異眼賢王と吸血鬼の涙

藤間留彦

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第1章 邂逅、そして誕生

第4話 嵐の前の静けさ

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 つい数分前まで怒号と叫泣で騒然としていた広間で食事を取りながら、国境付近への救援物資と人員の派遣を取り決めた。また、予定していた徴兵と徴発を取り止めさせた。夕食後、イェルクがそれらの文書をまとめてくれることになっている。
 しかし同じく食事をしているアシュレイが果物を口いっぱいに頬張りながら、無表情で横から助言をしてくる様は面白可笑しい。空腹とはいえ子供っぽく、普段の風格のある佇まいからは、およそ考えられない姿だ。
「アシュ、そんなに急いで食べなくても無くならないよ」
「吸血鬼となると、睡眠欲を失う代わりに他の欲を抑え難くなるのだ。空腹時は特に食欲を抑えられなくなる」
 「吸血鬼となると」という言葉に引っ掛かる。アシュレイも最初から吸血鬼だったわけじゃないのだ。彼も、初めは「人」だったのだ。
 皿に盛ってあったカットされた苺を流し込むように口に放り込んで、顔を向けると何か値踏みするようにじっとこちらを見詰めている。
「どうかした?」
「……いや」
 視線を逸らすと、給仕係が持ってきた山盛りの皮付きのカットオレンジをそのまま口に放り込む。どうかしたのだろうか。もしかしたら、前髪で隠した片目のことを何か思ったのかもしれない。
「変、かな」
「何の事だ?」
「……髪だよ」
 前髪を触りながら、表情を窺うようにアシュレイを見る。じっと目を細めて見詰めると、再びオレンジを頬張る。
「美しい髪だ。変ではない」
「……そっ、そういうことでは、なくて……」
 何の感情も意図もなく言っているとは分かっていても、「美しい」なんて言葉を向けられたことは一度もなく、予想外の返答であったこともあり、それ故に動揺してしまった。
 顔が熱い。周りから見ても分かるくらい赤くなっているのではないだろうか。
「……眼のことなら、気にすることはない」
 果物を全て平らげて、果汁で汚れた手と口元をナプキンで拭う。
「お前には魔法を使う能力はないようであるし、紅い瞳も魔女の多かった五百年前では、それほど珍しいものではなかった。私の知り合いにも一人居るが、禍などもたらすことなどなく、寧ろ人々の役に立っていた」
 五百年――彼がベルンハルト皇帝と共に戦に明け暮れていた頃だろう。当時の書物に、アリという名の魔女が、吸血鬼を使った戦争の際、貢献したという記載があったことを覚えている。彼女のことだろうか。
 アシュレイは黙って立ち上がると、真っ直ぐに僕の方に歩いてきて傍に立った。その行動の意図が読めずに、ぽかんと彼を見上げる。
 と、彼の手が真っ直ぐに伸びてきて、目の前の視界が急に広くなる。
「隠す必要などない。お前はもう、閉じた世界で生きることはないのだから」
 前髪を掻き上げられ、両目ではっきりと彼の煌めく黄金の瞳を見た。その眼に僕の顔が映っていた。
「……私は先に仕事に取り掛かる」
 ただそれだけ言うと、颯爽と広間から出て行った。再び前髪が右目を覆い隠す。
 俯いていると、兄と近臣たちを地下牢に移送するのに付き添っていたイェルクが戻ってきた。僕の様子を見るなり訝しげな表情になる。
「どうかなさいましたか……? 顔が少し赤いようですが――」
「い、いや、何でもないんだ」
 不思議そうに見詰めるイェルクの視線を感じたが、下を向いたまま食事を再開した。しかし、心臓の音がうるさく、食べ物の味などよく分からなかった。

