黒の慟哭

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【5】守られる側

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 薔薇の香りは、死の香りだ。



 王族として血を繋がなければならない以上、複数の子供を持つのは必須だが、代々ベルツェ王家では、複数の子供が生まれても長生きできるのは、たった一人だけ。薔薇の香りから逃れられた、たった一人だけなのだ。

 必然的に、王位を継ぐのは、その一人。現国王であるルグナスの兄弟姉妹は背中に黒い薔薇の痣が花開いたことで短い生涯を終えている。

 これは、古くから王家を蝕む呪いだ。恨みと憎しみが元になった強力な呪い。代を重ねても呪いは留まるところを知らない。

 呪いを受けた者は、薔薇の香りという形で、自分以外に呪われている人物を見抜くことができるらしい。それは、呪われていないルグナスには全くわからないものだ。呪いによって死ぬ事で初めて部外者にも認識できるようになる、忌々しい呪いの匂い。カイエルが生まれた時も、シューゼルとカイエルのどちらが呪われたのか、残念ながら、やはりルグナスにはわからなかった。

 弟に訊ねたところ、その問いかけに彼は泣きそうな顔をし、絞り出すように答えてくれた。次の王はシューゼルだ、と。

 それを耳にした王妃であるセイシェルは、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、喜びを表情に滲ませた。それは、シューゼルの生母としては仕方のないことだろう。



 シューゼルを出産した直後、呪いの存在を偶然知ってしまったセイシェルは、次の子を生んでも必ずどちらかが短命で終わってしまうなど耐えられないと、夫を激しく拒んだ。

 呪いからは逃れられない。子が1人しかいなければ、呪いはその子を蝕み、直系の血は簡単に途絶えてしまう。

 セイシェルに対する個人的な申し訳なさを横に置き、王家として血を途絶えさせるわけにはいかないと急遽側妃として迎えたのがグレナーテだ。そのグレナーテの子が、薔薇の香りを、死の呪いを引き継いだ。その分、セイシェルの子であるシューゼルは呪いから逃れ、長生きできる。

 一瞬でも喜んでしまった自身を恥じ入り、自責の念に潰され、セイシェルは部屋に引きこもるようになった。必要最低限の事務的な公務だけこなし、表向き病弱な王妃の分の社交は全てグレナーテが担っている。

 もう何年もルグナスとセイシェルは夫婦としては顔を合わせていない。顔を合わせる時は、互いに王と王妃としての役割を成すだけ。





 入念に人払いをした父の執務室で父・ルグナスが語った内容───呪いと両親の不仲の理由を聞き、シューゼルは混乱する頭を抱えた。

「カイエルは、あとどのくらい生きられるのですか?」

「わからない。成人できれば奇跡だ」

「叔父上はお幾つだったのです?」

「25歳だ。まさしく奇跡だった」

 叔父なのだから父より年下なのは知っていたが、実際に数字で聞くと違和感がある。父は若々しすぎて童顔だから正直20代前半にしか見えない。実際は30歳である。対する叔父は不摂生のせいなのか、呪いのせいなのか、40代にしか見えなかった。それが25歳とは。

 叔父の、あの有り様がカイエルの未来だと考えると、シューゼルは目眩を覚える。色んな意味で阻止したい。周囲から厭われ孤立したまま死ぬのも阻止したいし、異様に老け込むのも阻止したい、できるなら呪いそのものを排除したい。

 執務室の応接ソファで対面に座る父は、深く項垂れていて表情はわからない。

 父も呪いをどうにかしたいと願ったはずだ。しかし、叔父は若くして亡くなった。それが結果であり、答えだ。父は、呪いに勝てなかった。ただ、シューゼルがゼロから模索するより、父の取り組みを引き継いだ方が効率は良いだろう。

「解呪の方法は、それに繋がることは、何かわかっているのですか?」

 探る言葉に焦りを滲ませる息子に、父は苦笑した。

「───カイエルが動き出している以上、私たちにできることは何もない。あの子は何も知らない、知らないからこそ強い」

 動き出していると聞いて思い出すのは、カイエルが足繁く通っている伯爵家のことだ。

 黒い髪を持つ一族、リデュール伯爵家。

 ここ1年間程、カイエルはユイア・リデュールという少女の話ばかりする。頬を上気させて、目を輝かせ、見ている側の心が痛くなるような純粋すぎる初恋をしている。手が触れただけで赤くなって眠れないかもしれないと泣きそうな表情で喜ぶ姿は、シューゼルの打算に溢れた心の汚さを容赦なくガリガリ削る。まさに眩しすぎる初恋だ。どうして“あの女”から、カイエルのような穢れを知らない天使が生まれたのか、シューゼルは疑問で仕方ない。

 その初恋の相手が、弟を早世させるのだとしたら───

 目の前が赤く染まる錯覚に、シューゼルは額を押さえる。燃えるように胃が焼き付く。そんなシューゼルの頭を、父の手がそっと撫でる。

「彼らを憎んではいけない、恨んでもいけない。王家が呪われたのは、自業自得だった。むしろ、当時の国民が皆殺しにされなかっただけで有り難いんだ」

 民あっての、国であり、王家だ。国民が皆殺しにされるということは、国の滅亡を意味する。この国は滅亡の危機に瀕したことがあり、それを脱する代償として王家は呪われた、ということだろうか。

