ロストール伯爵家の幸せ家族計画

ひづき

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「アメリア」

 名を呼ばれてアメリアは足を止めた。アメリアの名を呼ぶのは最早夫しかいない。奥様や夫人と呼ばれることになれてしまい、名前を忘れそうだ。

 夫のロバートはクラッドの投げたボールが顔面直撃した日以来、頭でも打ったかのように毎日、それこそ当たり前のように本邸に帰ってくる。離れに済む愛人のところに行けばいいのに何故だろうと訝る。

 夫婦の営みに関してもクラッド出産以降はアメリアが拒否している。跡継ぎが生まれた以上ロバートに用はない。ロバートも無理強いをすることはない。

「あら、お帰りなさい、旦那様。お出迎えもせず申し訳ありません。てっきりアチラに行かれるかと思ってましたわ」

「ここは私の家だ」

 苦虫を噛み潰すような表情でロバートは当たり前のことを言う。

「えぇ、もちろんです。それで、そのような当たり前のことを説教する為に呼び止めたのですか?なら、もう用はありませんよね?」

「再来月、一緒に夜会へ参加して欲しい」

「お断りします」

 社交も貴族の勤め。分かってはいるがロバートから誘われるのは初めてのことだ。

「な、何故。ドレスや宝飾品なら───」

「ご存知ありませんの?結婚後も旦那様が愛人様を引き連れて社交に顔を出して下さったお陰で、私、社交界では嘲笑の的となっておりますのよ」

「え、」

「飾る価値もない形だけの妻らしいとね。私が嫁いでから一度も茶会を開かなかったのも、趣味と意地の悪い人しか集まらないからですわ。領地が豊かで良かったですわね、旦那様。他領との関係が商売に直結するような環境でしたら、とっくに取引先を失っていたでしょう。一番身近な契約である婚姻さえ守れない男を誰が信用するというのか。少し考えれば分かることです」

 鈍器で殴られたかのように、目を見開き固まるロバートにアメリアは興味をなくして歩みを再開する。今日は大切なクラッドの家庭教師を決める面談があるのだ。遅れるわけにはいかない。



 クラッドの眼はもう夜でも赤く光ったりはしない。

 悪魔の声も聞こえない。

 当たり前のことだ。むしろ、あれはアメリアが勝手に見た夢なのかもしれない。

 快活に動き回り、木に登ってアメリアをハラハラさせたかと思えば、転んだ拍子に頭から泥水に突っ込んで大泣きしたり、クラッドは忙しない。

「こら、クラッド!そんな泥だらけの格好でアメリアに抱きつこうとするな!」

 庭で全力を出す子供。それを全力で追い掛け回す夫。

「きゃはははははっ」

「待ちなさい!!」

 叱られているという自覚が全くないクラッドは全力で逃げ続ける。夫は途中で力尽き、全身でゼェハァと呼吸をしつつ、ヨロヨロと立ち止まった。

「…大丈夫です?」

「……………っ」

 何かを言いたげだが声にならないらしい。そこまで貧弱ではないとはいえ、執務中心のロバートには随分と辛いようだ。

「とーたまぁ、つかまえたー!!」

 最早瀕死のロバートにクラッドがタックルをかます。倒れかけたロバートに両手を差し出して支えたのは何故だろう。自身の行動にアメリアも驚いたし、ロバートも目を見開いて驚いている。

「クラッドに鬼ごっこを理解させるのはまだ難しいようですわね」

「…そうだな。それにしても、このやんちゃぶりは一体誰に似たんだか」

 ロバートが高々とクラッドを抱き上げる。クラッドは楽しくて堪らないようだ。

「あら。お義母様は旦那様の幼少期にそっくりで手に負えないと嘆いていましたよ」

 ふふ、とアメリアが笑う。はは、とロバートも笑う。

 ───まるで家族のようではないか。

 そんな冷たい自嘲がアメリアの脳内をざらつかせた。まるで。つまり、本物ではない。きっと紛い物。そうでなければ家族愛を知らない自分が、絵に描いたような家族の輪の中にいるはずがない。

 生け垣の向こうから此方を睨んでくる金髪の女性には目もくれず、気づかないふりをして別邸に背を向ける。

 人形のように美しい金髪の女は、いつの間にか干からびて張り付いた髪をも厭わず、壊れたようにアメリアを監視するようになっていた。

 もう何年経つだろう。少なくともクラッドが歩けるようになった頃くらいから、夫は社交に彼女を連れて行かなくなった。アメリアを無理やり連れ出すこともせず一人で向かう。あの女に飽きたけど子供がいるから放逐できないとか、そんな理由か。新しい女でも囲うつもりかと邪推したのは最初だけ。ロバートは酒に酔っても日付が変わる前には帰宅し、アメリアの隣で眠る。別邸には帰らず、本邸に帰ってくるのも驚きだが、夫婦の寝室に来るのも驚きである。

「その、アメリア。明後日、出掛けないか、二人で」

「え、嫌です」

 ロバートと二人で出掛けるなど今までしたこともない。今更何を話したらいいのか分からない。

「その、明後日、結婚記念日だろう、だから」

 ロバートの肩口にしがみついたクラッドは眠そうだ。この子は5歳になった。つまり、6年目?7年目?の結婚記念日になる。どちらが正しいのかアメリアには分からない。そもそも些末な問題である。

「今まで一度も祝ったことないですし、すっかり忘れていましたわ。突然どうしたのです?もしかして新しい愛人に子供でもできました?ご機嫌取りなどしなくても、ちゃんと養育費の予算は組みますから正直に申告して下さい」

 アメリアの可愛くない口は、可愛くないことばかり並べてロバートの心を踏み躙った。無理に愛さなくていいと初夜に宣った男を、まだ許せないらしい。そんな自身の気持ちに気づいて驚かされる。

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