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第3章 決戦
第13話 女剣士
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簡単に書類を片付けて執務室を出ようとした時、窓の外から何度も風を切るような音が聞こえてきた。窓から中庭を覗くと、一人大剣を振るうオルジシュカの姿が見えた。今日の訓練は午前中で終わり、午後は休息を取ることになっていたはずだが。
彼女は紅獅子団の団長であり、明日の前線の総指揮官だ。無理をさせるわけにはいかない。執務室を出て階段を駆け下り、中庭に出る。
花々が咲き乱れる庭園の噴水の前で、白のシャツにタイトなズボンを穿いた男装姿の彼女が立っていた。成人男性でも、女性ならば尚更扱えそうにない鉄塊に近い太く無骨な剣を易々と何度も振っている。軸が一切ぶれず、思い切り振り下ろしても重さに引き摺られることなく、ぴたりと止まった。
「王様じゃないか。何か用かい」
「オルジ、もう休んだ方がいいよ。明日に疲れが残るといけない」
何が可笑しかったのか声を上げて笑う。が、手を休めることもなく、素振りを続けている。
「戦の前は気が立ってね。身体が疼いて仕方ないのさ。こうやって熱を逃がさなきゃ、寝られもしない」
振り下ろされる度に重い音が響き、空気が振動して肌にびりびりと電気のようなものが伝わる。
何もしていなければ、普通の女性とそう変わらない。筋肉質なその肉体も、ドレスを着れば美しくなりそうであすらある。彼女の何が、そうまでして戦に駆り立てるのだろう。
「……いつから、傭兵を?」
「十の時には剣を握ってたなあ。あたしの部族は傭兵稼業でしか金を稼げない野蛮な一族でね。男児は皆それくらいには戦場に駆り出されるんだ」
アシュレイが言っていた五百年前滅ぼされた部族の末裔なのだろう。帝国が成立し間もなく平和が訪れたというのに、七つに分かれた国はそれぞれ小競り合いを始めたり海の向こうの国を占領、略奪するなど争いを繰り返した。その戦いの中に、オルジシュカの一族は生活の糧を求めたのだ。
「あたしの家には男児が生まれなくってねえ。そういう時は決まりがあって、長女を男にして傭兵にするんだ」
「男として育てられるってこと……?」
ぴた、とオルジシュカの動きが止まる。そしてにやっと笑ってこちらを振り向くと、唐突に服を捲り上げたので固まった。しかし、鍛え上げられ割れた腹筋とそこに刻まれた小さな傷の間に、痛々しい横に切り裂かれたような痕が見え、言葉を失った。
「あたしの腹からは子宮だの卵巣だの、女にあるものがまるっと失われてる。女は戦にどうしても不向きだからねえ。こうすれば筋肉も付いて、こんな大剣を易々と振り回せるようになるってわけさ」
剣を背中の鞘に納めると、ふうと息を吐いて服の裾で顔を拭う。胸が見えそうになって目を逸らすと、オルジシュカは噴き出すように笑った。
「この剣を目の前で振るわれて、あたしを女と意識する奴に会うのは久しいな」
「オルジは、そうしていれば綺麗だから」
心から出た素直な言葉だった。オルジシュカは目を丸くし、そしてにやにやしながら近付くと、突然僕の顎を掴んで上向かせた。吃驚して顔を引く。
「ガキのくせに口説いてるんじゃないよ。そういうお前さんもあたしよりよっぽど女みたいに品のある綺麗な面してるじゃないか。あんたが王様じゃなきゃあ、男も女も放っておかないだろうさ」
「そ、そんな、こと……」
言われたことも無い言葉に一気に顔が熱くなる。今日はノエといい、二人してなんてことを言うんだろう。
「ははっ、初心でいいねえ。そのうちあのアシュレイってのに手付けてもらうんだろ? あんたが相手だってんなら、そりゃもう一晩中可愛がってもらえるだろうさ」
豪快に笑いながら、肩をぽんと叩かれる。もう次々に飛び出す言葉に脳内の処理が追い付かない。言葉も出ず恥ずかしさに身体を震わせる。
「まあ、明日死ぬかもしれないんだ。せいぜいお互い悔いのないようにしな。あたしらみたいに失うものがないのは、戦の誉だけを胸に剣を振るえるってもんだがねえ」
「明日死ぬかもしれない」。あえて考えないようにしていた。アシュレイの自信に満ちた態度に安心していたが、彼の戦を見たわけではない。不老不死の吸血鬼だとしても、相手はアシュレイと同じく五百年生きる吸血鬼、それも三人。対抗できる力を彼は持っているのだろうか。
「それじゃあ、あたしは気が済んだから部屋に戻るよ。夕食の後にでも、戦の最終確認でもしようじゃないか」
「分かった。ゆっくり休んで」
去り際に「王様も、これ以上働くんじゃないよ」と釘をさされて、中庭を後にした。
自室に戻り、着ていたジャケットを脱いでベッドに横になる。深い溜息が漏れ、全身から力が抜けていく。
