夫の顔も知らない新妻は、女装男性の胸筋に夢中です

ひづき

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「マリエンヌちゃん!探したわ!」

「申し訳ありません、お義母さま」

 楽しい時間を終えてエリスと共に会場に戻ると、義母が義父を引き連れて駆け寄ってきた。マリエンヌは魔法が解ける時間だと知り、肩を落とす。

「あら、」

 義母の目が向く先にはエリスがいる。

「あ、あの、」

 彼?彼女?どちらで呼ぶべき?───紹介しなくてはと慌てるマリエンヌをよそに、エリスは静かに頭を左右に振る。その意図を汲んだらしい義両親は納得したように頷いた。

 ───え、何で私抜きで分かり合っているの、この人達???





「というわけで、コレが私達の息子で、貴女の夫よ」

 義両親はマリエンヌに幻の夫、カリエス・レイニールを紹介した。

「いや、でも、え、コレ、エリスですよ???」

 美女の如き男性は、長い栗色の髪を無造作に鷲掴み、外す。現れたのはサラサラの金髪。

「俺は諜報員で、殿下の命令で女装して噂を集めていたんだ。決して俺の趣味じゃない!」

 ガッとカツラを掴んだままの手で両肩を掴まれ、前後に揺さぶられ、マリエンヌは混乱した頭で目の前の人物を凝視する。化粧もそのままだし、ドレス姿なので、見た目としてはエリスの髪色が変わっただけにしか見えない。

「後は2人で話し合いなさい」

 夫婦の寝室に押し込まれ、マリエンヌは柔らかい床に座り込む。エリスは迷わず浴室に向かい、ばしゃばしゃと激しい水音を立て、すぐに戻ってきた。化粧も落とし、一般男性的なスラックスにシャツという不思議な姿だ。エリスらしくない。男性に見える。いや、最初から男性なのだが。

「ほら、マリエンヌ。ドレスが皺になるよ」

 マリエンヌは差し伸べられた手を取らず、むしろ両手で男性の両腕を掴んだ。

「……………」

「…お、怒ってる?」

 男性が身動ぐけれど、離すまいと力を込める。

「本当に、本当にエリスが私の夫なの?」

「同僚の家で働いていた君が階段を踏み外したのを、“エリス”として抱きとめた時、あの時、俺は恋をしたんだ」

 あの時、素敵な胸筋に包まれたら物凄くいい匂いがしたのは覚えている。一体どこに恋をする要素があったのか、マリエンヌには理解できない。

「女装男は友人になれても夫は無理だと言われたらと思ったら怖くて、なかなか言い出せなかった。しかも王太子の命を狙う奴らの動きも怪しくて。書類は片付かないし、家には帰れないし、女装は手が抜けないし…。とにかく、今まで騙していて申し訳なかった」

 つらつらと夫?が言い訳を並べている。マリエンヌはそんな事よりも、目の前の男の瞳の方が気になった。エリスの時は茶色だったのに、今は赤い。一体どうやって瞳の色まで変えているのだろう。

「───やっぱり怒ってる?」

「え、ううん。考え事してた」

 エリスが夫、夫がエリス。夫の抱える重大な秘密。そして夫婦のすれ違いの発端は王太子だったということだ。

 あの野郎───

 伯爵令息を女装させるとか、どういう性癖なんだ…

 先程会ったばかりの権力者を思い浮かべ、マリエンヌは内心悪態をつく。

 夫のことを尋ねる度に屋敷の人間が微妙な表情で顔を逸らしていた理由にも納得した。来たばかりの新妻に、貴女の夫は女装して仕事してます、とは言い難い。しかも権力者や国家機密絡みだ。どこまで伝えていいのか判断に迷ったことだろう。

「マリエンヌ」

 名前を呼ぶのは、知っているようで知らない人だ。慣れない響きに、マリエンヌは苦笑する。

「いつもみたいに愛称で呼んでよ、エリス」

「逆に俺は本名で呼ばれたいよ、マリー」

 肩を竦めた夫の胸にマリエンヌは飛び込んだ。

「夫ってことは、夫ってことは!この胸筋もこの腕も私のモノってことよね!?」

「え、あ、ハイ」

 この良質な胸筋の持ち主が夫!合法的に私のもの!なんて素晴らしいの!などと、マリエンヌは感動した。声にならないどころか、思い切り声に出して感動した。

「やったぁあ!!!!!素敵!ステキ!」

「俺を気持ち悪いとか思わないのか?」

「へ?なんで?」

 弾力の心地よい胸筋に埋もれたまま、マリエンヌは反射的に聞き返していた。

 女装した男という者が相手だと、男も女も口を割りやすい、話しやすい。それだけのために女装して、化粧して、仕草を磨いて、自身を利用してきたのだと、エリス───カリエスは懺悔のように告白する。

 そういった異端と結婚することに抵抗はないのか、と。

「私は貴方がどんな醜男でも変態でも結婚したわ。それが貴族の政略結婚というものでしょう?」

「……………」

 実家の領に農業の最先端技術の指導員を派遣して貰う。それがこの結婚によって齎されるメリットだ。それを提示したのは他ならぬカリエスのはずなのに、彼は失望したかのように表情を曇らせる。

「でも、だからこそ結婚相手が他ならぬ貴方で良かったわ。こんなにも喜んでしがみついている私が貴方には見えないのかしら?」

 頬に口付けを贈る。それだけで彼は顔を紅潮させ、破顔した。

「ありがとう、マリー。君と結婚した以上、もう女装はやめるし、王太子の側近もやめようと思う。忙しすぎて帰って来れないのは懲り懲りだ」

「え、やめちゃうの?勿体ない!私、時々でいいからまたエリスに会いたいわ!!」

「─────え」





 というわけで。

「いらっしゃいませー。この度、エリス化粧品店の副オーナーに就任しました、マリエンヌ・レイニールですわ」

「まぁ、レイニール伯爵夫人自ら?」

「我がレイニール伯爵家が注力するブランド店ですもの、勿論ですわ!」

 今日のエリスはマリエンヌの選んだ赤いセクシードレス姿だ。

「マリーちゃんのお陰でワタシは経営に専念できそうなの。接客に立つのは減っちゃうかも。ごめんなさいねぇ」

 マリエンヌはエリスが好きだ。そして夫に放置されているお飾りとも言われたくない。だったら私が仕事を手伝えばいいんだわ!と、貴族らしからぬ発想に至った結果、化粧品店を手伝うことにした。さすがに情報収集は手伝えないかもしれないが、噂話くらいなら集められると熱弁し今に至る。

「ホント、働き者の奥様だわ」

 エリスは深い溜め息を吐き、苦笑した。



[完]
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