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「なぜ、ここに君がいるんだ」
本当にお久しぶりに見るアルクフレッド殿下。常に雄々しい姿だったあの方の姿とは似ても似つかない。不自然にひざ下からふくらみがない布団。悔しいけれど認めていた美しく整った顔には大きな傷がついている。ああ、つまり。戦場とはそういうところなのだ。私は何もわかっていなかった。
それに殿下から発せられるのは聞いたこともない冷たい声。恐れてはだめ。私は毅然と前を向いていなくては。
「なぜ?
おかしいことをおっしゃるのですね。
私はアルクフレッド殿下の婚約者。
殿下が帰られたのならば、ご挨拶に伺うのが当然ではございません?」
「婚約は破棄したが」
「あら、了承した覚えはございませんわ」
「リンジベルア!
もう、私は王太子ではない、君の婚約者ではいられないんだ!」
「私は王太子と婚約したのではありません。
私は、アルクフレッド殿下と婚約をしたのです」
「だが!
もう、こんな体だ。
……本当はカルシベラと結ばれたかったのだろう?
お互いに思いあっていたのだろう?
それを私が引き裂いた。
これはきっと、運命を元に戻そうとする神の意思だ。
だから……」
アルクフレッド殿下との婚約が決まった当時、私は嫌がった。だって、アルクフレッド殿下とはあまりお会いしたことがなかったし、会うと意地悪ばかりしてくる。いっそ恐怖心すら抱いていた。カルラに対してはきっと、淡い恋心を抱いていたのだと、今は思う。きっとカルラも私に対してそうだったのだろう。でもそれは過去の話だ。
「私、アルクフレッド殿下のこと、好きではありません。
私が丁寧に作った花冠を奪って壊すし、大好きなお菓子に細工をするし、先を走る殿下に追いつこうと走って転ぶとこれでもかというほど笑うし……」
突然始まった愚痴に目を丸くする。なんだか長年の仕返しができたようで少しだけすっきりする。なら、と殿下が口を開く。それが音になりきる前に、私はでも、と言葉をかぶせた。
「でも。
細やかに気を使ってドレスを送ってくださるところ、私が好きだからと腕のいい菓子職人を探してくれること、厳しい王妃教育に隠れて泣いていた私を見つけて傍にいてくれたこと、国民に対して心から大切に想っていること。
良いところも、たくさん知っているのです。
何年、一緒にいたと思っているのですか。
……、本当は殿下のこと、好きでいるご令嬢にこの座をいつでも譲って差し上げたいと思っているのですよ。
それこそ熨斗でもつけて」
ああ、情けない。涙があふれてこぼれる。一番泣きたいのは私ではなくて、きっと目の前にいるこの人なのに。
「ですが、それは決して殿下を不幸にするためではありません。
私よりもふさわしい方がいるのなら、私よりも殿下のことを考え支えてくださる方がいるのなら、そう思っていました。
もしも、あなたが私の手を離して一人になろうとしているなら、許しません。
許せるはずがありません。
誰よりも国のことを考えるあなたが、幸せにならなくてどうするのですか……」
「リーア……。
だが、しかし……」
「殿下は!
殿下ご自身はどう考えていらっしゃるのですか?
先ほど申し上げた通り、私はただ、殿下に幸せになっていただきたいだけなのです。
その時隣にいてほしい方が私ではないのなら、そう仰ってください」
「そんな人いるわけがない!
私は、いつだって……。
だが、そんなこと王家もチェックシラ家も許すはずがない」
「どうして私がここにいるとお思いですか。
お兄様が手配してくださったのです。
お兄様は、私の意思を、殿下の意思を尊重すると仰いました。
お父様もこちらの味方です。
あと覚悟を決めるべきなのはアルクフレッド殿下、あなただけです」
まっすぐに殿下を見つめる。祈るような気持ちで過ごす時間は妙に長く感じる。涙はやっぱり止まってはくれない。うつむいていた殿下は、しばらくしてようやく顔を上げた。その目は揺れていた。
「私は、望んでもいいのか?
だって、それは……」
「殿下がどうしたいのか、それだけを聞かせてください」
辛抱強く、伝える。殿下に決めてほしかった。後悔なんてしてほしくなかった。だから、急かすことなく、ただ待った。
「……許されるのなら、リーアといたい。
君は、私のすべてだから」
ぽつりと、本当に小さな声でそう言う。瞬間、胸の中が言葉にできない感情で満たされる。あとからあとから涙がこぼれていく。きっと私は今ひどい顔をしているだろう。
抑えられない衝動のまま、目の前の彼に抱き着く。ああ、温かい。ほっとする。戸惑っていた彼も、おもむろに私を抱きしめた。徐々にその力が強くなっていく。痛いけれど、嬉しい。
「ありがとう、リーア。
きっと、幸せにするから。
今の私にできる全力で」
「あら……、幸せにしていただかなくて結構ですわ。
私は自分で幸せになりますもの」
初めてではないかと思うほど、穏やかな時間が流れる。きっとこの先、想像もできない困難が待ち受けているのだろう。それでも、目の前の彼と。少し意地悪だけれど、まじめで優しい、そんなアルクフレッドと共に歩けるのなら。それだけできっと、力が湧いてくるから。
「頼もしいな」
今だけは、この温かさだけを感じていよう。
***
「どうして、そうなるんだ。
ああ……、またやり直さないと……」
誰もいない廊下で、男のそんな言葉がこぼれた。
本当にお久しぶりに見るアルクフレッド殿下。常に雄々しい姿だったあの方の姿とは似ても似つかない。不自然にひざ下からふくらみがない布団。悔しいけれど認めていた美しく整った顔には大きな傷がついている。ああ、つまり。戦場とはそういうところなのだ。私は何もわかっていなかった。
それに殿下から発せられるのは聞いたこともない冷たい声。恐れてはだめ。私は毅然と前を向いていなくては。
「なぜ?
