しい人、怖い人、と彼の印象がコロコロ変わるので正直ついていけてないところもあるけれど、この流れだと次は優しい方のビクターかな、と心で願う。
大股で2歩。オミアシが長いお方は距離を詰めるのがお上手で、と思う間もなくビクターは私の傍らへと近付くと、先ほどのセオより優雅に跪いた。
イケメン2人に立て続けにかしずかれると、なんだか自分が本当にプリンセスになったのかと勘違いしてしまいそうだ。
ビクターはめざとく繋がれた私とセオの手を見つけるや、それを勢いよく剥がした。ポイッとセオの手を放り、私の手を大きな両手で包み込む。少しマメが当たるのは、彼が剣を扱う人だからだろうか。なんて、漫画の受け売りだけど。
そのまま彼は「エイミー」と柔らかく私の名を呼んだ。

『俺の名はヴィクター、だ。言えるか?』
「え、なんで2回目?」

マイネィムイズ、とビクターの口が動く。けれど私の頭はハテナだらけだ。
さっきも聞きましたけど。とは面と向かって言えない典型的な日本人。
私が首をかしげたままだというのに、ビクターは尚も「ヴィクター。ヴィ・ク・ター」と唱え続ける。

「ビ、ビクター?」
「ノゥ」
「ノー!?」

困ったように微笑まれ気付いた。発音か。日本人の苦手な英語発音か。 
BではなくVなのか。
LとRの違い、Vとthの発音は、英語を習い始めた頃にALTの先生が口を酸っぱくして教えてくれていたけれど、あれはヒアリングだけだった。
どうせなら発音の仕方も教わっておけばよかった。それこそ駅前留学か。
嘆いていても過ぎたことは仕方ない。今は目の前のイケメンが納得してくれる音を出さなければ。

「ビクター、ビ、ビク…」

Vは下唇を噛んで。確かそうALTの先生は言っていた。
前歯を出すのは恥ずかしいけれど、私は夢中で音を出した。
ぷるん、と唇を震わせながら。

「ぶ、ぶ、ヴ…」
「……」

そろそろ下唇がヒリヒリしてきた。しかしどの音が正解なのかわからない。
ビクターの「イエス」を待っているのに一向にそれがないので、ついに私は降参して彼を見た。
なんと彼はこちらを見ていなかった。

「ちょっとお兄さん!」

思わず心の内でも「なんでやねん!」とツッコミを入れた。
口元に手を当てて、あらぬ方向を向いている…さてはこの男、笑いを堪えているな。
ビクターに対するイメージも書き加えておこう。

案外失礼な男、と。

しおりを挟む

処理中です...