 食事を終え、イェルクが文書をまとめている間、アシュレイと今後の方針を決めなければならなかった。
 彼を探していると、廊下でヴァルテリと出くわした。先程は訓練中だったために平服だったが、今は着替えて銀の鎧を身に付けている。
「アシュ見なかった?」
「先程、前大臣の部屋の場所を尋ねていました。恐らくそちらにいらっしゃるのではないかと」
「ありがとう」
 通り過ぎようとしたところで、「あの」と呼び止められる。
「一つご提案が……聞いて頂いても構いませんか」
「うん、もちろん」
 ヴァルテリは居直ると、真剣な眼差しを向けた。
「徴発の件、中止して頂いて感謝しております。平時には余りある兵士の数で、兵糧を食うばかりでした」
 元々戦力としては充分なところに、隣国が戦争状態にあることから兄の不安を煽り、過分な徴発を繰り返す事にもなっていた。
「しかし、隣国と戦争となれば、現時点の戦力では足りないのも事実です。そこで、非常時には傭兵を雇うことも視野に入れて頂きたいと思ったのです」
 どの国の軍にも属さず、戦の際に金で雇われて兵士として働く傭兵。熟練した戦闘技術を持っているので、国民から徴発するよりも効果的で損失が少ない。
 しかし、金で雇われている分忠誠心や戦闘における士気はそれほど高くはない。いざ危険な状況になれば離脱し、最悪敵方に寝返って機密情報を漏らされる恐れがある。兄はそれを危惧して、数年間傭兵を用いることはなかった。
「そうだね、もしもの時のためにどこかに優秀な傭兵集団がいないかどうか、情報だけでも集めておくことは必要だ」
「それならば、私が。かつての傭兵仲間に話を聞いてみます」
 数年前の国内の賊討戦の時は、彼は傭兵で我が軍に雇われて一兵士として戦っていた。傭兵同士の繋がりなら、正確な情報が得られそうだ。
「うん、お願い。助かるよ」
 微笑んでそう返すと、ヴァルテリは胸に手を当てて「はい」と嬉しそうに笑った。今までこうした進言が通ったことがなかったのかもしれない。
 ヴァルテリと別れて、ほとんど行ったことが無い大臣の部屋に向かった。階段を上り、広い廊下を抜けて突き当りの部屋。ドアが、少し空いている。
 ノックをして顔を覗かせると、ランプの灯でぼんやりと黒いシルエットが浮かび上がっている。周りを見ると、棚という棚、引き出しをひっくり返して書類や書物をそこら中に散らかしていた。
「アシュ、何をしているの?」
「彼らの不正な蓄えの在り処を暴いている。あとは国政に関する書類だ」
 帳簿のようなものをぱらぱらとめくり、何かを見つけたのか既にいくつかの書類が置かれた机の上に重ねて置く。
「手伝うよ」
 アシュレイから書類の束を受け取り、内容を確認しながら仕分けしていく。
「……不思議な王だな」
「え?」
 ぼそりとアシュレイが呟く。ランプの灯ではっきりと表情が窺えないが、少し笑っているように見える。
「こんな事は私や家臣がやればいいのだ。雑用をやる王など見たことが無い」
 今まで、ベルンハルト皇帝以外にも各国で仕えたことがあるのだろう。彼の名前が複数あるのは、その数だけ仕えた王が違うのかもしれない。
「ベルンハルト皇帝は、雑用なんてしなかった?」
「雑用どころか、彼はほとんど戦争にしか興味が無かった。当時は国なども無く、同盟関係も結んでいなかった。戦争で勝った者が負けた者を征服していく、領地を戦争で奪い取るだけだった。戦争の天才で人々を率いるカリスマ性は他に類を見ないほどであったが、それ以外のところは……」
 何かを思い出したように、溜息を吐く。ベルンハルト皇帝治める大帝国が誕生して間もなくフェリクスを追放するまで、二十年以上も共に戦場を駆け抜けた仲だ。色々と思うことも多いだろう。
「その点ニコは王たる風格があまりに無さ過ぎる」
「はは、それはごめん」
 一つ目の書類の束の分別が終わって、次の束に手を付ける。それにしても、目の前に散らばった大量の紙を片付けるのは、どう考えても一日掛かりになりそうで、気が重くなる。
「しかし、私はそれが気に入った」
 ふと気づくと、アシュレイがじっと自分を見詰めていた。ランプの灯が瞳の中で反射して、まるで小さな炎が揺らめいているように見える。その眼に魅入られるように目が離せなくなる。
「昨晩、この城に舞い降りて、お前に救われた。これは運命だったのだ」
 アシュレイの手が優しく僕の前髪を掻き上げた。
 ――運命。その言葉に、心臓が跳ねる。
「異眼の王よ。私が感じているこの運命をお前も感じるか?」
 彼を仰ぎ見ながら、昨晩の胸の高鳴りを思い出す。何かが始まるような、運命の歯車が回り始めたような、期待が高まって。
 でも今は、今の胸の高鳴りは、果たしてあの時のものと同じなのだろうか。答えは、出ない。
「……君を見た時から、僕も運命を感じてた。今はきっと何か素晴らしいことが始まるって、そう思ってる」
 闇の中で浮かんでいた金の双眸が細められる。前髪を掻き上げていた手が、ゆっくりと下りてきて頬に触れる。
「ニコデムス様、こちらですか」
 イェルクの声がしてドアが開く。アシュレイの手が離れる。
 心臓が早鐘を鳴らすように脈打っている。彼を見ると、いつもと変わらぬ無表情で次の書類に手を伸ばしていた。動揺しているのは僕だけのようで、何だか恥ずかしくなる。
「戴冠式の際の衣装選びをしたいのです。作っている時間はありませんので、既にあるもので合わせてみたいのですが」
 アシュレイの方を見上げるが、視線も向けず無言なのを受けて、「分かった」と持っていた書類の束を置いて、ドアに向かった。
「続きは明日手伝うよ」
 そう言い残して部屋を出た。
 隣を歩くイェルクが眉間に皺を寄せて顔を覗き込む。
「もしかして、熱がおありになるのでは? 頬の腫れだけではなく、全体的に赤くなっているように見受けられますが……」
「そ、それはないよ! 大丈夫」
 どうして赤面しているのか、自分でも分からない。アシュレイと対していると、調子が狂う。
 イェルクに連れられて自室に戻ると、沢山の洋服が運ばれてきていて、着替えを手伝うためにメイドが数名集まっていた。
「……イェルク、こんなに沢山の服を見なくても……」
 これから起こるであろう惨事を想い、つい言葉が漏れた。イェルクは真剣な表情で用意された服を一つ手に取り、僕にあてがう。
「簡易的とはいえ、戴冠式です。式の後はテラスに出て国民に御姿を披露することになりますし、王として風格のある格好をして頂かなければ」
 つい先程「王の風格が無い」と言われたばかりだったのだが。溜息を吐いて、差し出された服に袖を通した。
 何回も試着を繰り返し、ようやく服が決まった時には、夜が随分深まった頃だった。兄と近臣たちの処分に関する文書にサインし、戴冠式の段取りを聞いてから、ベッドに横になった。
様々なことが思い起こされ、またこれからのことを考えてなかなか寝付けず、長い間寝返りを打った後、ようやく眠りについた。

王になった夜も、そうして騒がしく過ぎていった。
しかしこの後、大きな事件が起こることを誰も予想してはいなかった。
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