孤高の羊王とはぐれ犬

藤間留彦

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番外編

番外編 幸運という名の犬⑥

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 城で働き始めて数日ほど経った頃。僕は塀の中に入れたら行きたいと思っていた場所に向かった。
 それは、僕が生まれた場所──娼館がある花街だ。αである以上、本来近付くことは避けたい場所だが、抑制効果のある実の摂取で可能になった。

 今もその建物があるかは分からないが、自分がどんな場所で生まれたのかを見てみたかった。もし当時のことを知っている者が居たら、母のことを聞いてみたい。そして──何処の誰かも分からない、父についても。

 仕事を終えた後、夜間に一人城を後にして娼館が立ち並ぶ地域に足を踏み入れた。


 母が働いていた娼館の正確な場所は分からないが、国外の者が訪れることができる場所となると奥まっていない大きな建物である可能性が高い。娼館生まれの犬族の老人が、その辺りの館で生まれたと言っていたのもある。

 入り口にある建物を眺めながら、もしかしたらこの辺りの娼館のいずれかだったかもしれないと思いを巡らせた。
 赤や黄色の淡い色合いのランプに照らされ、街並みは美しく華やかに見える。ただ、娼館の前で呼び込みをしている者達は、皆肌を露出していて目のやり場に困るのだが。

「お兄さん、お相手はお決まり?」
「い、いや! 僕は……!」

 唐突に背後から声を掛けられて、反射的に後退りする。

「姉さん、その獣人お城のひとじゃない? そのローブ、お役人のだわ」
「ええ? あたしらちゃんと営業許可もらってるわよ?」
「そうよ! 不法な呼び込みもしてないのに!」

 と、知らぬ間に次々と現れた羊族のΩの女性達に囲まれてしまった。皆胸を強調した布地の少ない服を着ているため、視線を向けることすらできず、目を泳がせ挙動不審な反応をしてしまう。

「ちょ、ちょっと用があるので……!」

 何とか隙をみて包囲網を掻い潜り走った。しかしそこで逃げる方向を間違えたことに気付く。更に奥に入ってしまったのだ。
 戻ることは難しいが、確か城を出る時に確認した地図では、この奥から大きな通りに出られた気がする。

 裏通りは表の通りよりも静かで、明るいランプも館の入り口にしか灯っていない。先程のような呼び込みの者達は、皆表通りに出ているのだろう。

「あんた!」

 唐突に暗がりから飛び出してきた何者かが、僕に体当たりしてきて、衝撃でふらつく。驚いてその者を見ると、僕より背が少し低いくらいの背丈の男だった。

「あんた、おれの運命だろ!」

 外に跳ねるような癖のある長い黒髪に褐色の肌の羊族の男──が僕に抱きついている。横に突き出した耳は垂れ、身体付きはΩにしては割合がっしりとしていた。そして、赤銅色の瞳を輝かせ、僕を真っ直ぐに見詰めている。

 その目を見た時、何か身体を走り抜けるような感覚があった。

「おれ、ルシュディー! あんたは?」
「えっいやっ……」

 胸の部分と腰布で隠れた下半身以外は肌を晒していて、身体を密着させられている状況に顔から火が出そうなくらいに熱くなって、身動きも取れず硬直する。
 そして彼から匂い立つ、芳しい香りに、思わず心臓が強く脈打った。

「ちょっ、お前! ルシっ! 誰でも彼でも声掛けんなッ!」

 僕より頭ひとつ小さく、白い巻毛の髪に角を生やした一般的な羊族の風貌の青年が現れて、僕に抱きついている青年を引き剥がした。

「そのひと、役人だぞ! 服見りゃ分かるだろ!」
「知るか離せッ! こいつはホントにおれの運命なんだよっ!」

 ルシュディーと名乗った黒髪褐色の青年は、必死に白髪の小柄な青年から逃れようと手足をバタつかせている。
 しかし、警備の仕事を任されていた時に身につけていたローブは役人が身につけるものと同じだったとは知らなかった。知っていたら、不用意に羽織ってきたりはしなかった。

「マタル! 早くルシを連れてってくれっ!」

 青年の呼び掛けに、近くの娼館から上背はそれほどではないが、服の上からでも身体を鍛えているのがわかる屈強な犬族の男が出てくる。頬に鉤爪のようなもので引っ掻かれたような傷跡がある。用心棒だろうか。

「あんたの名前だけでも教えてくれ! 頼む!」
「……スウード、だ」

 聞こえたかどうかは分からない。結局用心棒らしき男に引き摺られて、娼館の中に放り込まれてしまったから。

「運命って……?」
「すいません、あいつの常套句なんで気にしないでください! あいつ発情期ヒートの時にしかまともに客つかないから必死なだけなんでっ! そのっ、違法な勧誘してませんから、うちの店!」

 このローブのせいで、すっかり査察か何かと勘違いされている。ただ通り掛かっただけなのだが……

「つーことで、さっきのは見逃してください! プライベートでご利用の際にはサービス致しますんで! じゃ!」

 と、ウィンクをしてさっきの黒髪の青年が放り込まれた娼館に追い掛けるように入っていった。
 まるで嵐のように騒がしく、一瞬で去って行った彼等に呆気に取られる。と、視界の端で光るものが目に入り、視線を落とすと、足元に腕輪が落ちていることに気付いた。金の鎖に小さな赤い石がひとつついている質素なものだ。

 腕輪を手に取り、微かに残る匂いから、あの黒髪の青年の物だと分かる。「届けなければ」と娼館に歩みを進めたところで、先程表通りに居た女性達がこちらに歩いてくるのが見えた。
 またここに留まっていたら何か騒ぎになるかもしれない。腕輪を持ったまま逃げるように花街を脱出し、城への道を急いだ。


 城内の使用人に充てがわれた自室に入り、ようやく落ち着いた……はずなのに、何故だか胸がざわざわと騒がしい。
 持ち去ってしまった、手の中にある腕輪の赤い石を見詰めて、ルシュディーと名乗った青年のことを思い出す。

 ──あんた、おれの運命だろ!

 赤銅色の瞳が、僕を捉えて離さない。何故、と自らに問う度に、解っているはずだ、と心の声がする。

 ──運命。

 そんな奇跡が、僕にも起こり得るのだろうか。この広い世界で、ただひとりのひとに逢うなんてことが……

 もう一度会ったら、その時に──真実を知ることになるだろう。
 腕輪をベッドサイドの棚の上に置いて、深呼吸する。ふと窓の外を見上げると、星が瞬く夜空に、半分欠けた月が昇っていた。
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