アネモネの花

藤間留彦

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風岡一温編

第二話 初恋②

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 ゴールデンウィークは塾と図書館と家の往復で終わった。ただ学校が早く始まるといいと思いながら。この初めての感情に、僕は翻弄されていた。

 学校が始まると化学の授業が楽しみになった。観月先生が普段見せる姿は、彼の本当の姿ではないけれど、その仕草や眼鏡の向こうの視線の先に、僕が映る瞬間に一喜一憂する。淡々と授業を受けるだけの色褪せた青春に、彩りが生まれた。

 しかし、観月先生のことを好きな女子達と同じように、僕は先生を囲んで歩くような真似はできなかった。男が男を好きなのは、変だから。

 休みの間、色々調べて自分が同性愛者であるということを認識した。今まで一度も女性に興味を持ったことがないからだ。試しに無修正のアダルト動画まで確認したけれど、全く反応しないまま終わった。興味があったとすれば、女性の男性器を受け入れるために理想的な女性器の構造くらいだ。

 恐らくそのせいだと思うけれど、その日から度々僕が女役で眼鏡を掛けていない先生に組み敷かれている淫夢を見た。僕は女性の身体の構造はしていないはずだけれど、すんなりと彼の雄を受け入れる。先生の目がまっすぐに僕を見詰めて「風岡君、気持ちいい?」と微笑んだ。僕は先生の首に腕を回して「気持ちいいです」と嬌声を上げながら腰を振った。

 朝目覚めると、ボクサーパンツの色が変わるくらいの酷い有り様でうんざりした。けれど、この性への興味は加速して、空いた時間に男同士のセックスの仕方を調べたり、動画を見るようになり、段々と夢も具体的になってきて僕の妄想の種になった。


 そうして想いを募らせ悶々と過ごしていても、僕は先生に近づくことができなかった。クラスの教科担当ではなく、産休中の先生の代わりに観月先生が副顧問をしている吹奏楽部でもない。他の生徒のように親しげに話し掛ける勇気もなかった。

 どうしたらいいか考えた時に、中間試験の前に実力テストが行われることに気付いた。成績には入らないけれど成績の悪い者は放課後補講もしくは再テストを受けることになっている。

 僕は、とても簡単な、誰も三十点以下を取ることはないようなテストを名前だけ記入して提出した。勿論化学だけ。
 翌日、担任の先生から観月先生が放課後化学準備室に来るように言っていたと言伝てを受けた。補講でも再テストでもないのだろうか。対象者が僕だけだから、説教されて課題を渡されるだけかもしれないと少し肩を落として、放課後特別教室棟に向かった。

 中間試験前で部活動の生徒の姿もない。しんと静まり返った校舎で僕の足音だけが響いている。今この建物に居るのは、僕と化学準備室に居る観月先生だけだと気付いて胸が高鳴った。

「先生、風岡です。入っていいでしょうか」

 緊張して声が震えていないか心配になる。扉の向こうから「どうぞ」と声がして、ゆっくりと戸を開けた。
 先生は白衣を着てチェーンの付いた眼鏡を掛けていて、先生の机と隣り合っている脇机の前にある丸椅子に座るように言った。脇机には僕の白紙の答案が置いてある。

「どうして呼ばれたか分かっていますね?」

 丸椅子に腰掛けた僕と先生は向き合って、膝を突き合わせるような格好になっていた。僕はこんなに近くに先生が居ることや僕ら以外いない密室であることを意識してしまい、言葉が出てこなかった。
 先生は困ったように笑うとシャープペンシルを答案用紙の上に置いた。

「きっと具合が悪かったんですよね。君なら百点を取っても可笑しくない内容です。他の先生には言っていませんから、ここでもう一度やってください」

 ちらりと答案用紙を見てから、僕は膝の上に置いた両手に視線を落とす。と、先生の溜め息が聞こえて、僕ははっとして顔を上げた。

「成績に直接影響はないとはいえ、結果を報告しないといけないんです。他の教科ではほぼ満点に近い点数だったそうじゃないですか。何か……私に問題があったなら言ってくれませんか」
「も、問題、なんて……!」

 夕日に照らされた先生の髪がきらきらと輝いている。綺麗だと思った。その波立つ栗色の髪に触れてみたい。眼鏡の向こうのヘーゼルの瞳に見詰めて欲しい。そして、僕に、優しく口付けて。

「……先生の髪の色は、自然のものですよね。目も、すごく綺麗な色で……」

 思ったことをそのまま口に出してしまった。顔が熱い。心臓の音が先生に聞こえてしまいそうなほど高鳴っている。
 でも後悔する前に、僕は先生の瞳がわずかに揺れたのを見逃さなかった。そしてその後に冷たい目になったことも。

「もしかして、風岡君……私のことが好きなんですか?」

 どくんどくんと心臓が激しく鼓動する。呼吸が浅くなって、手に汗をかく。今言わなくて、いつ言うのだというのだろう。僕の気持ちを伝えるのは、先生が僕に僅かに真実を見せた今でなければならない。

「はい……先生が、好きです」

 レンズの向こうの瞳が真っ直ぐに僕を見詰めている。と、先生が立ち上がったかと思うと、眼鏡に手を掛けていた。見上げると取り去った眼鏡が首からぶら下がっている。そして、僕を綺麗なヘーゼルの瞳が捉えていた。

「じゃあ、キスするか?」

 低い、声だった。呼吸するのも忘れて吸い込まれるように瞳を見入る。先生は身体を折って僕の顔を覗き込むようにして、僕の顔に手を伸し、顎を指で持ち上げた。
 が、先生は鼻で笑うと、さっと手を引いた。

「冗談だよ」

 その嘲りと僅かに憂いを含んだ声に、僕は再び眼鏡を掛けようとした先生の手を反射的に掴んだ。
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