 シューゼルは深呼吸を繰り返し、何とか怒りを抑え込む。冷静さを取り戻した頭で、そんな一大事があったのなら、必ず文献が残っているはずだと思い至る。王家の呪いなど初耳であり、完全に秘匿された情報のようだから、あってもその文献は特殊な場所にあるに違いない。

 シューゼルは父の顔を覗き見た。それだけで、なんとなく、父は呪いの詳細をこれ以上話す気がないのだと確信してしまった。恐らく、文献の場所も答えないだろう。

 なら、別の角度から───

「ところで父上。カイエルの初恋は応援すべきですか?邪魔するべきですか?」

「………甘酸っぱい気分になって居た堪れないのはわかるけど、そっとしておきなさい」








 カイエルは部屋に引きこもり、食事も拒否して、ひたすら目の前の文章を読んでいた。

 それは、大好きな叔父がカイエルに渡すよう側近に渡していた本。単なる本ではなく、ダイヤルロック式の小さな鍵がついている。当然開錠しないと中は読めない。生前、叔父は2人だけの秘密だといって、5ケタの数字をカイエルに伝えていた。そのため、カイエルは躊躇うことなく開錠して、中を開いたのだ。

 見覚えのない筆跡に戸惑ったのは最初だけ。古いものらしく、頁の端がところどころ破れていたり欠けていたりするので、慎重に捲る。



 中身は、哀れな女性の物語だった。

 利用され、虐げられ、裏切られた女性の、怒りと苦しみ、そして後悔。

 そして、最後にはひたすら「ごめんなさい」と謝罪を繰り返している。



 カイエルは叔父の死因を悟った。

 そして、何故叔父が自分にこれを遺したのかも漠然と察した。



 鍵をかけ直し、引き出しにしまう。本が見えなくなって、ようやくカイエルは溜まっていた呼気を吐き出した。深く、深く。

 こんな時でも、脳裏に浮かぶのはたった1人。

 孤独を持て余して我儘し放題だったカイエルの目を覚まさせた、たった1人の女の子。

 怒ったり、冷たい表情を取り繕ってみたり、気が緩むと優しく微笑んでいたり。本人は表に出す感情をコントロールできているつもりのようだが、全く隠しきれていないところが不器用で可愛い。

 可愛い、可愛い、黒髪の女の子。

 何も知らなければ、ただ彼女を好きでいられたのに。彼女と並んで笑い合う未来を夢見ていられたのに───

 ふと、足元に2枚の紙が落ちていることに気がついた。本に挟まっていたのかもしれない。1枚は、どこか見覚えのある少女の肖像画。もう1枚は、叔父からの手紙だった。

 肖像画の少女は、叔父の初恋の相手だという。この恋は墓場まで持っていくと決めて迷わなかったらしい。求婚すれば、王家からの申し出なのだから断られることはなかっただろう。だが、若くして彼女を未亡人にしてしまうのが忍びなかった、と。

『今になって思うのだ。彼女にとっての幸せというものは、私が決めていいものではなかったのだと』

『彼女は、ずっと片想いをしていた男と政略結婚をして、子供を産み、経済的に何一つ不自由しない贅沢な生活を送っているが、少しも幸せそうに見えない』

 彼女の幸せを思えばこそ、身を引いたのに、それは過ちだったと、叔父は嘆いている。



『カイエル、お前は、お前にとっての幸せを求めていい。誰かの幸せを願うなら、まず自分が幸せになりなさい』



 何もかもを知った上で、それでも初恋を手放さなくていいのだろうか。

 カイエルは戸惑い、揺れる。

 自分はあと何年生きられるのだろう。

 この呪いは、いつ終わるのだろう。





 この日から、王弟・ガルグス大公の死を悼み、王国は喪に服した。





「シューゼル殿下の婚約者にソフィア嬢が内定した。喪が明けてから公式発表、すぐに王妃教育が始まる」

 王妃教育が始まれば否が応でもグレナーテ妃に知られることとなり、これ以上シューゼル殿下の婚約者を隠す意味はなくなる。

 そんな父の説明を、ユイアは半ば上の空で聞いていた。どうにもカイエルから漂っていた薔薇の香りが頭から離れない。

 父の話は続く。ユイアの頭も心も置き去りにして。

「お前はソフィア嬢専属の侍女になる予定だったが、この婚約により白紙となった」

「───え?」

 ゆるゆると視線を上げる。父であるリデュール伯爵の瞳は揺れ動くことなく、真っ直ぐユイアを見つめている。

「ユイアが王都内に留まれば、ソフィア嬢もユイアのことを気にかけるだろう。お前はしばらく領地で静養していなさい」

 ソレイユ公爵家に仕えるのがリデュール伯爵家の在り方だ。

 まさか、それを取り上げられる日が来るとは、ユイアは夢にも思っていなかった。

 掃除、洗濯、裁縫、料理、配膳…、今までユイアはソフィア嬢の傍で働くために先輩たちから学んできた。どんなに難しいことでも、コツを掴むまで繰り返し繰り返し練習してきた。ソフィア嬢に仕える以外の未来があるなんて、欠片も思っていなかったのだ。

「城の下働きとしてでも、ソフィア様の近くにいることはできませんか?」

「聞き分けなさい」

 当主の言葉は重い。

 本当はわかっている。リデュールはその髪の色故にソレイユ公爵家以外では受け入れられないのだと。いくら技術を持っていても、リデュールはソレイユ公爵家の保護下でしか生きていけないのだ。
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