黒の慟哭

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【8】親と子

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 グレナーテ妃は美しい。溢れる豊かさを体現したような人だ。輝く髪、神の作った創造物であるかのような肢体、透き通るような肌。衣服如きでは妖艶さを隠しきれない。

 王妃セイシェルは、そんなグレナーテ妃が嫌いではない。



 ただ、可哀想な人だと思う。



 もともと、グレナーテは現国王ルグナスと年齢の釣り合う唯一の公爵令嬢だった。周囲は当然彼女がルグナスの正妻になり、ゆくゆくは王妃になると思っていた。

 しかし、ルグナスにとってのグレナーテは『弟が片想いしている相手』である。いつ呪いで死ぬかわからない不幸な弟が、恋焦がれる女性。そんな相手を目の前で奪うような真似をしたくないと、ルグナスはグレナーテを娶ることを拒否した。

 本人が拒否したことが先駆けとなり、状況は一変する。グレナーテの感情的な側面が社交界でも際立っていたため、王妃としての資質を疑問視されるようになった。

 結果、ルグナスの婚約者は伯爵家から選ぶことになったのだ。そして選ばれたのがセイシェルである。セイシェルの実家は筆頭伯爵家であり、セイシェルの年齢もルグナスと変わらない。ちょうどいいとばかりに宛てがわれた。ルグナスもそれを拒絶しなかった。

 信じて疑わなかった未来を公然と否定され、グレナーテは絶望したようだった。媚びを売るために周囲を固めていた人達が皆蜘蛛の子を散らすように離れていった屈辱に唇を噛み締めていた。恐らく家族からも心無い言葉を浴びせられたに違いない。社交界で見かける度、彼女から他者への怯えが見てとれた。その怯えを隠し、心を守るために、当時のグレナーテの振る舞いはますます横暴さを増していった。

 しかし、グレナーテはセイシェルに危害を加えるようなことだけはしなかった。

『どうして、貴女が…!どうして貴女みたいな髪の手入れもロクにしてない女が選ばれるのよ!』

 とグレナーテが叫んだ翌日には高級ヘアケアセットが贈られて来た。しかも便箋5枚を埋め尽くす論文のような手紙付きで。呪いの手紙か恨み言かと、恐る恐る読んでみれば内容は女にとって髪が如何に大切かという理論に始まり、具体的なケア方法とそのコツが書かれていたのである。これにはセイシェルも唖然とした。

 それ以降、何かにつけてグレナーテはセイシェルにダメだしをし、翌日には高級品と分厚い手紙が届くようになった。セイシェルがお礼の手紙と贈答品をグレナーテに贈れば、すぐさま贈答品のセンスがないと説教の手紙が返ってくる。

 ───訳が分からない。

 当時のセイシェルは大変困惑した。

 グレナーテは確かに直情的だが、癇癪を起こしても誰かを傷つけたりはしない。実は世話焼きで、底抜けのお人好しなのだ。罵っても、それは過度の心配や不安からくるもので、むしろ度を超えて素直すぎるのである。

 そんな彼女が変わってしまったのは、他人を傷つけるようになったのは、結婚してからだろう。セイシェルが王妃としての責務を拒否し、第二子以降を産まないと宣言した。妾か側妃をとるだろうとは思っていたが、それがグレナーテになったのは最大の誤算だった。

 一度受け入れることを拒否した女性と、その家族に頭を下げてまで、わざわざ側妃にする。その意図も、考え方も、無神経さも、セイシェルには理解できない。



 誰かに愛されたい。

 誰かに必要とされたい。

 誰かに認められたい。

 グレナーテ妃の行動は、いつもそういった欲求を如実に現していた。どうして誰もそれに気づかないのか、セイシェルには疑問だったし、グレナーテ妃の欲求を満たしてくれるような人物は現れなかった。

 ルグナスは弟に遠慮して彼女を義務以上に愛そうとはしない。表面上は甘い言葉を囁いても、妹のようにしか思っていない。

 ルグナスの弟であるガルグスは、兄の妻を表立って愛することはできない。ただ、義弟として、グレナーテを大切にする。

 愛に飢えている彼女が、誰かを愛するなんてできるはずもない。配るべき愛を持たないのだから。グレナーテ妃が実の息子であるカイエルを愛せなかったのは、グレナーテ妃自身が愛に飢えていたからであり、自分の期待に応えてくれない夫に子供がよく似ていたからだろう。



 そして、その子供は明確に、グレナーテ妃に背を向けた。

 無条件で自分を必要としてくれるはずの子供が離れていったことが、耐えがたかったのだろう。グレナーテ妃は寝込んでしまった。



「私を嘲笑いに来たの?」

 白い寝台、淡いブルーの寝具。そこに横たわるグレナーテ妃は、セイシェルの顔を見るなり自嘲した。

「お見舞いに来たのよ」

 セイシェルが責務を拒否しなければ不幸にならなかった───かもしれない女性。セイシェルが彼女を気にかけるのは贖罪であり、自己満足でしかない。

「お見舞い?」

 眼差しを険しくし、口端を吊り上げて、小馬鹿にするようにグレナーテ妃は笑みを浮かべた。彼女はそうやって虚勢を張ることで心を守っているだけ。そしてそれが癖になっている。悪意など欠片もないと、セイシェルはわかっていた。だから、セイシェルは照れたように、拗ねたように笑い返す。