おかしいことをおっしゃるのですね。
私はアルクフレッド殿下の婚約者。
殿下が帰られたのならば、ご挨拶に伺うのが当然ではございません?」
「婚約は破棄したが」
「あら、了承した覚えはございませんわ」
「リンジベルア!
もう、私は王太子ではない、君の婚約者ではいられないんだ!」
「私は王太子と婚約したのではありません。
私は、アルクフレッド殿下と婚約をしたのです」
「だが!
もう、こんな体だ。
……本当はカルシベラと結ばれたかったのだろう?
お互いに思いあっていたのだろう?
それを私が引き裂いた。
これはきっと、運命を元に戻そうとする神の意思だ。
だから……」
アルクフレッド殿下との婚約が決まった当時、私は嫌がった。だって、アルクフレッド殿下とはあまりお会いしたことがなかったし、会うと意地悪ばかりしてくる。いっそ恐怖心すら抱いていた。カルラに対してはきっと、淡い恋心を抱いていたのだと、今は思う。きっとカルラも私に対してそうだったのだろう。でもそれは過去の話だ。
「私、アルクフレッド殿下のこと、好きではありません。
私が丁寧に作った花冠を奪って壊すし、大好きなお菓子に細工をするし、先を走る殿下に追いつこうと走って転ぶとこれでもかというほど笑うし……」
突然始まった愚痴に目を丸くする。なんだか長年の仕返しができたようで少しだけすっきりする。なら、と殿下が口を開く。それが音になりきる前に、私はでも、と言葉をかぶせた。
「でも。
細やかに気を使ってドレスを送ってくださるところ、私が好きだからと腕のいい菓子職人を探してくれること、厳しい王妃教育に隠れて泣いていた私を見つけて傍にいてくれたこと、国民に対して心から大切に想っていること。
良いところも、たくさん知っているのです。
何年、一緒にいたと思っているのですか。
……、本当は殿下のこと、好きでいるご令嬢にこの座をいつでも譲って差し上げたいと思っているのですよ。
それこそ熨斗でもつけて」
ああ、情けない。涙があふれてこぼれる。一番泣きたいのは私ではなくて、きっと目の前にいるこの人なのに。
「ですが、それは決して殿下を不幸にするためではありません。
私よりもふさわしい方がいるのなら、私よりも殿下のことを考え支えてくださる方がいるのなら、そう思っていました。
もしも、あなたが私の手を離して一人になろうとしているなら、許しません。
許せるはずがありません。
誰よりも国のことを考えるあなたが、幸せにならなくてどうするのですか……」
「リーア……。
だが、しかし……」
「殿下は!
殿下ご自身はどう考えていらっしゃるのですか?
先ほど申し上げた通り、私はただ、殿下に幸せになっていただきたいだけなのです。
その時隣にいてほしい方が私ではないのなら、そう仰ってください」
「そんな人いるわけがない!
私は、いつだって……。
だが、そんなこと王家もチェックシラ家も許すはずがない」
「どうして私がここにいるとお思いですか。
お兄様が手配してくださったのです。
お兄様は、私の意思を、殿下の意思を尊重すると仰いました。
お父様もこちらの味方です。
あと覚悟を決めるべきなのはアルクフレッド殿下、あなただけです」
まっすぐに殿下を見つめる。祈るような気持ちで過ごす時間は妙に長く感じる。涙はやっぱり止まってはくれない。うつむいていた殿下は、しばらくしてようやく顔を上げた。その目は揺れていた。
「私は、望んでもいいのか?
だって、それは……」
「殿下がどうしたいのか、それだけを聞かせてください」
辛抱強く、伝える。殿下に決めてほしかった。後悔なんてしてほしくなかった。だから、急かすことなく、ただ待った。
「……許されるのなら、リーアといたい。
君は、私のすべてだから」
ぽつりと、本当に小さな声でそう言う。瞬間、胸の中が言葉にできない感情で満たされる。あとからあとから涙がこぼれていく。きっと私は今ひどい顔をしているだろう。
抑えられない衝動のまま、目の前の彼に抱き着く。ああ、温かい。ほっとする。戸惑っていた彼も、おもむろに私を抱きしめた。徐々にその力が強くなっていく。痛いけれど、嬉しい。
「ありがとう、リーア。
きっと、幸せにするから。
今の私にできる全力で」
「あら……、幸せにしていただかなくて結構ですわ。
私は自分で幸せになりますもの」
初めてではないかと思うほど、穏やかな時間が流れる。きっとこの先、想像もできない困難が待ち受けているのだろう。それでも、目の前の彼と。少し意地悪だけれど、まじめで優しい、そんなアルクフレッドと共に歩けるのなら。それだけできっと、力が湧いてくるから。
「頼もしいな」
今だけは、この温かさだけを感じていよう。
***
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ああ……、またやり直さないと……」
誰もいない廊下で、男のそんな言葉がこぼれた。
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感想ありがとうございます!!
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