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しおりを挟む数日後。仕事で王太子の傍を離れられないため、今度の夜会ではエスコートできない。そう詫びる手紙が夫から届いたことに、マリエンヌは心底安堵していた。
エスコートされるとなれば仲の良い夫婦を演じなければならない。それは妻という役割上の仕事ではあるが、未だに会ったこともない夫に寄り添うのは、想像しただけで苦痛だ。新婚なのに一人なのかと嘲笑される方がいい。
わかりました、と短い返事を書いた。業務連絡の域を出ないよう、マリエンヌは弁えているつもりだ。
夜会当日、マリエンヌは義両親と共に夜会の会場に踏み入れた。義両親に紹介されながら挨拶をしていく。とはいえ、義両親にもそれぞれ付き合いがあるため、ずっと付き添う訳にもいかない。
大丈夫と笑って義両親をあしらい、マリエンヌは壁の花となるべく一人で歩き出した。
「美しいご令嬢、一曲踊って下さいませんか?」
待ち構えていたかのように声を掛けて来た男に、マリエンヌはニッコリと微笑む。
「申し訳ありませんが、夫以外の男性とは踊らぬよう厳命されておりますの」
令嬢ではなく、夫人なのだと、しっかり主張した。少し離れたところでは男のお友達らしき紳士が数人集まって面白がるようにマリエンヌたちの様子を窺っている。賭けの対象にでもされているのだろう。
「その夫とやらに相手にされていないんだろう?」
揶揄されてもマリエンヌは笑顔を崩さない。内心、これも全部あの夫のせいか!と罵倒しつつ、目の前の不埒者の足を踏んづけてやろうかと悩む。ドレスの裾の影で密かに踵を上下させ、ヒールの頑丈さを確認した。
その不埒者の背後が急激に騒がしくなる。
ぬ、と出てきた手が不埒者の肩を叩いた。
「歓談中申し訳ないが、私に親友の妻と話す機会を頂けないかな?」
「で、殿下!」
「でんか?」
飛び退く男とは対照的に、マリエンヌは片眉を釣り上げる。王族なんて雲の上の存在なので御尊顔を把握していない。ただ、周りが騒ぐのだから、ホンモノなのだろう。そんなことをボンヤリと思った。
───親友の、妻?自分の耳を疑い、首を傾げた。
殿下の親友の妻。
つまり、夫の親友が殿下。
そういえば、エリスが何か言っていたような気がする。マリエンヌの夫は王太子の側近だとか。
「すまないね、夫人。こんな日にまで仕事で旦那さんをお借りして」
「勿体ないお言葉で御座います」
他に何と言えばいいのだろう。マリエンヌはこれ以上ない笑顔で権力者に向き合った。
「君に何かあったら私が奴に怒られるからね、護衛を一人貸してあげよう」
「いえいえ、とんでもございません!!」
何を言い出しやがった、とマリエンヌは慌てる。慌てたが、護衛として目の前に突き出された人物に、目を丸くし、一瞬でパッと顔を輝かせる。
「エリス!」
「あ、あら、マリーちゃん」
夜会なのに普段通りのドレス。それなのに会場の雰囲気から浮かないところがエリスの凄いところだ。
「おや、二人は知り合いかい?なら紹介も要らないね。ちょうど商談が終わったところだったんだ、付き添って貰うといいよ」
「ありがとうございます、殿下!」
マリエンヌは心の底から喜んで、王太子殿下に尊敬の眼差しを向ける。
「ちょ…!」
「あ、もしかしてエリスは都合悪いの?」
「わ、ワタシはいいけど、新婚妻がワタシみたいなのを連れ回してたら何て言われるか…!」
「大丈夫よ!既に色々言われてるし、言われるだけなら痛くも痒くもないわ!ただ、絡まれると対処に困るの!お願いよ、エリス!一緒にいて!」
「決まりだな」
「も、わかったわよぉ…」
夜会のパートナーとなら腕を組んでいても当たり前だし、相手は夫ではないが同性のようなものだ。開き直ってマリエンヌはエリスに寄り添い、隣を仰ぐ。
エリスは参ったと、視線から逃れるように天井を仰いだ。
「旦那の出番ないな───」
その仲の良さを前に、マリエンヌの夫の上司である王太子は小さく呟いた。
「エリス、エリス!聞いてよ!あの男、結局現れないのよ!王家主催なのに!」
「あぁ、うん、ソウネ。本人は来る気満々だったと思うわよ…」
エリスを連れて、マリエンヌは料理コーナーを漁る。見たことも無い豪勢な料理がズラリと並んでいる。その色華やかさは圧巻だ。エリスは苦笑するばかり。
「何でエリスにそんなことがわかるの」
「いや、アナタ。そのドレスの色を見れば、ねぇ…」
舐めるように上から下まで見られて、マリエンヌは口先を尖らせる。
「肝心の本人を見たことも無い私にわかるわけないでしょ」
嫁を自分の色に染めて、隣でドヤ顔をしたかったんでしょうけれど、何一つ伝わりません!とそっぽを向くマリエンヌの頭をエリスがヨシヨシと撫でる。
「そうね、マリーちゃんは悪くないわ。その男が全部悪い」
エリスの優しい声に、マリエンヌは惨めさを噛み締める。
マリエンヌだって人並みに結婚への憧れというものを抱いていた。旦那は優しければ別に優れた容姿でなくても構わない。食うに困らなければ身分にも拘らない。ただ寄り添って、笑い合って、たまに喧嘩して。そういう夫婦でありたかった。
顔も知らない。会ったこともない。喧嘩どころか挨拶もできない。そんな夫に希望など抱けない。
「ま、マリーちゃん!踊りましょ!」
「へ…?」
目尻に涙を溜めていたマリエンヌの手を引き、エリスは迷いなく会場を抜けて暗い中庭に出た。窓から光と音楽が零れ落ちてくる。
「エリス、私、男性パートは踊れないよ?」
「ワタシに任せなさい」
ウィンクが飛んできて唖然としている間にマリエンヌの体がステップに巻き込まれていく。慣れないヒールが芝生に飲み込まれても関係なく、力強い腕に迷いなく動かされていく。
密着した温もりから、いつもの香水が漂い、まるで楽しい日常の、エリスの店の中にいるかのような気分でマリエンヌは笑い出す。
「本当にエリスは素敵な人ね!」
「そ、そう…。お褒めに預かり光栄ヨ」
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