空想街見聞録

時津橋士

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或る幽霊の告白

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 私は幼い頃、夜遅くまで寝付けないということが珍しくなかった。幼い私には、一日の終わりが漠然と恐ろしかったのである。私が昼間に歩いた道は今頃真っ暗で人通りも無いだろう。母に連れられて訪れたデパートでは今頃照明の消えた店内にマネキンが華やかな衣装を着て固まっているのだろう。食料品売り場では業務用の冷蔵庫なんかの音が不気味に響いているのだろう。近所の良く行く公園はどうだろう。ブランコが夜風に揺られて軋んでいるだろう。昼間、私がよく目にする場所の夜の姿を想像すると、私は言いようのない恐怖と寂しさを感じるのだった。それが何故か、当時は分からなかった。ただ想像しただけなのに、幼い私の脳裏には真っ暗な道や、不気味なデパートや、無人の公園の様子がありありと映し出されるのであった。そんな夜は決まって、明け方の空に鳥が鳴き始めるころにならなければ眠りにつけないのであった。


 
 私は、幽霊だ。より正確に述べるなら、私は幽霊になる。と言った方が良いであろう。いや、もちろん私自身は呼吸もすればものも食べる。つまり生きているのであるが、幽霊でもあるのだ。諸君はご存じないようであるが、私のように生きながらにして幽霊でもある人間というのは存外多いのである。しかし、多くはこのことに気づいていないようである。だから私は無自覚の幽霊たちにある悪戯な真実を告げるため、および、私の存在の備忘録としてこの告白文を書くことに決めたのだ。

 まず、私の言うところの幽霊がどんなものであるかを明からせねばなるまい。世の中には人間の怨恨が凝り固まってできた幽霊もいるそうであるが、それについて、私は良く知らない。私の言う幽霊というのは回想から生まれる自意識である。例えば、諸君がある休日、誰かと散歩のついでに喫茶店に行ったとしよう。その夜である。諸君は寝床でその日のことを回想する。
「嗚呼、今日は楽しかった。城の近くまで散歩に行ったが、天気が良かった。日と道理も少なかったし、のんびりできた。そうだ、そのあと喫茶店に行ったな。なかなか雰囲気の良いところだった。来週も行くことにしよう」
などという具合に。多くの者はここで回想を終えるのであるが、私のような幽霊になりえる人物はここからまだ回想を続けるのである。
「そうだ、今夜は月が綺麗だから今時分だとあの散歩道はなかなか趣があるだろうな。きっとお堀に月が写って綺麗だろうな。じゃあ、あの喫茶店はどうだろうか。当然真っ暗だろうな。それに従業員も帰ってしまっているから静かだろう。ただ、表通りに面した窓からは少しだけ月の光が差しているかもしれない。なんだか良い光景だな」
などという具合に。この時、この人物は幽霊となっているのである。つまり、彼の自意識は回想の最中に肉体を抜け出し、実際に城の周りを歩き、お堀に映った月を見、真夜中の喫茶店に侵入して無人の店内に佇んでいるのである。世の幽霊の多くはこれである。本人に幽霊の自覚がない場合は自意識も希薄であるから幽霊もぼんやりとした希薄なものになる。さらに、このように神経を集中して回想に浸るのはたいていの場合、夜である。したがってここに人々が容易に思い起こす、夜に現れる半透明の幽霊が生まれるのである。

 しかし、世の中には半透明ではなく、まるで肉体を持った本人そのもののように見える幽霊も存在する。それは、私のように幽霊としての自覚をはっきりと持ったものが幽霊となる場合である。さらに自意識を一層強固なものにすれば他人の目から見てもほとんど肉体を持った本人との区別がつかない。この状態の幽霊を人々はドッペルゲンゲルと呼ぶようである。実は、幽霊の私は今やこのドッペルゲンゲルの状態にある。そして、このドッペルゲンゲルについては諸君が良く知っている噂があることだろう。そうだ、自分自身のドッペルゲンゲルを見たものは死んでしまうというやつだ。
 
 実は最近、私の周りではどうも様子のおかしいことが多い。先日、幽霊の私が夜道を散歩していたところ、偶然知人と遭遇した。彼は私が幽霊であることには一向気が付かなかったようだった。我々は二、三会話をしてすぐに別れた。そして私はもうその辺で肉体に戻ろうとした。ところがこれが一向に戻れないのである。いつもなら肉体に戻ろうと意識した途端、すぐに戻るはずなのであるが、この日はそうでなかった。そこで仕方がないから私は歩いて自室まで戻ることにした。随分長くかかってやっと自宅の玄関まで戻った。しかし、一向に肉体に戻れない。私は自室へと向かい、寝床の私自身をのぞき込んだ。この時、私は肝を冷やした。無論、自分自身の姿を見ることには一種の恐怖と言えるような感情が無いではなかったが、私がぞっとしたのはそのためではない。私の肉体が半透明ではないか。私の顔を通して、枕の柄がはっきりと見て取れる。思えばこれが幽霊として初めて自分自身を見た瞬間であった。もう少し正確に言うならばドッペルゲンゲルが自分自身と遭遇したことになる。この日はその直後に肉体に戻ることができた。それからも次第にそういうことが増えていった。そして、とうとう私は眠ると同時に意識しないままドッペルゲンゲルになってしまうようになった。そして、決まって朝方まで肉体に戻れないのであった。そんなとき、私はどこへ出かけて行く気にもなれず、日に日に薄くなっていく肉体を眺めているしかなかった。
 昨夜、もう私の肉体はほとんど見えなかった。私はそれでも破裂しそうな不安を抱えてそれを見守っていた。まるで透明人間が布団に入っているように思われた。そしてわずかに残った輪郭が不意に消え、布団は音も無く潰れ、中には私の寝間着だけが残った。その刹那、目が覚めた。肉体はあった。

 私は考えた。自分自身のドッペルゲンゲルに出会うと死んでしまうという例の噂。あれはあながち間違いではないのかもしれない。ただし、私は二つだけ訂正したい。一つは自分自身がドッペルゲンゲルに出会うのではなく、ドッペルゲンゲルが自分自身に出会うのだということ。もう一つは死んでしまうということについてだ、これは正しくは肉体が消滅するのではないだろうか。私は今、漠然とそんな気がしている。そして、それでも悪くないのかもしれないと思っている。何となくそう思うのだ。しかし、肉体を失った後のドッペルゲンゲルはどうなるのだろうか。それだけが気がかりであるが、恐らく、それは、じきに判明するだろう。

 今になって、私はやはりこの告白文を書かなければ良かったと思い始めた。私のようなドッペルゲンゲルが増えてしまうかもしれない。しかし諸君、許してくれ、もう私にはこの告白文を無かったことにはできないようである。もう夜中、ほとんど夢現の状態だ。

 諸君はこの告白文をどう思うだろう。ただの悪趣味な文章だと思うだろうか、あるいは、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
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