煙の向こうに揺れる言葉

らぽしな

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エピソード11-4

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そう思って玄関のドアをあけると、いつもと何か違った。
一瞬、何かフワッといい香りがした気がした。

香りに気を取られたが、すぐに忘れた。そういう曖昧な物はより強い刺激に相殺されるからだ。

視覚からの刺激。

玄関に見慣れない、女性物のヒールが高めの靴があった。ダーク系の色味だが派手じゃないのに目を引く。

(新しい靴、買ったのかな?)
しかし、婚前はヒールの靴を履くことがあったが最近はかかとの方が極端に高い靴は夏場のサンダルくらいだし、最近はシューズ系に好みが移行しているようだ。子どもがいる女性は機能性を重んじるのは仕方がない。
だから、ふんわりとした香りよりもそのことに意識がいってしまった。

妻の好みじゃないがどこかでこの靴を見た気がする。答えはすぐにわかることになる。

若干の違和感を感じつつも、まさか自宅で変なことが起こるなんて思ってもいないので、玄関の内側にいるというだけで人は簡単に警戒がとけてしまいがだ。

「ただいま。」そう言っても、妻も妻で忙しい時間帯に返事が返ることは少ない。
でも、子供の頃からの習慣だからつい誰かがいるとわかっていると「ただいま」と言ってしまう。

ただ、今日は言わなかった。いろんなことに気を取られていたからというのもある。

不思議に思いつつも普段通りを装い、リビングまで行くと、そこにはなぜか森あかりが一人座っていて簡単に言えば呆気にとられたというのが大きい。

そしてなにより、妻の姿も、汐音の姿も見えない。

先に声を出したのは、森さんだった。
「佐々木チーフ、お疲れ様です。お邪魔しています。」

「あれ、ええっと、森さんがどうして?あれ、千草は…。」

あいさつも飛ばししどろもどろに、この呑み込めない状況をいち早く知りたくて、ひきつった顔で聞いた。

森さんは、髪をおろしくつろいでいた。
今の今までパソコンをいじっていたのだろう。足の上に、閉ざされたノートパソコンが置いてある。

なんだか、職場で見る顔とは違うその雰囲気に匡尋は呑まれそうだったが、ビビってはいけない。ここは僕の家であり、彼女は…この家の中で今はいるはずのない人だ。

ただ僕は、まだ状況がうまく呑み込めずに
「えっと、あぁその、こんばんは…。」
と、本当に間抜けな言葉をモゴモゴと口にした。

森さんはあの日の高橋のように、いたずらっぽく笑いながら、
「千草さん、お出かけしてますよ、汐音ちゃんは、寝てますけどね。だから、代わりに留守番してるんです。」
と、なんの不思議もないような言い回しでで答えた。

匡尋はもう何が何だかわからず、混乱の極みだったが荷物も置かずに、汐音の部屋に向かった。彼女が言うように、汐音は大好きなおもちゃを胸に夢の中だった。

音を立てないようにドアを閉め、リビングまで戻ると森はコートを纏い、帰り支度をしているところだった。

「明日、またお邪魔しますね。おやすみなさい。」
言われたとおりに、汐音が眠っていたのできっと妻もその通り外出しているのだろう。

そう思うと害意はないことがわかり、少し落ち着きを取り戻しつつあった。
「あ、いや、すみません。千草…妻がご迷惑をかけて、その、あの…。」

仕事着であるスーツのままなのだが、髪を下ろしているせいでどことなく色気を感じてしまう。

「そろそろ、お戻りになると思いますよ。では、また明日。おやすみなさい。あ、そうそう奥様はとても楽しい方ですね、これを機会にご友人になれたらと思います。」
と、会釈をして出て行った。

足音が聞こえなくなったタイミングで鍵を閉める。

(知っているよ、彼女が楽しい人だって。)
そう思ったが、ハッとした。最近、妻に対して僕はそう思ったことがあっただあろうか。

彼女の胸に煌めく黄緑色のアクセサリーとかすかな柑橘の香り、それが引き金で彼女の言葉が残りいつまでもそのもやもやを引きづらせる。

森さんが言うように、そんなに時間を置かずに千草が帰ってきた。
手には近くのスーパーの袋をぶら下げていた。

言いたいことがたくさんあったのに、僕はそんな言葉たちをなだめて、押し込んで「おかえり。」とだけ言った。

「お、遅くなりました。あ、あの、森さんは…。」
「ああ、森さんね、帰ったよ、また明日来るって。」

どんな表情で僕は妻にそう言っているのだろう。
訳の分からない怒りや悲しみは出ていないと良いが。

匡尋が[夫と父親を僕なりに精一杯やっている]という勘違い野郎だということに気づくのはもっと先で、今はおそらく妻に対して怒りを含めた不満を抱いていた。

この感情がもし明るみに出たら、妹は烈火の如くに僕を叱りつけただろうし、母は呆れてもっと妻の味方になるだろうが、その時の匡尋には想像すらできなかった。

「そうでしたか、一緒にお夕飯をと思って、少し足りないからお惣菜を…その…。」
そういっている間、僕たちの視線は一度も交差することがなかった。


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