破れ鍋に綴じ蓋

ひづき

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 お嬢様と共に無事伯爵家へと戻り、王子に掴まれた腰の手形が消える頃には、結局王子妃は決まらず、一度候補者達は全員解散したという噂を聞いた。結局王子のお手つきになったのは、お嬢様───に扮したユリアスだけだったとも。

「実は殿下って不能なんでしょう?」

「それを殿下の名誉のためにご令嬢が庇ったとか───」

 既婚者夫人による茶会で囁かれる噂は何ともエグい。侍従として給仕に励みながらも、ユリアスは王子のことを思い出す。何せ、彼が不能どころか立派な凶器を持っていることは他ならぬユリアスが体験済みだ。

 箝口令を敷いても、所詮人の口にとは立てられない。閨から出てきたとされるお嬢様が破瓜の証を提出出来なかったことは公然の秘密のようになっており、日頃のお嬢様の貞淑ぶりと伯爵夫妻による過保護ぶりを考慮し、更に王子が他の誰とも夜を共にしなかったことで不能説が有力説として出回っている。同じ男としては少し哀れだが、別の誰かを抱いてみせれば良いだけのこと。所詮他人事だとユリアスは嘆息した。

 もう痣は残っていないのに、腰の、王子に掴まれたところが、熱を持っているような気がした。





 数年後。

 お嬢様が異国の貴族に嫁いだ。伯爵が以前から事業の関係で縁が欲しいと望んでいた国で、これを機にますます発展できると。

「実は縁を取り持ってくれた恩人が、是非お前を召し抱えたいと仰せでな」

「……………」

 ほくほく顔の伯爵を前に、ユリアスは項垂れる。もちろん拒否権はない。

 提示されたのはサリュエリアル大公の元だった。サリュエリアル大公といえば齢80歳の好色爺だ。男でも女でも、子供でも未亡人でも、突っ込めれば構わないという好色ぶりで有名な人物である。どこからどう見ても完全な身売りだ。同僚からは哀れみの視線を向けられた。中には涙を流して哀れんでくれる人までいた。

 ───もういっそ腹上死させてやろうか。

 半ば投げやりになりつつ荷物を纏めて大公家へと向かう。

 大公家は水源の豊かな場所にあり、大変風光明媚───つまりド田舎で。色狂いであるが故に王家から追放されつつ野放しにも出来ないと大公の地位を与えられた男が行き着くに相応しい場所だった。

 タチが悪いことに好色爺は領地運営の才能があったらしく、資金を増やし、蓄え、その金で愛人を買い漁っていたという。その割にケチで臆病だったが故に、避妊に関しては潔癖な程徹底していたのだとか。つまり、色狂いには珍しく、後継者がいない。好色爺さえ始末すれば自由になれる。それは何とも魅力的に思えた。

「初めまして。側近のツーレです」

 大公家でユリアスを迎えたのは大公ではなく、その側近とやらだった。歳上であろう彼は穏やかな笑みを浮かべる好青年に見える。

 この好青年も大公のお手つきなのだろうか。ユリアスは思わず相手の頭から足の爪先まで凝視する。体格は良いのでさすがに抱こうとは思わないかもしれないが、奉仕くらいはさせている可能性がある。

「ユリアス様?」

「───呼び捨てで結構です」

「畏まりました、ユリアス。現在大公殿下は城を留守にしております。気負わず、まずは慣れて下さい。通いの掃除婦や料理人、庭師を除き、常駐する使用人は私とユリアスだけになりますので、楽にどうぞ」

「………2人だけ、ですか?」

 城の規模を考えれば、それは異常に少ない。ツーレは苦笑した。

「その、色々と、ありまして」

「あ、ああ…」

 ───逃げたのか。

「その分、我々が行うのは領地運営などの書類関係のみです。雑務に関しては王宮から派遣された人間が通いで来て行っております」

「私に書類業務の経験はありませんが…」

 ユリアスは執事業務すらしたことのない、しがない従僕だ。暗殺の心得ならあるが体が成長しきった今となっては久しく行っていない。成人男性としては小柄だとはいえ、さすがに警戒される為である。

「ユリアスには僕の秘書のようなことをして頂くつもりです。さすがに最近僕一人では手が回らなくなりまして」

 大公の側近の秘書。大公がどのような人物かはわからないが伸び伸びやらせて貰おうと開き直り、ユリアスは大公家に足を踏み入れた。





 働き初めて、最初に違和感を覚えたのは、通いだという他の使用人たちだ。気配はするのだが、殆ど姿を見せない。声をかけようとしても逃げられる。

「彼らは大公殿下がいる時は保身の為に姿を現しません。それが癖になっているようで、僕ですら避けられてます。結果的に、ユリアスが来るまで話し相手が誰もいなかったんですよねぇ…」

 と、ツーレは遠い過去を見遣るように、儚い笑みを作った。

「それはなんというか…、そうですか…」

 ユリアスは返答に困り、言葉を飲み込む。

 自衛の為には暗殺で培った気配を消して動く能力が役立つかもしれない。どのみち、あまり嬉しくはないが。



 基本的に話し相手が互いしかいないという時間が長くなるにつれ、ツーレは次第にユリアスとの距離を詰めてくるようになった。うっかりすると唇が触れ合いそうなほど近くに来るのだ。


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