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【11】ユイアの自覚
しおりを挟む舞踏会当日まであと数日という、ある日。
ソレイユ公爵家で仕事を終えた母が、着替えもせず、真っ直ぐユイアの部屋を訪れた。臙脂色の詰襟ワンピースに引っ詰め髪、鋭さを感じさせる長方形レンズの眼鏡という家庭教師姿を初めてみたユイアは呆然と母を見つめる。
ちなみにユイアは正しい姿勢維持の訓練中で、頭に数冊の本を載せてぷるぷるしていた。
「お、お帰りなさいませ、お母様」
「ユイアに、公爵様から伝言を預かってきました」
レンズ越しの瞳が不敵に輝いており、ニヤリと歪んだ口元から、取り敢えず母の機嫌がいい事だけは察せられた。それがユイアにとって吉報となるかは謎だが。
公爵からの伝言をこのまま聞くのは不敬だろうと、頭の上に載せた本に手を伸ばす。しかし、下ろすのを待たずに、母がずいっと詰め寄ってきた。
「ロベルト様と婚姻しないか?とのことです」
「………こんいん」
───って、何だっけ?
唐突過ぎて、単語の意味がわからない。呆けた瞬間に頭の上の本は無惨に落ちて床に散らばる。そんなことはどうでもいい。些細なことだ。
───ろべるとさまって誰だっけ?
「公爵家から打診された婚姻を下位貴族が断ることなどできません。わかりますね?」
貴族の常識だ。わからないはずがない。
いつかは嫁がされるとわかっていたが、あまりにも突然で驚きが収まらない。縁談が来ても、どうせリデュール一族内でしかないだろうと思っていたので、予想外も度を超えている。黒髪の一族を嫁に迎え入れる奇特な貴族など、身内か、百歩譲ってもソレイユ公爵家の関係者しかいない。だからと言って百歩譲ったところが来なくても良かったのに!と叫びたい。
「とはいえ、公爵様は貴女を自分の娘のように思っているのでしょう。『正式な打診ではないので断っても構わない』『ユイアに選んで欲しい』と仰って、私も旦那様も『決してユイアに無理強いしないように』と厳命されてしまったわ」
呆然とする娘をよそに、母は頬に手を当ててため息を吐き、勝手に話を進めていく。
「今度の舞踏会でロベルト様を見定めて欲しいそうよ。───ロベルト様が現在留学中なのは知っているわね?学校を卒業後、そのまま留学先のグルツィア帝国に我が国の外交窓口として在住することが決まったの」
つまり、ロベルト様という人物に嫁ぐということは、その人物と共に異国へ移住するということだ。確か西の果てにあるという、遠い遠い異国の地。
「グルツィア帝国は多様性を認め、あらゆる国との交流を積極的に進めている。移民も多種多様だというわ。───貴女の黒髪も、きっと紛れることができる。ちょっと珍しいな、くらいで、嫌悪まではされないはずよ」
「─────」
母の言葉に、思わず自身の黒髪に触れる。この縁談が、親心なのだと、わかってしまった。それでも断るのかと、言外に脅されているようにも思えるが、さすがにそれは考えすぎだろう。
帝国に行けば、自由になれる。領地にいた頃のように、髪を隠さずに街歩きをして、買い物をして、様々な容姿の方と挨拶をして。
───もし、結婚してグルツィア帝国に行ったら。夫は外交官として必要があればこの国に足を運ぶだろう。しかし、きっとユイアは妻として夫の留守を守るために帝国に残らざるを得なくなる可能性が高い。
きっと、二度と会えない─────
呆然としたまま、ぽろり、と大粒の涙を零したユイアに、母は大きく目を見開く。ユイア自身、一体誰のことを思い浮かべて涙したのか、わからなかった。否、認識したくなかった。
「ゆ、ユイア?どうしたの?泣くほど嬉しい───という感じではないわね?」
断る理由はないはずなのに、これ以上ない良縁なのに、どうして喜べないのだろう。
「お時間を、ください」
忘れなくてはいけない。気づいてはいけない。今まで通り、心に蓋をして、何もないかのように過ごさなくてはいけない。
「舞踏会後、ロベルト様が留学先へ戻ってしまうまでに心を決めなさい」
それは『婚姻を受け入れる覚悟を決めろ』ということ。いくら公爵が『選んで欲しい』と言っても、社交辞令という可能性が高く、差し出された優しさを鵜呑みにはできない。それが社交界というものであり、身分が上の方が口にした時点で提案ではなく決定なのだ。
「───はい、お母様」
最初からYES以外の言葉など残されていないのである。
脳裏に浮かぶのは、ふわふわとしたミルクティー色の髪の男の子。彼を殴った時の感触はもう残っていない。彼の声音も、もう鮮明には思い出せない。
遠い、遠い日の出来事だ。
───私、いつのまにか彼に恋をしていたんだ。
考えるだけ無駄だ、過去は変えられない。気づくのがあまりに遅過ぎた。
当時のユイアは令嬢として、決められた通りの言葉しか彼に与えられなかった。何度まっさらな状態から人生をやり直しても、自分がユイアという人間である限り、同じようにしか生きられないだろう。
一人きりになった自室で、散らばった本も片付けず、呆然と視線を移す。
