アネモネの花

藤間留彦

文字の大きさ
18 / 75
観月脩編

第二話 出逢い②

しおりを挟む
 警備員のおじさんしか居ない静かな校内を走り、研究室のある階に辿り着くと、まさかの光景。研究室のポストからレポートを取り出し、部屋に入っていく鳥海先生の姿が目に入った。

 これはとても不味い。俺は慌てて研究室のドアを叩いた。

「すみません、応用化学科の観月ですが、今大丈夫ですか」
「ええ、どうぞ」

 「失礼します」と扉を開けて中に入ると、研究室に備え付けてあるコーヒーメーカーを操作している先生が不思議そうに俺を見ていた。ソファとガラスでできたテーブル。そして仕事用なのか紙束やファイルが山積みの机があった。テーブルの上には恐らくさっき回収したレポートが置かれている。

「あの、レポートって……もう、駄目ですよね」

 俺は手に握り締めていたレポートを手に落胆して引き返そうとしたが、先生はさっとそれを取り上げた。はっとして顔を上げると、先生は優しく微笑を浮かべていた。

「観月脩君、でしたね。いつも真面目に授業を受けてくれていますから、特別です」

 ――特別。
 何か意図があった言葉ではないだろうけれど、自分だけ許されるというのは気分のいいものだった。

「朝早くに来て、大変だったでしょう。コーヒー嫌いじゃなければ、一杯飲んでいってください」

 徹夜でレポートを仕上げたとは口が裂けても言えないなと思いながら、促されるままソファに座る。先生はコーヒーをシンプルなブラウンのマグカップに淹れて出してくれた。

「プライベートが忙しいんですか?」
「……まあ、バイトがちょっと」

 ふうふうと息を吹きかけて冷ましてから、コーヒーを一口含む。

「無理は禁物ですよ。身体が資本ですからね」
「はい……努力します」

 適当に流してこの場を去ろうとしていたが、鳥海先生は俺の顔を見て何かを思い付いたように俺の正面のソファに座る。

「観月君はダブルでしょうか。目の色……とても色素が薄いですよね」
「……ダブル?」
「あ、ハーフって言うんですかね、日本では」

 その時ダブルという言い方を初めて知った。海外ではそういう表現をするのだろうか。

「そう、ですけど……何か?」
「ええと……とても綺麗だとは思うのですが、少し気になっていたことがあって」

 さり気無く「綺麗」と言われて、気恥ずかしいのだが、先生は特に重要なことではなかったようで俺の反応には気付いていない。

「観月君、私の授業を受けている時、よく目を擦るでしょう。教室が西向きにあるせいで夕方には日が差しますからね。辛そうだったので、それに気付いてからは授業の前にブラインドを下ろしていたんです」

 夕方日の光で眼が痛いのはいつものことだったので、特別なことだと思ったことは無かった。
 鳥海先生は俺のその何気ない仕草に、授業をしながら気付いたのだ。家族以外の人間に気に留めてもらっていると感じたのは初めての経験で、驚く。

「少しは楽になっていると良いのですが」

 優しく微笑む顔に少しどきりとして、視線を逸らした。
 西日については特に気にしてはいなかったが――そもそも目の色素が薄いせいで眩しいのだということを認識さえしていなかった――、「はい、有難うございます」と礼を言う。

「コーヒー、ごちそうさまでした」

 少し居心地が悪いような、このままここに居ると可笑しな気分になりそうで、コーヒーを飲み干し席を立った。

「授業中、色の付いた眼鏡を掛けると蛍光灯の光も眩しくなくていいと思いますよ」

 去り際にそう声を掛けられて、何と言って良いか分からず、「有難うございます」と一礼して研究室を後にした。

 この時の先生との会話が、俺にとって一つの要素になったのだろう。この時感じた綿毛のようなふわふわとした感情は、俺の知らないうちに心のまん中に落ちて、しっかりと根を張っていた。そのことを知るのは、夏の終わりの、蒸し暑い日のことだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

学校一のイケメンとひとつ屋根の下

おもちDX
BL
高校二年生の瑞は、母親の再婚で連れ子の同級生と家族になるらしい。顔合わせの時、そこにいたのはボソボソと喋る陰気な男の子。しかしよくよく名前を聞いてみれば、学校一のイケメンと名高い逢坂だった! 学校との激しいギャップに驚きつつも距離を縮めようとする瑞だが、逢坂からの印象は最悪なようで……? キラキライケメンなのに家ではジメジメ!?なギャップ男子 × 地味グループ所属の能天気な男の子 立場の全く違う二人が家族となり、やがて特別な感情が芽生えるラブストーリー。 全年齢

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

隣の席のイケメンに懐かれた

しょうがやき
BL
隣の席のイケメンに懐かれた平凡男子の話

一軍男子と兄弟になりました

しょうがやき
BL
親の再婚で一軍男子と兄弟になった、平凡男子の話。

【創作BL】溺愛攻め短編集

めめもっち
BL
基本名無し。多くがクール受け。各章独立した世界観です。単発投稿まとめ。

おすすめのマッサージ屋を紹介したら後輩の様子がおかしい件

ひきこ
BL
名ばかり管理職で疲労困憊の山口は、偶然見つけたマッサージ店で、長年諦めていたどうやっても改善しない体調不良が改善した。 せっかくなので後輩を連れて行ったらどうやら様子がおかしくて、もう行くなって言ってくる。 クールだったはずがいつのまにか世話焼いてしまう年下敬語後輩Dom × (自分が世話を焼いてるつもりの)脳筋系天然先輩Sub がわちゃわちゃする話。 『加減を知らない初心者Domがグイグイ懐いてくる』と同じ世界で地続きのお話です。 (全く別の話なのでどちらも単体で読んでいただけます) https://www.alphapolis.co.jp/novel/21582922/922916390 サブタイトルに◆がついているものは後輩視点です。 同人誌版と同じ表紙に差し替えました。 表紙イラスト:浴槽つぼカルビ様(X@shabuuma11 )ありがとうございます!

処理中です...