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第3章 決戦
第16話 終結
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柔らかな風が頬を撫ぜる。手を握る温かい誰かの掌に安堵の息を漏らした。そして柔らかな何かが唇に触れる。浮上していく意識の端で、囁く声がして目を開けた。
見慣れた刺繍の施された天蓋。どうやら自室のベッドに横になっているらしい。
身体を起こそうとして左腕に鈍い痛みが走る。包帯が左肩から胸の辺りまで、頭にも巻かれているのに気付きはっとする。眠りから覚める直前、唇に感じた感触と囁き、そして風に揺らめくカーテンに、衝動的に身体が動いた。
ベッドから下りようとして力が入らず転げ落ちる。それでも身体を引き摺りながら、窓へ向かう。
「ニコデムス様……!」
大きな物音がしたからだろう、イェルクが部屋に飛び込んできて僕の身体を起こす。
「御無理なさらないで下さい、まだ安静に――」
「アシュが……!」
――「すまない」。確かに彼の声で、そう言った。それがどのような意味を持つのか、信じたくない想いもあったが、開け放たれた窓がそれを物語っていた。
「アシュレイは……城を出て行きました」
その言葉に一筋、頬を涙が伝い落ちた。胸を切り裂かれるような痛みに蹲ると、イェルクが慌てた様子で背中を擦る。その手の温かさに、涙が堰を切ったように溢れ床にぽたぽたと零れ落ちた。
「貴方を傷付けたことを、深く悔いているようでした。ニコデムス様なら、きっとお許しになると言ったのですが……自分を許せなかったのでしょう」
アシュレイを救おうとして、僕がもう一度違う深い傷を負わせてしまった。こんな傷よりも深く、治ることの無い傷を。
「……イェルク、どうしてこんなに苦しいの……」
身体に受けた傷のせいではない。胸にぽっかり空いた穴から吹き抜ける風で身体が冷たく凍るようで震えた。息も出来ないほどに胸の奥が痛い。
「この痛みは……何……?」
イェルクの顔を見上げると、悲痛に顔を歪ませ僕の身体を掻き抱いた。
「それは……恋です。恋の、痛みです」
――恋。
その言葉に、僕はイェルクにしがみ付く様にして嗚咽を漏らし泣きじゃくった。僕が、それに気付いた時には、もう失われてしまっていたから。
瞼の裏に浮かぶ、金色の瞳、漆黒の髪、褐色の肌、低く響く重厚な声。無表情で語る横顔、時折見せる悲しげな顔、初めて見せた微笑。そのすべてが、愛しい……そして恋しかった。
――「愛している」。
口付けと謝罪の後に続けられた言葉が、思い起こされる。その別離を告げる悲しい愛の囁きに、どうすることもできない痛みを感じながら、ただ涙が溢れた。
僕が一日眠っていた間に、すべての戦いは終わっていた。バルタジ軍は兵力の半分以上を失い撤退、追撃包囲した騎士団と紅獅子団の前に降伏した。ヴァルテリ、オルジシュカら紅獅子団の隊長は皆傷も浅く、無事だった。
「昨晩はそこかしこで宴が開かれて大変な騒ぎだったのですが、今は皆疲れて眠っているようです」
ベッドでイェルクに食事を食べさせてもらう。拳を握りながら、時間が経つほどに少しずつ力が入るようになったことを実感する。
「……そういえば、ノエは……どうしたんだろう」
この戦争で生きて帰ったら……という約束をヴァルテリとしていたことを思い出した。
「それが、ヴァルテリが納得しなかったことで何を思ったのか、『あんたに相応しい男になったら、この城に戻ってきてあんたの心を今度こそ貰う』などと言い出して、面白かったですよ」
その姿が思い浮かんで、つい笑ってしまう。きっとヴァルテリは顔を真っ赤にして慌てていたことだろう。
「皆、元気そうで良かった」
しかし、この戦争で両国とも多くの命が犠牲になった。その犠牲の上に、今日の平穏があることを忘れてはならない。
「……戻ってきます」
イェルクが気遣うわけでも、同情からでもない真剣な眼差しを真っ直ぐに向けてそう言った。
「アシュレイは必ず、貴方の元に戻ってきます」
彼の真摯な瞳を見詰めて、大切なことを思い出し、深く頷いた。
――信じる。そう、あの時強く抱いた思いが、すべてだ。
いつか彼が、アシュレイが戻って来れるように、彼が守ったこの国を守り続けよう。そして、胸を張って「お帰り」と言えるように。僕は、人々を導ける、人々を救える王になりたい。