舞踏会本番で着る予定のドレスが飾られていた。白いドレスはデビュタントの証。ユイアが選んで縫い付けて貰ったレースは、彼の髪の色によく似ていた。
「大っ嫌い…」
ソフィアに仕えられないと父から宣告された時も、縁談を母から伝えられた時も、ユイアは両親の顔色を見て、従うことを選んだ。自分の心をありのままに曝け出せない、そういう従順さが女性の美徳とされる世の中なのだ。何も間違ってはいない。ただ、苦しい。意志を通せない自分が大嫌い。自身の首を絞めて全部終わらせたいくらい、大嫌いだ。
彼を好きだと思う気持ちは、過去の産物なのだろうか。それとも、未だに彼が好きなのだろうか。わからない。わからないからこそ、彼に会いたいとユイアは願う。互いに担う責任を考えれば彼に想いを告げることはないが、彼に会わないと、他の人に嫁ぐ決心なんてつきそうもない。
便箋を取り出して、ただ『会いたい』と書いた。
宛名は書けないし、実際には渡せない。仕える公爵家から直接もたらされた良縁を守ろうと、母は必死になるはずだ。ユイアが未婚の異性と連絡を取ろうとすれば手紙の中身を検閲されかねない。それこそ家中、父から庭師まで話が通されているかもしれない。
───ただ、会いたい。
彼はどんな風に成長しただろう。カエル王子と呼ばれていた頃の肥満に戻ったとは聞かないから、あのまま縦に成長したのだろうか。
舞踏会当日。
リデュール伯爵家に、ソレイユ公爵家の紋が入った馬車が迎えに来た。
降りてきたのはダークブラウンの髪に、赤みがかかったライトブラウンの目をした青年。白金の髪をもつソフィアやソレイユ公爵とはあまり似ていない。
「初めまして、ロベルト・ソレイユです」
ロベルトはニコリともしない。ソレイユ公爵はいつもニコニコしているが、公爵夫人やソフィアは表情を動かすことを苦手としている。ソフィアとの共通点をロベルトに見出したユイアは少し親近感を覚えて微笑み、優雅にお辞儀をする。
「ユイア・リデュールと申します。この度は宜しくお願い致します」
「………こちらこそ」
差し出された手を取れば、温もりが伝わり、ロベルトの緊張までもが伝わってくる。柑橘系のコロンの香りがした。
基本的に舞踏会の入場は身分の低い者から始まる。ベルツェ王国では一応騎士が貴族では一番下になるが、今回のように大規模な国家的舞踏会において騎士たちは勤務中である。あるいは夜勤などのために休息をとっている最中のため、客として参加することはない。そのため、男爵位から入場だ。男爵、子爵、伯爵、辺境伯とこの辺りまでは特に紹介などもなく、ぞろぞろと入場する。
ユイアは伯爵令嬢だが、この集団の中にはいない。何故ならエスコートをする男性の身分に準ずるためだ。ロベルトは公爵令息なので、入場は両親や兄夫婦と分かれるのだ。それだけでも心許ないのに、侯爵位以上になると男女で控え室が別になる。スタッフの案内で入場口前室に行き、パートナーと落ち合うのだ。しかも、名前を大々的にアナウンスされる。考えただけで憂鬱だ、頭が痛い。
ろくに会話をしたこともないロベルトとさえも分かれ一人で控え室に行けば、ユイアが入った途端、音が消えたかのように静まり返る。突き刺さる視線が、ユイアの黒髪に集中して居心地が悪い。もちろん話す相手などいない。ソフィアは本日の主役で、王子の婚約者という立場から、恐らく専用の個室にいるのだろう。ソレイユ公爵夫妻と次期公爵である長男夫妻は、今回ソフィアの身内として特別室に案内されているらしい。そもそも彼らくらいしか知り合いがいないので、孤立するのは最初からわかっていた。
それにしても、まさか誰一人喋らずユイアを凝視するとは思わなかった。いないものとして扱われるだろう、くらいにしか考えていなかったのである。
気まずさからユイアが俯き壁に張り付いている間にも案内係の誘導で一人二人と部屋を出ていく。厳しい目が減っていくのにつれて、ユイアに突き刺さる視線の密度も減っていく。密度は減るのに、それぞれの鋭さが際立っていく。高位貴族になるほど直接的に凝視することはないが、広げた扇越しに容赦がない。
ソレイユ公爵家は、ソフィアの婚約により公爵家筆頭となった。呼ばれるのはこの控え室内で一番最後となる。
司会が入り、今回の舞踏会の主旨が語られた後、ソレイユ公爵夫妻と次期公爵夫妻が入場し、王族が入場。陛下から紹介されて初めて第一王子とソフィアが入場になる予定だ。入場だけで長い。その後、第一王子とソフィアがファーストダンスを踊り、デビュタントの女性たちがパートナーとセカンドダンスを飾る。更に参加者が自由に踊り、会話に花を咲かせつつ情報をやり取りして夜はふけていく。考えれば考えるほど長い。社交は体力勝負のようだ。
「こちらへ」
頭を下げた侍女がユイアを呼ぶ。ユイアは、あれ?と首を傾げた。侍女は焦げ茶色の髪をしている。しかし、気配が、何かおかしい。
なんとなく、直感で、この人はリデュール一族の者なのでは?と思った。
しかし今はそれどころではない。背筋を伸ばし、足運びを意識して、淑女らしく後について行くことにした。
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