ずっと気を張っていたからだろうか。目を閉じると段々と眠りに落ちていくのが分かる。夢うつつの中、オルジシュカの言葉が浮かんだ。
――「悔いのないように」。死ぬなんてことは考えたくはない。しかし、ずっと心に引っ掛かったままの、何かを伝えなくてはいけないような、そんな気がする。
彼女は紅獅子団の団長であり、明日の前線の総指揮官だ。無理をさせるわけにはいかない。執務室を出て階段を駆け下り、中庭に出る。
花々が咲き乱れる庭園の噴水の前で、白のシャツにタイトなズボンを穿いた男装姿の彼女が立っていた。成人男性でも、女性ならば尚更扱えそうにない鉄塊に近い太く無骨な剣を易々と何度も振っている。軸が一切ぶれず、思い切り振り下ろしても重さに引き摺られることなく、ぴたりと止まった。
「王様じゃないか。何か用かい」
「オルジ、もう休んだ方がいいよ。明日に疲れが残るといけない」
何が可笑しかったのか声を上げて笑う。が、手を休めることもなく、素振りを続けている。
「戦の前は気が立ってね。身体が疼いて仕方ないのさ。こうやって熱を逃がさなきゃ、寝られもしない」
振り下ろされる度に重い音が響き、空気が振動して肌にびりびりと電気のようなものが伝わる。
何もしていなければ、普通の女性とそう変わらない。筋肉質なその肉体も、ドレスを着れば美しくなりそうであすらある。彼女の何が、そうまでして戦に駆り立てるのだろう。
「……いつから、傭兵を?」
「十の時には剣を握ってたなあ。あたしの部族は傭兵稼業でしか金を稼げない野蛮な一族でね。男児は皆それくらいには戦場に駆り出されるんだ」
アシュレイが言っていた五百年前滅ぼされた部族の末裔なのだろう。帝国が成立し間もなく平和が訪れたというのに、七つに分かれた国はそれぞれ小競り合いを始めたり海の向こうの国を占領、略奪するなど争いを繰り返した。その戦いの中に、オルジシュカの一族は生活の糧を求めたのだ。
「あたしの家には男児が生まれなくってねえ。そういう時は決まりがあって、長女を男にして傭兵にするんだ」
「男として育てられるってこと……?」
ぴた、とオルジシュカの動きが止まる。そしてにやっと笑ってこちらを振り向くと、唐突に服を捲り上げたので固まった。しかし、鍛え上げられ割れた腹筋とそこに刻まれた小さな傷の間に、痛々しい横に切り裂かれたような痕が見え、言葉を失った。
「あたしの腹からは子宮だの卵巣だの、女にあるものがまるっと失われてる。女は戦にどうしても不向きだからねえ。こうすれば筋肉も付いて、こんな大剣を易々と振り回せるようになるってわけさ」
剣を背中の鞘に納めると、ふうと息を吐いて服の裾で顔を拭う。胸が見えそうになって目を逸らすと、オルジシュカは噴き出すように笑った。
「この剣を目の前で振るわれて、あたしを女と意識する奴に会うのは久しいな」
「オルジは、そうしていれば綺麗だから」
心から出た素直な言葉だった。オルジシュカは目を丸くし、そしてにやにやしながら近付くと、突然僕の顎を掴んで上向かせた。吃驚して顔を引く。
「ガキのくせに口説いてるんじゃないよ。そういうお前さんもあたしよりよっぽど女みたいに品のある綺麗な面してるじゃないか。あんたが王様じゃなきゃあ、男も女も放っておかないだろうさ」
「そ、そんな、こと……」
言われたことも無い言葉に一気に顔が熱くなる。今日はノエといい、二人してなんてことを言うんだろう。
「ははっ、初心でいいねえ。そのうちあのアシュレイってのに手付けてもらうんだろ? あんたが相手だってんなら、そりゃもう一晩中可愛がってもらえるだろうさ」
豪快に笑いながら、肩をぽんと叩かれる。もう次々に飛び出す言葉に脳内の処理が追い付かない。言葉も出ず恥ずかしさに身体を震わせる。
「まあ、明日死ぬかもしれないんだ。せいぜいお互い悔いのないようにしな。あたしらみたいに失うものがないのは、戦の誉だけを胸に剣を振るえるってもんだがねえ」
「明日死ぬかもしれない」。あえて考えないようにしていた。アシュレイの自信に満ちた態度に安心していたが、彼の戦を見たわけではない。不老不死の吸血鬼だとしても、相手はアシュレイと同じく五百年生きる吸血鬼、それも三人。対抗できる力を彼は持っているのだろうか。
「それじゃあ、あたしは気が済んだから部屋に戻るよ。夕食の後にでも、戦の最終確認でもしようじゃないか」
「分かった。ゆっくり休んで」
去り際に「王様も、これ以上働くんじゃないよ」と釘をさされて、中庭を後にした。
自室に戻り、着ていたジャケットを脱いでベッドに横になる。深い溜息が漏れ、全身から力が抜けていく。
ずっと気を張っていたからだろうか。目を閉じると段々と眠りに落ちていくのが分かる。夢うつつの中、オルジシュカの言葉が浮かんだ。
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