遠くで揺れるカーテンを眺めながら、いつかの日を思い浮かべて、そう強く心に誓った。
見慣れた刺繍の施された天蓋。どうやら自室のベッドに横になっているらしい。
身体を起こそうとして左腕に鈍い痛みが走る。包帯が左肩から胸の辺りまで、頭にも巻かれているのに気付きはっとする。眠りから覚める直前、唇に感じた感触と囁き、そして風に揺らめくカーテンに、衝動的に身体が動いた。
ベッドから下りようとして力が入らず転げ落ちる。それでも身体を引き摺りながら、窓へ向かう。
「ニコデムス様……!」
大きな物音がしたからだろう、イェルクが部屋に飛び込んできて僕の身体を起こす。
「御無理なさらないで下さい、まだ安静に――」
「アシュが……!」
――「すまない」。確かに彼の声で、そう言った。それがどのような意味を持つのか、信じたくない想いもあったが、開け放たれた窓がそれを物語っていた。
「アシュレイは……城を出て行きました」
その言葉に一筋、頬を涙が伝い落ちた。胸を切り裂かれるような痛みに蹲ると、イェルクが慌てた様子で背中を擦る。その手の温かさに、涙が堰を切ったように溢れ床にぽたぽたと零れ落ちた。
「貴方を傷付けたことを、深く悔いているようでした。ニコデムス様なら、きっとお許しになると言ったのですが……自分を許せなかったのでしょう」
アシュレイを救おうとして、僕がもう一度違う深い傷を負わせてしまった。こんな傷よりも深く、治ることの無い傷を。
「……イェルク、どうしてこんなに苦しいの……」
身体に受けた傷のせいではない。胸にぽっかり空いた穴から吹き抜ける風で身体が冷たく凍るようで震えた。息も出来ないほどに胸の奥が痛い。
「この痛みは……何……?」
イェルクの顔を見上げると、悲痛に顔を歪ませ僕の身体を掻き抱いた。
「それは……恋です。恋の、痛みです」
――恋。
その言葉に、僕はイェルクにしがみ付く様にして嗚咽を漏らし泣きじゃくった。僕が、それに気付いた時には、もう失われてしまっていたから。
瞼の裏に浮かぶ、金色の瞳、漆黒の髪、褐色の肌、低く響く重厚な声。無表情で語る横顔、時折見せる悲しげな顔、初めて見せた微笑。そのすべてが、愛しい……そして恋しかった。
――「愛している」。
口付けと謝罪の後に続けられた言葉が、思い起こされる。その別離を告げる悲しい愛の囁きに、どうすることもできない痛みを感じながら、ただ涙が溢れた。
僕が一日眠っていた間に、すべての戦いは終わっていた。バルタジ軍は兵力の半分以上を失い撤退、追撃包囲した騎士団と紅獅子団の前に降伏した。ヴァルテリ、オルジシュカら紅獅子団の隊長は皆傷も浅く、無事だった。
「昨晩はそこかしこで宴が開かれて大変な騒ぎだったのですが、今は皆疲れて眠っているようです」
ベッドでイェルクに食事を食べさせてもらう。拳を握りながら、時間が経つほどに少しずつ力が入るようになったことを実感する。
「……そういえば、ノエは……どうしたんだろう」
この戦争で生きて帰ったら……という約束をヴァルテリとしていたことを思い出した。
「それが、ヴァルテリが納得しなかったことで何を思ったのか、『あんたに相応しい男になったら、この城に戻ってきてあんたの心を今度こそ貰う』などと言い出して、面白かったですよ」
その姿が思い浮かんで、つい笑ってしまう。きっとヴァルテリは顔を真っ赤にして慌てていたことだろう。
「皆、元気そうで良かった」
しかし、この戦争で両国とも多くの命が犠牲になった。その犠牲の上に、今日の平穏があることを忘れてはならない。
「……戻ってきます」
イェルクが気遣うわけでも、同情からでもない真剣な眼差しを真っ直ぐに向けてそう言った。
「アシュレイは必ず、貴方の元に戻ってきます」
彼の真摯な瞳を見詰めて、大切なことを思い出し、深く頷いた。
――信じる。そう、あの時強く抱いた思いが、すべてだ。
いつか彼が、アシュレイが戻って来れるように、彼が守ったこの国を守り続けよう。そして、胸を張って「お帰り」と言えるように。僕は、人々を導ける、人々を救える王になりたい。
遠くで揺れるカーテンを眺めながら、いつかの日を思い浮かべて、そう強く心に誓った。
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