休眠Ω、強制覚醒

ひづき

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 その時振り返ったのは偶然だったのか、虫の知らせだったのか。青砥あおとの視線の先に、腕を組み仲の良さを隠しもしない男女がいた。女は青砥あおとの恋人だ。一年近く同棲して、先月求婚し、来年には結婚する予定の相手だ。

 スーツに眼鏡という、冴えなさを絵に描いたような典型的な真面目サラリーマンの青砥あおと。対する“彼女の浮気相手”は、一言で表すならチャラそうという軽薄さの塊で。青砥あおととは対極にいる存在であることは明白。

 彼女は青砥あおとの視線に気づいて顔を上げ、逃げるように目線を逸らし、デートの相手を別の道に誘導しようとしているようだ。その挙動を不審に思ったのか、相手の男は彼女を引き止めて何やら会話をしている。揉めているらしい。男が青砥あおとを一瞥し、指差して何かを彼女に告げている。何を告げられたのか、彼女は酷く狼狽ろうばいして見えた。何を話しているのかまでは聞き取れない。脳が音を言語として解釈するのを拒絶しているかのよう。頭が重い。

 青砥あおとは腕を組んで立ち尽くすばかり。仁王立ちで静かな怒りを滲ませているように彼女達からは見えるのかもしれない。実際は困惑しているだけである。最早怒りも湧かない。あるのは諦観。

 こういう時どうするのが正解なのか。交際相手に浮気されるのは初めてではないし、いつも破局の理由は相手の心変わり。彼女こそは、今度こそはと思えたから求婚した。その結果がこれ。自分はとことん女を見る目がないようだ。

 “彼女の浮気相手”は彼女の手を振り払い、単独で青砥あおとに向かって歩いてくる。彼女に付き纏うなとか、彼女に相応しいのは自分だとか、俺の女に手を出すなとか…。貧困な想像力で何を言われるのかを想定し身構える。目の前に立った男は肩がしっかりしていた。野球などのスポーツ経験がありそうで、貧弱な青砥あおとは密かに落ち込んだ。やはり女性は逞しい男性を好むのだろうか。短く刈り上げられた金髪が眩しい。

「メシ行きましょ」

「…は?」

 間抜けな声を上げ、間抜けな表情を晒していたと思う。その短時間に腕を掴まれて歩き出す。

「いや、ちょ、待て、」

「俺、居酒屋のご飯系メニュー好きなんですよ。その辺のチェーンで良いですよね?」

「いや、行かないから離してくれ!」

 足に力を込めて歩みを止める。つられて彼女の浮気相手も立ち止まり、振り返る。流れるように見つめてくる男の目が酷く鋭くて青砥あおとは息を呑んだ。伸びてきた手に殴られるかもしれないと首を竦める。

 ───ちゅ。

「───?」

 何が起きたのか。分からないまま、青砥あおとは呆然とする。呆然としたまま、再び引き摺られて歩き出していた。

「あそこの居酒屋にしましょうか。厚焼き玉子が美味しいんですよ」

「ん?、うん???」





 ───もしかしてキスされたのか?

 ようやく事態を理解した青砥あおとの前で、彼は矢継ぎ早に注文していく。青砥あおとがあまりにも放心していたからか、元からの性質か。注文に当たり男は一切青砥あおとの意向を尋ねたりしなかった。飲み物でさえ「貴方は確かビールが苦手なんですよね、カシオレにしましょう」と勝手に決められてしまった。

 職場の飲み会や初対面の人間の前では無理して取り敢えずビールを煽るが本当はあの苦味が好きではない。以前の上司にビールが苦手なことを揶揄われて以降、義務のようにビールを選んできた。そんなところが可愛いと歴代の彼女に言われてきた。子供っぽい意地を張っていると自分でも分かっている。しかし何故この男がそれを知っているのか。もちろん彼女が話したと考えるのが自然だろう。彼氏の愚痴を二人で嘲笑っている、そんな想像が駆け巡り、青砥あおとは席を立とうとした。そんな青砥あおとの手を、テーブルの上でそっと男が握ってくる。無骨な男の手だ。なのに温かくて優しい。

「俺、和佐かずさって言います。勝手に嗜好を知られて気を悪くしたんですよね、ごめんなさい。それでも知っている以上は苦手な物を無理に飲ませるのも忍びなかったんです。分かって下さい」

 もし、何を飲むかと問われていたら。その時は確かにビールと答えただろう。

 優しい声音に諭され、青砥あおとの身体から力が抜けていく。それを感じ取った彼の手は何事もなかったように離れて行った。

「君は、彼女の何?浮気相手だろ?」

「見方によってはそうかもしれませんね。でも誓って俺は彼女に手を出してません」

 真っ直ぐ青砥あおとの目を見て和佐かずさは断言した。チャラそうという第一印象が嘘のように今は爽やかな好青年としか思えない。野球経験がありそうというイメージだけは揺らがなかった。

 ポケットの中身が絶え間なく振動している。誰からの連絡かは見なくても分かっていた。取り出し、電源を切る。

「電話、出なくて良いんですか?」

「うん。今は君といるから」

 ふと視線を上げると彼は酷く嬉しそうに照れ笑いを浮かべていた。その表情の意味が分からず凝視する。

「ふふ、あんな尻軽女忘れて今は飲みましょう」

「で。結局君達の関係は?」

「忘れようって言ってるじゃないですか。関係なんてありません、一方的に迫られていただけです」

 彼オススメの厚焼き玉子は驚くほど美味しかった。お酒も美味しい。苦手なビールを飲まなくても良いというのも嬉しい限りだ。
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