アネモネの花

藤間留彦

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風岡一温編

第二話 初恋③

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「冗談に、しないでください……! 先生、僕と……キスして――」

 その後の言葉は継げなかった。先生の唇で口を塞がれてしまったから。

 押し付けられた先生の唇の感触。頭の後ろに回された先生の手に強く引き寄せられる。しかし甘い感覚を味わう時間はほんの少しだった。

 突然ぬるりとしたものが口の中に侵入してきて、僕は驚いて身を引いたが、頭を抱えられているので逃げられない。
 先生の舌が僕の上顎を舐めあげると、背筋がぞくぞくして変な感じがするのにやめて欲しくないという複雑な感情が渦巻き、堪らない気分になった。

 舌を絡み取られ、息もまともにできなくなると、溺れそうになって助けを求めるように先生の白衣を掴んだ。もう何も考えられない。このまま窒息死したとしても、僕は構わないだろう。それぐらいに、僕は先生とのキスに夢中になっていた。

 でも永遠ではなかった。ゆっくりと唇が離れる。艶かしく唾液が糸を引いていて、僕は恍惚として先生の顔を見上げた。

「キスだけでいいのか? キスの次は……どうする?」
「……したい、です」

 僕の答えを聞くと悪辣な笑みを浮かべて、シャツの上から僕の胸を撫でた。

「んっ……」

 胸の突起を指先で撫でられて、思わず声が漏れる。自分の口からこんな声が出るとは思わず、手の甲で口を押さえた。先生はふっと息を漏らして僕の腿の付け根辺りに視線を落とした。

「そうだろうな。キスだけでこんなになるんだもんな?」

 先生の視線の先を追って自分が今どういう状態なのかを知った。下着とスラックス越しでも分かるくらいその中心が膨らんでいる。
 一気に羞恥心に苛まれて両手で股間を隠すと、先生が声を上げて笑った。そして、自分の椅子に座ると、脇机の上の白紙の答案用紙を指でとんとんと叩く。

「エロいことばっか考えてねえで、やることやれよ」
「……はい……すみません」

 先生の声色や言葉遣いが急にぞんざいになったことが気になったが、それが観月脩という人間の本来の姿なのだろう。

 何とか気を落ち着けて机に向かい、一つ一つ問題の回答を記入する。簡単な内容だったので、三十分掛からずに解き終わった。先生は答案を横から取り上げると、そのまま採点を始めた。

「お前って嫌味なぐらい頭良いよな」

 そう言うと、百点と書かれた紙を採点の終わった他の用紙と一緒に鍵つきの引き出しに仕舞う。
 
「……ま、百点満点の風岡君には何かご褒美あげなきゃな」
「えっ……」

 期待するように観月先生の茶と緑色が混ざったような瞳を見詰めた。が、すぐに何かを思い出したように視線を逸らされる。

「でもあれか。中間試験あるしな。しばらくテスト勉強だろ」

 そういえば来週から中間テストが始まることを思い出す。それで今日は校舎に誰も生徒がいないのだ。

「じゃあ、中間試験の結果次第で考えてやるよ」
「な、何点ですか……?」

 前のめりになった僕のおでこをぺちんと叩くと、「お前なら百点取りそうだな」と先生は笑った。その自然な笑顔に引き付けられたが、先生が急に眉間に皺を寄せて舌打ちしたので、何かしたのかと戸惑う。
 先生は机に向かうと、近くにあったメモ用紙に何かを書いて、僕の顔を見ずに差し出した。

「中間試験、点数良かったらこの店に来い。セックスしたいんだろ?」

 あまりに直接的な言葉に顔が熱くなるが、僕は羞恥心をかなぐり捨てて、「はい」と小さくなりながら頷いた。

「じゃあ、そういうことで。俺は中間試験の問題作らなきゃなんねえから、もう帰れよ」
「すみません……失礼しました」

 僕は少し肩を落として出入り口に向かうと、後ろから「最後にひとつ」と声を掛けられて振り向く。

「ちゃんと後ろ綺麗にして来いよ。色々面倒臭えから」

 男性同士の性交渉にそれなりに知識をつけていたから、その意味が分かって恥ずかしくなる。顔を上気させて「はい」と返事をして化学準備室を後にした。

 夕暮れ時の誰も居ない校舎を一人下駄箱に向かって歩く。まるで夢でも見ているような心地だった。でも確かに残る先生の唇の感触に、心臓がどくんと脈を打つ。

 でも、僕は漠然と分かっていた。先生が二つの顔を持つ意味を。その先生の本当の姿を覆い隠すための表の顔が、誰かを意識して作られたものだということを。

 それでも、僕はそのことから目を逸らして、初めて誰かを好きになった喜びのままに、ただ突き進んだ。
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