異眼賢王と吸血鬼の涙

藤間留彦

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第2章 集結、それぞれの想い

第7話 アシュレイの過去

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 真っ黒なその怪物は、人を鉤爪で薙ぎ払うように切り裂いていた。炎に包まれた家々のすぐ近くで、赤い髪をなびかせて青年が何か叫んでいたが、やがてその場を立ち去った。
 物陰に隠れていた私に怪物は気付かず、大きな羽根で飛び去っていった。村の人を全員殺し尽くして、次の獲物を探しに行ったのだと思う。奴が行ったのは、私や母、少数の果樹園を営む村人が住んでいる集落の方だ。
「……母さんが……」
 血の気が引いた。母が、このままでは殺される――。
 道端の亡骸が握っていた銛を手にし、死に物狂いで走った。
 蝙蝠の姿をした化物は、人間の何倍もの大きさだった。まともに戦って敵うわけがない。それでも母を守らなければという思いだけで走った。
 着いた時には人々の叫び声が響き、家屋は倒壊していた。私の家があった場所も、薙ぎ倒されて跡形もなかった。
 化物が羽根で何かを吹き飛ばし、私の立っていたすぐ傍の木にそれが激突する。その「何か」が、よく知った姿形の女性――母であることに気付いた瞬間、私は黒い塊に向けて突進していた。
「ああああっ!」
 暗がりから突然出てきた私に夜目の利かない怪物は気付かず、切先がその身体に減り込んだ。さらに力を籠め突き立てると、奇声を発して暴れ、そして私の首から肩にかけて鋭い牙で噛み付いた。
「がぁ……ぐ、う、あぁッ!」
 意識を失いそうになりながら、私は最後の力を振り絞って銛を持ち手の部分まで一気に押し通した。

 しばらくして目が覚めた。周りを見るとそこは地獄ではなかった。何も無い板敷きの部屋。時折揺れる。外で大きな水音と何か布がはためく様な音がする。
 ――船じゃないのか、ここは。
 椅子に座っていた私は、立ち上がろうとして失敗した。足元を見ると獣でも縛り付けるのかと思うくらい太くて頑丈な足枷、手にも胴にも鎖が絡み付いている。暴れてもびくともしない。
 訳も分からないままどれほどの時間が流れたか、椅子に縛り付けられたまま動くことも敵わず、誰もこの部屋に訪れることもなかった。気が可笑しくなりそうになった頃、赤髪の青年がやってきた。
「君の島は駄目だ。血吸いコウモリじゃないから、全員無駄死にしてしまった」
 そう言って男は私の前に立つと突然二の腕を差し出した。
「何の、つもりだ……」
「やはりな、吸血衝動が無いらしい。あの魔物と同じだ」
 男は面白そうに笑むと、次は私の島で取れたパパイヤを見せる。喉が渇いている。腹も減っている。ごく、と生唾を飲んだ。
「君はどれくらい食事をしていないと思う? 一カ月だよ、あれから。そんなに経っているんだ。人が、そんなに長い間何も口にしないで生きていられると思うか?」
 ――昼も夜も分からなかった。というか、一度も睡魔が襲って来ないので、それほど長い時間が経っていたという感覚もない。
「……私に……何を……」
 悲愴を滲ませる私を彼は一笑すると、パパイヤを私の目の前で頬張るとドアの方に向かって歩いていく。
「お前は吸血鬼って化物だよ。僕と同じ、ね」
 そう言い残して部屋を出て行った。それきり誰も訪れなかった。

「船が港に着き、しばらく馬車で移動して、牢屋に入れられた。人身売買を担う男に売られ、数か月後にそこを訪れたベルンハルトと出会った。それから彼に導かれ共に戦う道を選ぶことになった」
 アシュレイは机に寄り掛かると小さく息を吐いた。
その惨状を知らない僕には、到底考えが及ばないだろう。母や島民を殺され、化物に変えられた彼の憎しみが、彼の人生を大きく歪めさせたに違いない。
「……ユリは一体、何を目的にそんなことを」
「どこかの豪族の下に付いて吸血鬼の戦闘員を作っていたようだ。飢餓状態の吸血鬼を戦場に放ち、敵兵士を蹂躙していた。用済みになれば、ユリに始末させていたようだ」
 群雄割拠の時代だ。人々は戦争に明け暮れ、互いに殺し合い、奪い合っていた。そこに目をつけ、人々を混沌に誘うために、戦争に吸血鬼を用いることを始めたのは、ユリなのだろう。植民地を拡げていた豪族達にとっては、一石二鳥の素晴らしい提案だったことだろう。
「これで一つ疑問が晴れただろう」
「え?」
「私が果物を食べる理由だ」
 「ああ」と彼の意図することが分かって笑みを浮かべた。
「吸血鬼化する魔物を呼び出すのに使った蝙蝠が、果物を食べる種だったから、君は吸血しないんだね」
「そうだ」
 だから彼だけが果物を主食とする変わった吸血鬼なのだ。それに、背中に生える羽根も蝙蝠の魔物による特殊能力なのだろう。
 不老不死の吸血鬼と蝙蝠の化物としての能力。それを有するのがアシュレイなのだ。
 悲劇の夜から、アシュレイはユリへの復讐心を抱いたのだろうか。そしてそれを果たして五百年余り、アシュレイはどうやって生きて来たのだろうか。知る者も知った土地もない世界で、ひとりきりで。
「アシュは……吸血鬼になってから、幸せだと思う時はあった?」
 どうしてそんなことを聞こうと思ったのだろう。彼の人生が哀れに思えたのだろうか。
 ――いや、違う。アシュレイの幸福が何なのか知りたいと思ったのだ。僕が、その幸福を与えられるように、と。
「……ずっと、探している」
 机に寄り掛かっていたアシュレイは、再び僕の正面に立った。彼の表情は穏やかで、金眼が宝石のようにきらきらと輝いている。彼の手が僕の頬を包み、指先が耳に触れ、耳から首筋に添ってぞわっと変な感じがした。
「だが、もう……」
 彼の顔が近付いてくる。けれどもう、目が離せない。逃れられない。
 こんこん、とノックの音がして心臓が飛び出そうなくらい驚いた。心臓がはち切れんばかりに鼓動しているのは、驚いたからだけではないのは、何となく分かっていたが。
 アシュレイが息を吐き、そのままドアに向かって行って無言で開ける。そこにはアリとロビンへの案内を終えたのだろうイェルクの姿があった。
「……え? 今何と」
 ぼそとアシュレイが何か呟いて、イェルクが訝しげな表情で入ってくる。
「何かあったのですか」
「いや、何も。ちょっと話をね」
 首を傾げるイェルクに笑顔を作ってみせる。平常心を装って書類に目を落とすけれど、心臓の音が邪魔をしてしばらく内容が頭に入って来なかった。
 ――アシュレイはさっき、何をしようとした?
 もうすぐ、そこに、彼の顔があった。もう少しで――唇が触れそうな距離まで、近く。
「どうしました?」
 机に突っ伏した僕にイェルクが心配そうに声を掛ける。あまりに恥ずかしくて、顔が真っ赤になって、それを隠そうと突っ伏したなんて言えない。
「少し、こうさせて」
 顔の火照りが覚めるまで、僕はしばらくそうしていた。イェルクに変な心配をかけてしまいながら。
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