「私の贈答品選びのセンスの無さは貴女が一番良くわかってるでしょう」

「は?」

 グレナーテ妃から笑みが消えて、険しさだけが残る。

「もうすぐ隣国王家に新しい命が誕生するわ。私が誕生祝いを選んだらきっとあまりのセンスの無さに我が国の権威が失墜する。私には貴女が必要なの、貴女がいないと困るの」

 こんな情けない弱音を偉そうに、しかも本人に言うなんて、もちろん初めてのことだ。

 グレナーテ妃は、目を大きく見開いて、セイシェルを凝視している。



 せめて、子供たちが信じる道を自由に進めるように。

 呪いで亡くなった義弟の未練が和らぐように。

 セイシェルは、グレナーテ妃の心を守ると決めた。








 まだ、痣はない。

 鏡越しに己の背中を確認してから、カイエルはシャツに袖を透す。自室に併設されている簡易的なリビングに行くと、兄のシューゼルがソファでお茶を飲んでいた。



「お待たせして申し訳ございません、シューゼル殿下」

 兄上とはもう呼ばない。そう決めて揺らがないカイエルに、シューゼルは不満を隠さず、憮然とする。

「まだ臣籍降下していないんだ、兄上でいいじゃないか」

「あまり僕を甘やかさないで下さい、殿下」

 目を細めて微笑むカイエルは、あくまで紳士的な表情を繕っているのに、何か裏がありそうな胡散臭さがある。

 昔は天使だったのに、とボヤいても時間は戻らない。カイエルを傀儡の王にしようと画策する貴族たちが暗躍する中、実母であるグレナーテ妃の守りは期待できず、父は王として中立を貫き、義母である王妃は静観していた。異母兄であるシューゼルは公務と自身の地盤固めで動けなかった。

 結果、カイエルは純粋なままではいられなかった。

「臣籍降下の件で、父上が頭を抱えてるぞ。というか、毎晩泣いてるんだが」

「それは嬉し泣きでしょう」

「違うと思う」

 父上───ルグナス陛下が頭を抱えているのは、カイエルを臣籍降下させる際に与える爵位だ。そもそも、直系の王族で王位を継がないということは呪いを背負っているということ。そういった人達が成人するまで長生きするのは珍しいことだ。近年だとガルグス大公くらいしか該当者がいない。つまり、前例がない。

 ルグナスが王に即位して最初の仕事が、王弟という立場を得たガルグスに大公の爵位を与えることだった。他国では異なるが、我が国における“大公”は、王に継ぐ高位貴族であり、王妃と並ぶ、王の臣下筆頭であることを示す。なので、現時点でカイエルに大公の地位を与えてしまうと、第一王子であるシューゼルよりも、シューゼルが承る予定の王太子よりも地位が上になる。さすがにそれは、権力と年齢の釣り合いがとれない。せっかく臣籍降下したのに、返って利用されたり足元を掬われる恐れがある。

 それを踏まえてカイエルも今すぐではなく『将来的に』と要求したのだろう。

 シューゼルが王に即位するまでカイエルは“大公”になれない。現王ルグナスは健在で、王子2人が成人してもしばらくは在位が続くだろう。では、その間をどうするか。臣籍降下を何らかの形で実行しなければ、本人が王位を拒否していても可能性はあると馬鹿なことを考えて動き出す貴族もいるだろう。呪いを背負うカイエルが成人まで生きられるかはさておき、カイエルの成人後からシューゼル即位までの中継ぎとなる爵位が必要だ。

 この国の貴族は12歳前後で社交界デビューをし、16歳で成人したとみなされる。そのため、どこの家も16歳の誕生日祝いは各家で夜会を開き、普段交流のない貴族も含めて幅広く招待するのが一般的だ。12歳から16歳になるまでの期間は実践的に社交を学ぶ期間であり、基本的に家族と共に夜会や舞踏会に出席するのが暗黙の了解である。

 11歳のカイエルが成人するまで時間はある。爵位の件も、その数年で考えればいいだろうとカイエルは思っていたが、父王はシューゼルの婚約お披露目の舞踏会でカイエルの爵位に関しても発表するつもりだ。もうこの決定は揺らがないのだと、早々に示し、反感を抱く者たちを牽制したいのだろう。

「本来ならグレナーテ妃の実家であるピレネ公爵家と養子縁組をすれば良いのでしょうが、僕は公爵家とは疎遠で、正式な場で挨拶したことがある程度。それに…、あの家に権力が傾くのは回避した方が良いでしょう」

 グレナーテ妃を排出した家として、公爵家の中でもピレネ公爵家は発言力がある。幸いなのは、グレナーテ妃本人と実家の仲があまり良くないことか。

 王妃になれず側妃に収まったグレナーテ妃をピレネ公爵(グレナーテ妃の父でカイエルの祖父)は見下しているという。グレナーテ妃は感情的になりやすい癇癪持ちだが、それは彼女の手の届く範囲のみ。権力で誰かを特別贔屓するということをしないし、実家を後押しするよう陛下に働きかけもしないため、役に立たないと公爵はよく悪態を吐いている。しかも、グレナーテ妃に会いに来て追い払われた直後、王宮内でも悪態を吐いているのだから全部筒抜けだ。

 あの親にして、あの娘あり。感情的な面がそっくりな父と娘である。

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